第1話:なんてことのないただの朝

 春は出会いの季節とよくいうが、実際のところ何も起きないのが現実だ。高校二年に進学し、クラスが変わったので多少の変化はあったものの大半は見知った顔。名前を覚えるのもそう苦労はしないだろう。


「よしっ……! 今回の写真もちゃんとバズったみたいだな」


 朝。にわかに教室が騒がしくなりだした中。俺───庵野巧あんのたくみは自分の席に座ってスマホでSNSをチェックしていた。

 画面に映し出されているのは俺が先週末に撮影した女性コスプレイヤーさんの写真。扮しているのはアニメや映画などメディアミックス展開が盛んなソシャゲのキャラクター。衣装は全て手作りでその完成度は非常に高い。それに加えてポージングや表情作りも完璧で、コメントも称賛の言葉が並んでいる。


「さすがユズハさん。俺なんかが撮っていいレベルの人じゃないよな、やっぱり……」


 自嘲しつつ俺はユズハさんの画像欄を漁っていく。版権キャラクターだけではなくオリジナル創作もある。中には肌色成分が多いものもあり全人類の紳士諸君には少々刺激が強いものもある。


「おっす、巧。朝から機嫌よさそうだな。何かいいことでもあったのか?」

「おはよう、新。別に何もないよ、至って普通だよ」


 気さくに声をかけてきたのはクラスメイトの九鬼新くきあらた。中学時代からの腐れ縁の友人であり、同時に俺がやっていることを知っている数少ない人物。

 自分で言うと悲しくなってくるのだが、俺は学校という箱庭限定でコミュニケーション力を発揮することができない。正確には年上の人とは普通に話せるのだが、どういうわけか同世代が相手だと上手く話せないのだ。

 そんな俺とは対照的に新には友人が多く、ともすればクラスの中心に立てるような奴なのだがどういうわけか日陰者の俺と一緒にいる奇特な男である。


「そうかぁ? その割には顔がにやけているように見えるけどな。今朝投稿された写真バズって嬉しいんだろう?」

「……そんなことないが?」

「そんなことあるだろうが。というか羨ましいぜ。あんな美人さんと二人きりで撮影会が出来るなんてよぉ!」

「何度も言っているけど撮影以上のことは何もないからな? 期待しているようなことは一切起きないからな?」


 まぁ実際は何度か打ち上げに誘われて食事に行ったことがあるのだが。ただ断じてそれ以上のことはしていない。あくまでレイヤーとカメラマン、依頼主と請負人という健全な関係である。仕事に私情は挟まない。


「お前のその鋼の理性というか仕事人ぶりには感服だよ。俺なら間違いなくすぐにどうにかなっちまうわ」

「推しとは適切な距離を取るのを徹底するってことだな」

「ハァ……俺には絶対には無理だわ。それならクラスメイトの女子を眺めている方が性に合ってるわ」


 そう言って笑いながらやれやれと肩を竦める新。それはそれでどうなんだと心の中でツッコミを入れる。顔よし、身長高し、運動神経よし、話も上手しと女性にモテる要素をほぼ全て持ち合わせているのに恋人ができたことがないのはこういった残念は発言のせいかもしれない。


「それはそれとしてだ! もし巧がこのクラスの中の誰かを撮影するってなったら誰がいい?」

「なんだよ、藪から棒に……」

「藪から棒じゃねぇからな!? 毎年春先に聞いている恒例行事だからな!? 今年こそは答えてもらうからな!」


 バンッ、と机を叩きながら顔を近づけて圧をかけてくる新。彼の言う通りこのやり取りはするのはこれで通算五度目となり、その度に俺は回答をはぐらかせてきた。特に理由があるわけではないのだが、強いて言えば仮の話とはいえ気分が乗らないのだ。


「いいや、今回こそは答えてもらうぞ。なにせこのクラスには四ノ宮リノアがいるんだからな!」

「……あぁ、四ノ宮さんか」


 言いながら俺と新は教室にあるひと際大きな人だかりの中心にいる女子生徒に視線を向けた。彼女はこの学校───銀花ぎんか学園高校───において彼女の名前は入学したばかりの新入生であっても知らない者はいな有名人。

 絹のような柔らかく、わずかに桜色がかった光沢のあるプラチナブロンドの髪 。すぅと整った鼻梁に長い睫毛に宝石のような翡翠色の瞳。一切の穢れのない透き通る乳白色の肌。あらゆる要素が精緻な美しさを有している。それでいて聖女のような慈愛に満ちた性格で文武両道とくれば神様の不公平さがよくわかる。

 いつも屈託なく笑っていて、休み時間だろうとお花摘みに行こうと移動教室だろうと常に誰かと一緒にいて一人でいるところを見たことがない。さながら一国のお姫様といったところだ。


「ユズハに匹敵するレベルじゃないと食指が動かない贅沢者の巧でも、四ノ宮さんなら撮りたいんじゃないか?」

「そりゃそうだけど……ファンクラブが許さないだろう?」

「ハハハッ! まぁ確かにそうだな! ましてや個撮なんてした日には何をされるかわかったもんじゃねぇ」

「あとクラスメイトを撮るのはなんていうか、気が引けるんだよ。あと仮に四ノ宮さんを撮ることになったらユズハさんに怒られる」


『巧は私の専属カメラマンだからね? 私以外を撮りたいときはちゃんと申請するように! 忘れたら……わかるね?』


 と笑顔で圧をかけられた時は正直怖くて頷くしかなかった。美女の笑みに恐怖を覚えたのは結婚記念日をすっぽかした父さんにマジギレした母さん以来二人目だ。


「お前って奴は……お前って奴は……!この裏切り者ものがぁ!」

「裏切り者!? どうしてそうなるんだよ!?」


 友人の情緒不安定ぶりに困惑する。


「どうしてだとぉ!? そんなこともわからないのかよ!? まさかお前……超人気レイヤーに囲われているって自覚がないのか!?」

「俺としてはもう少し自由に色んな人を取らせていただきほしいっていうのが本音だけどな」

「この贅沢者がぁぁぁ!!」


 お前との友情は今日限りだ! と通算何度目かになる捨て台詞を残して新は自分の席へと戻っていった。朝から元気だなと苦笑いを零しつつ、俺はスマホに目を移してSNSのチェックを再開する。


「すごいなぁ……どうやったらこんな一枚が撮れるんだ? うわっ、編集すごっ! どうやっているんだ?」


 タイムラインに流れてくる様々なハイレベルな写真に思わず感嘆の声が漏れると同時に自分の未熟さを痛感する。ただこれを知り合いの先輩カメラマンさん達に相談すると何故か呆れられるのだが。


「衣装もすごいなぁ……おっ、このメイド服可愛いな。ユズハさんが着たら似合うだろうなぁ」

「───何を見ているんですか、庵野君?」


 メイド服を身に纏ったユズハさんの姿を頭の中で考えていたらまたしても誰かが話しかけきた。しかも今度は女の子の声。それもついさっきまで新と話していた噂の人物。

「し、四ノ宮さん……」


 立っていたのは他でもない、四ノ宮リノアさんその人だった。前言撤回。恐怖を覚える笑顔は存外珍しいものではないようだ。

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