第9話:四ノ宮さんが撮ってほしいのは?

 駅から歩くことおよそ十分。四ノ宮さんたっての希望で打ち合わせ兼撮影をする我が家に到着するや否や、彼女は唖然とした顔で恐る恐る尋ねてきた。


「も、もしかしてここが庵野君のご自宅ですか?」

「そうだよ。何か問題でもあるか?」

「い、いえ……別に何も……」


 ほんのりと声を震わせながら四ノ宮さんが呟く。

 ちょっと他より高層階でコンシェルジュやスポーツジムが併設されているくらいで、あとは他と何も変わらないマンションである。


「別に俺が買った家ってわけじゃないからな。それに四ノ宮さんの自宅は大層立派な一戸建てなんだろう? 別に驚くことはないんじゃないか?」

「……そうですね。見てくれだけは立派ですからね、あの家は」


 何の気なしに口にした言葉に、四ノ宮さんは感情の色が消えた顔で聞いたことがないくらい冷たい声で返した。理由が気にならないと言えば嘘になるが、土足で踏み込んでいい話でもない。

 俺は努めて気にしないことにして彼女と一緒にエレベーターに乗り込んだ。グングンと上昇していく数字。

 静かな鉄箱の中。いつもなら緊張することなんてないのに微かに耳に届く四ノ宮さんの息遣いのせいで心臓の鼓動が速くなる。


「どうしたんですか、庵野君? 顔が赤くなっていますよ?」

「……気のせいだ。俺はいたって正常だ」

「そうですよね。庵野君は紳士さんですもんね。私と二人きりでも手を出したりしませんよね」


 信頼していますよ。そう四ノ宮さんが口にしたのとチーンとエレベーターが目的階に着いたのを告げたのは同時だった。やっぱりこの子は天使ではなく小悪魔だ。もしくは堕天使だ。

 俺は重たいため息とともに肩を竦めながら廊下を歩く。その後ろを鼻歌混じりで上機嫌で四ノ宮さんがついて来る。

 変幻自在に揺れ動く彼女の感情に困惑しつつ、手が震えていることを悟られないように細心の注意を払って家の鍵を開ける。


「おじゃましまーーーす!」

「はい、いらっしゃい。まぁ誰もいないんだけど」


 元気よく言いながら、しかし丁寧に靴を揃える四ノ宮さん。こういうことを当たり前にできる辺り、育ちの良さが伺える。なんてことを考えながら打ち合わせを行うリビングへ案内する。


「飲み物を用意するから適当に座って待っていてくれ」

「ありがとうございます。あっ、お菓子を持ってきたのでテーブルに並べますね」


 そう言って四ノ宮さんは鞄から手土産を取り出して封を開ける。気遣いが出来すぎるのも問題だな。こっちが申し訳なくなる。


「お待たせ、ルイボスティーでよかった?」

「お気になさらず。何でも大丈夫ですよ。とはいえルイボスティーとは……意外とオシャレじゃないですか。もしかして誰かの影響ですか?」


 グラスを差し出すとニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら四ノ宮さんが尋ねてきた。


「邪推しているところ申し訳ないが、これは母さんの影響だよ。好きな人が飲んでいるとかそういうことじゃない」

「あら、そうでしたか。私はてっきり懇意にされているコスプレイヤーさんの好みかと……失礼しました」

「全く……くだらないこと言ってないで本題に入るぞ」


 このまま四ノ宮さんのペースでダラダラと話していたらあっという間に日が暮れてしまうだろう。そしてこのことが新に知られたら〝それはお家デートというやつでは!?〟とツッコミを入れられること間違いなしだ。早いこと主導権を握らなければ。


「恥ずかしい姿を撮るのはいいとして……どんな感じかイメージがあるって言っていたよな? それを教えてくれないか?」

「その話をする前に、まずはこちらを見ていただけますか?」


 そう言って四ノ宮さんはスマホを操作してから俺に差し出してきた。そこに映し出されていたのは星の数ほどのファンを抱えている女性のSNSのアカウントだった。

 顔出しはしていないがとにかくたわわな果実が特徴で、日常やランジェリー、フェチ系の写真を毎日投稿している人で俺も何度か見たことがあった。

 正直四ノ宮さんとは縁遠い人だと思うのだが、これがどう関係があるというのだろうか。


「クラスメイトの方に教えてもらったんです。今は私たちのような素人でもサイトに写真を投稿してファンが付けば簡単にお金を稼げると」

「……それができるのは一部の上澄みだけだ。あといくら何でもこの世界を知らなすぎるし、何より舐めすぎた」


 思わず声に怒気が孕む。何も知らなければそういう考えになるのもわからなくもないが、実際に写真を撮っている身からしたら寝言は寝て言えと言いたくなる。


「私が惹かれたのはそこではありません。この写真をきっかけに色々調べてみて、私になりに気付いたことがあるんです」

「……何に?」

「みんなとても楽しそうなんです。コスプレでも露出の多い写真でも。自分のやりたいこと、好きなことを全力で表現されていて……私はその美しさに魅了されました」

「……そっか」

「色んな方の写真を見れば見るほど……自分でもやってみたい、撮ってもらいたいと思うようになったんです」


 胸元に手を当てながら話す四ノ宮さんの表情はどこまでも真剣で。俺は一瞬抱いた怒りを深呼吸とともに吐き出しながら心の中で謝罪する。


「話してくれてありがとう。四ノ宮さんの気持ちはわかったよ。それで、話は最初に戻るけど撮ってほしい姿って言うのは───」

「庵野君にはありのままの私を撮ってほしいんです。ダメ……ですか?」


 期待と不安が入り混じった声で縋るように言われたら断れるわけがない。むしろ四ノ宮さんを撮影できるならお金を払いたいくらいだ。ただ〝ありのままの自分〟というのがどういう姿なのか想像できないのが気になる。


「あ、庵野君。黙っていないで答えてください。私のこと……撮っていただけますよね?」

「あぁ……悪かった。もちろん撮るよ。むしろ撮らせてくださいってお願いしたいくらいだよ」

「ありがとうございます。ダメと言われたり断られたりしたらどうしようかと思っていたので一安心です」


 そう言って四ノ宮さんは安堵の笑みを浮かべた。ユズハさんに匹敵する美女を撮影できるのは願ったり叶ったりだ。

「まぁ最初から庵野君に拒否権なんてないんですけどね。断ったらあることないこと言い触らしていましたよ」


 脅迫がなかったらなお良かったんだけどな 。俺は一つ息を吐いてから四ノ宮さんに尋ねる。


「それでありのままの姿って言うのは具体的にはどういうものなんだ? イメージとかはあるの?」

「はい。その辺りは考えています。と言ってもすでに一度庵野君に撮っていただいているんですけどね」

「ん? 俺が撮ってる? それってもしかして教室でのやつか?」


 俺が四ノ宮さんを撮影したのは脅されるきっかけとなった隠し撮りだけ。あの時の四ノ宮さんははだけさせた制服姿を自撮りをしようとしていたが、もしかしてリベンジをしようと言うつもりなのだろうか。


「はい。あの庵野君に撮っていただいた写真は私が撮りたかったものだったので是非あんな感じでまた撮っていただきたいんです」

「……なるほど。だから今日は私服じゃなくて制服だったのか。合点がいったよ」

「そういうことです。それに自宅なら人目を気にせず気兼ねなく脱ぐことができるかなと思ったんです」


 ただしここは俺の家だけどな、と心の中でツッコミを入れる。男の家で制服を脱ぐというのは字面的によろしいものではないが。


「ちなみに私がイメージしているシチュエーションは〝初めてクラスメイトの男の子に家に行って、部屋で勉強をしていたらエッチな雰囲気になってしまって……〟です!」

「そこは勉強で留めておけなかったのか!? エッチな雰囲気になったらダメでしょうが!?」


 今度は俺がバンッとテーブルを叩いた。決して四ノ宮さんの口からエッチって言葉を聞いて興奮したわけではない。ただあまりにも具体的なイメージにそういう経験があるのか疑いたくなる。


「あくまでシチュエーションの話ですよ? 実際にそういうことをするわけじゃありませんからね? まったく……庵野君は一体ナニを想像したんですか?」

「思春期男子をからかうんじゃありません……」


 もう何度目かになるため息を吐きながら俺は立ち上がる。この調子で楽しく会話をしていたら撮影に行く前に本当に陽が暮れてしまう。

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