7.方舟

バーの一件から、すでに2日が経過した。俺はガルネンともう一度会って話したかった。彼に対しての同族嫌悪はもちろんある。しかし、あの計画を10分程度のトークで済ませるにはぼんやりとしていて説明が足らなすぎる。俺には情報が必要だ。泳ぎ方を知らない人がプールに飛び込んだって、ゴールに行けないことと同じだ。焦りを感じる。このままでは溺れてしまうかもしれないから。


皮肉にも、今日のレストランでは魚料理が出た。香辛料を腹に詰めてグリルしたものだ。


「こりゃうまいな。」


料理を口に詰めたまま喋るタイガは、そうはしないララと対称的だった。その食べっぷりは見ていて気持ちがいい。


「少しだけ白ワインを飲もうじゃないか。魚と白ワインは合うんだ。」


「いいぞ。」


素面では居られない気がして、俺はそう提案する。タイガも肯定的だ。


ララのことを考えながらグラスを回してみる。彼女にガルネンの計画のことを話せば、どういう返事が来るだろう。ビンタの一撃でも飛ぶかな。ひょっとしたら、彼女も参画してくれるかもしれない。彼女も俺と同じで、夢に囚われている。公安志望動機もそうだ。人生がそれを軸に回っている。やはり、話してみないことには分からない。


「食事の進みが遅いじゃねえかシャルル。まだ何か悩んでんのか。」


「いや、そういうわけじゃない。あまり美味いワインではないなと。」


無料で飲ませて貰っているだけありがたいか。






彼に聞くべきことがあったので、またあの時間にバーに立ち寄った。やはり、この間と同じ席に居た。しかし、今日は連れが違うようだ。若い女性複数人とボディタッチをしながら呑んでいるようだ。


「ユング・ガルネン。話がある。彼女たちに1度席を外していただけないか。」


彼はそれを聞くや散れというハンドサインを送ると、若い女性らは俺に冷たい視線を送りながら去っていった。


「もう意思は決まったのかい。」


「今日は聞きたいことがあって、ここに来た。貴様のガールフレンド待たせているだろうし、手短に。」


「ああいいよ。遠慮しないで。彼女たちは本命じゃないから。」


手を払って食い気味で来る。彼女らはガルネンが本命だっただろうに、可哀想に。


「まずはシャブのことについて教えてくれ。」


「シャブじゃないって。...あの薬の名前からだね。あれは人類を神に等しいものとさせることからノアと呼ばれてる。個人差はあるが20回も打てば不老不死になれる、でも、代償がある。まるでゾンビのように意識を失って、怪力になって、人間を襲うようになってしまう。ごく稀に、それを克服し意識がある状態で不老不死になれるそうだ。」


「どう考えても危険じゃないか。」


「マウスで実験した結果では、残念ながら全ての個体が同族を襲ったそうだ。焼却処分を試みたが全て生きているままだ。こう聞くと確かに危ない。おそらくここのように海に放とうとも...」


言葉を止める。首を振る。


「これ以上話すのは僕にとっての方が危険だ。君が僕を摘発する可能性もまだ捨てきれないからね。」


「ノアの計画については。」


「それは、まさしく、ここにいる乗客全員をマウスに例えてもらったら分かるだろう。もっと詳しく言えば、希望者のことだ。」


きっと教会で学んだ殺しの知識はほとんど役に立たない。だからこそ強い人間が必要なのだ。そう考えてみると、まるで全く別の生命体に変えてしまうみたいだ。心底恐ろしいが、俺は自分がごく稀の確率を引くこと、わずかな希望が脳裏にこびり付いて離れないのだ。


「もし希望者を募るとすれば、これらの危険性を話すことはないだろう。これは不老不死になれる薬ですよー。今ならただで処方できますよー。と言うべきかな。」


揺れた揺れたなどと言っているが、結局はやりたかったのだ。


「俺はそれらの説明を聞いた上で、ノアの計画に参画する。ただし、条件がある。」


ガルネンは拍手する。いちいち癪に障る人だ。


「希望者は貴様が募ること。」


「この期に及んで君は保身に走るんだね。でも、いいだろう。僕がやるよ。参画すると言ったからには、最後までやらせるよ。いいね。」


強く1度だけうなずく。


きっとこれは間違った選択だ。しかし、それで良い。間違っていたとしても、夢を叶えようとすることは罪じゃないから。






「ララ。起きろ。」


早朝だが、扉をノックして叩き起こす。意外にも応答は早かった。こんな時間の訪問は常識外れなのも重々承知だが、俺はやはり共犯者が必要だと思った。


「今何時だと思ってるのよ。たまたま起きてたから良かったけど...。」


「話がある。入るぞ。」


「あおい、こら。」


図々しくも俺は適当なチェアに腰掛ける。


「ララ、強くなりたいんだよな。親睦会の時、そう言ってたな。」


俺の焦りを見てか、ララも何かを察して止めることを辞めた。


「そうよ。見返したい人がいるの。」


「それは、何もかも捨ててでも成すべきことなのか。」


「ええ。」


「人としての道を外れることになってもか。」


ずるい聞き方をする。さすがに罪悪感も感じる。ララもちょけた感じで鼻で笑いながら


「なに。説教かな。もう訓練のときのやつで懲り懲りなんだけど。これ以上何が知りたいわけよ。」


沈黙のあと、ため息一つついてから答えを出す。


「あのね。道がどうやってできるか知ってるよね。そこを誰かが通って、別の誰かが付いていって、別の誰かが真似して通ってを繰り返してできるの。道というのはそういうものよ。だから、道を通る必要なんてない。別のところを通ってだってやってみせる。」


これには1杯食わされた。俺は彼女のことを甘く見ていたようだ。主に精神面において少々幼いと思っていたが、これほどまでに本気だとは思わなかった。


「だったら、いい話がある。俺はある計画を実行しようと思っている。ララに止められようと、協力されようと、俺は実行するしかない。しかし、俺の考えでは、ララに協力してほしいんだ。」


俺はさっきの答えを聞いてから踏ん切りがついた。決意した。ノアの計画の全てを話そう。ガルネンと俺の出身のことは伏せつつだ。


「不老不死ね。本当かなあ。にわかには信じられないけど。」


「信用は出来ないが嘘をつく男じゃない。俺も1本試したが、一時的ではあるが力が出てくる。マウスでの実験も行ったそうだ。」


ララは長い間考え込んでいる。


「でも、本当なんだとしたら良かったじゃない。シャルルが公安に入ったことは無駄じゃなかったってことね。」


「そのあたりは考えていなかったな。確かにその通りだ。俺が機関に入ったことは正しい選択だった。つまり、これは俺にとってチャンスなんだ。」


「でも、情報が足りないんじゃない。ユング・ガルネンのことも私には分からないし、嘘ついてるようにしか思えないよ。もっと確かなソースが欲しいかなあ。実験したのなら、どこかに論文の発表があったりしないの。」


「パソコンを借りてもいいだろうか。」


「どうぞ。私も調べたかったし。」


調べてみると、案外あっさりと発見した。確かに論文が発表されていた。タイトルもまさにきな臭い。「ノア(不老不死薬)によるマウス実験とその考察」とある。30ページ以上に渡るそれをくまなく読み込んでみると、彼の言っていたことと内容がほぼ合致していた。しかし、焼却処分のことについては明記されていなかったため、ガルネンはこの論文の筆者、もしくは実験の関係者から直接話を聞いた可能性が高い。そして本文の考察によると、身体的に優れた個体、言うなれば生命力のある個体がより多くの薬剤投与の必要があり、ここに理性を伴う不老不死の実現の神秘があると筆者は考察していた。


「皮肉な話ね。」


ララは読み終えてすぐに口開く。


「何がだ。」


「医療って、弱者を助けるためにあるじゃない。病気や身体の欠損のことだけど。もしこの考察が本当なら、弱者を助けるために実現しようとした不老不死が、弱者には効かないのよ。むしろ、強者をより強くさせるためのバフみたいじゃない。」


確かにそうだ。しかし、忘れていたわけじゃないが、俺がララの部屋に来た本命は、ノアのことを調べて雑談をしに来たのでは無い。共犯者になるかどうかを伺いに来たのだ。話を戻そう。


「それでだ。この情報を踏まえて、ララは協力してくれるのか。」


俺にとってこれは1種の賭けでもあった。例えるならばコイントスである。

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