第3話『高橋依茉』


 私は高橋たかはし依茉えま、当時の私は七歳の小学一年生だった。

 そんな私は何時も、あの日のことを夢に見る。

 静かな部屋で涙を流し、独り、あの人を想いながら。


◆◆◆


 その日に初めて、私は一人で学校に登校した。

 理由を一言で言うと、登下校に慣れたからだ。


「パパ、ママ、いってきます!」


 玄関に居る両親に手を振り、元気よく挨拶をした。

 すると、両親が笑顔で手を振り返してくれるのだ。

 

「「行ってらっしゃーい!」」


 微笑んだ私は、ランドセルの肩紐を固く握りしめ、学校の方へと歩を進めて行く。

 一歩、また一歩と、小さな歩幅で。

 すると、やっぱり心配なのか、お父さんが大声で私に注意をする。


「車に気をつけて行くんだよーー!!!」


「はーーい!!」


 後ろを振り向いて手を振ると、また歩き出す。

 一歩、また一歩と、小さな歩幅で歩いて往く。

 

 家から少し離れた所で、両親の声が聞こえてきた。

 ──心配だよママアアアア!!!

 ──大丈夫だからね? 娘を信じてあげて?

 ──うぅぅ……やっぱり僕が送っていくううう!!!

 ──はいはい、少し落ち着きましょうね

 ──グハッ!!

 その声を聞いて、何時も通りの両親だなーって笑った。


 私は今、何時も両親と歩いて来た道を進んでいる。

 パン屋の美味しそうな匂い、同じ学生の楽しそうな声、小さな仔猫の鳴き声、行き交う人々の群れ。

 それらは何時も、両親と見ていた、両親と聞いていた、両親と感じていた光景だった。

 

 でも、今は違う。

 だって今は、私だけなのだから。

 一人で見る普遍的な景色が、まるで、絵本の中の世界のように感じる。

 

 あぁ……楽しい…………。

 私は今、絵本の主人公みたく冒険しているのだ。

 両親と話しながら往くのも楽しいけど、こうして、一人で往くのも楽しい。

 

 軽い足取りで、街並みを抜けていく。

 

 途中ですれ違ったおじいちゃんと、軽く挨拶をした。

 私が元気よく挨拶をすると、おじいちゃんは「偉いね」と褒めてくれた。

 

 褒められたのが、凄く嬉しかった。

 自分一人でも大丈夫なのだと、そう油断した。

 だからこそ私は、気づけ無かったのだ。

 横断歩道の信号機が、──赤色になっていることを。


 幸いにしてそのときは、車がまだいなかった。

 信号が赤色なのに気づいた私は、急いで向こうに走る。

 

 そうだ、急いでしまったのだ。

 急いでしまったが故に、私は躓いて転んでしまった。

 コンクリートで膝と腕が擦れ、ジリジリと傷口が痛む。


「いたいよぉ…………」

 

 痛い、血が出てる、泣きそうだ。

 でも、こんなことで泣いちゃダメだ。

 私はもう、お姉ちゃんになるんだから。

 

 涙を堪えて、私は立ち上がろうとする。

 でも、怖くて立ち上がれなかった。

 だって、変な挙動のトラックが、直ぐそこまで来ていたのだから。


 私、轢かれちゃうの?

 そう考えた瞬間、怖くて泣いた、お漏らしした。

 パンツに染み込み、ジワジワと道路に広がっていく。


 私の口からは、痛みと恐怖だけが鳴り叫んでいる。

 恐怖で腰を抜かして、立つことすら出来なくなった。

 私は死の恐怖に、何も出来なかった、ただ泣くことしか出来なかった。


 後数秒もすれば、私は轢かれて死ぬ……。

 そんなときだった、カッコイイお兄ちゃんを見つけた。

 お兄ちゃんは黒と赤の服を着ていて、凄く、心配そうに見ていた。

 そのとき思った、──あのお兄ちゃんなら、助けてくれるかもしれない。


「たすけて……」


 お兄ちゃんの顔を見て、そう言った。

 精一杯に言ったつもりだけど、声が掠れて小さい。

 なんて弱々しい声だろう、聴こえてないかもしれない。


 あぁ……私、死んじゃうんだ…………。

 

 そう、諦めかけたときだった。

 お兄ちゃんの耳がピクリと動き、カバンを捨てて私の方へと走って来た。


「もう大丈夫だよ」

 

 お兄ちゃんは、足が速かった。

 後少しのところで私を抱え、優しく微笑んでくれた。

 まるで、絵本に出てくる白馬の王子様のようだった。

 

 お兄ちゃんが王子様で、私がお姫様。

 きっと、私達は運命の赤い糸で繋がれているのだ。

 だからお兄ちゃんは、命懸けで私を助けてくれた。

 私とお兄ちゃんは結ばれる運命だと、そう思った。

 

「次からは、気をつけるんだよ?」


 王子様は私を下ろすと、優しく微笑んだ。

 助けてくれた王子様に、ちゃんとお礼をしよう。


「ありがとう! おにー……ちゃん…………?」


 ───バコンッ!!!!!

 感謝をしようとした瞬間、重々しい音が鳴り響いた。

 赤い液体が頬を掠り、鉄の匂いが鼻に付いて離れない。

 

 目の前には、さっきのトラックが在る。

 そこは、王子様が立ってイる筈の場所だった。

 

 どこにも王子様がイない。

 一体、どこにイってしまったのだろうか?


 トラックが来た左の方から、右へ視界を動かしていく。


 王子様の足は速かったのだ。

 だから、断じて轢かれてなどいない。

 きっと、私の前から颯爽と立ち去っただけだ。

 そうだ、そうに違いない。

 だからお願い、何とも無いで……。


 それは、儚くも淡い期待だった。

 自分でも、薄らとは気づいていたのだ。

 現実を受け入れたく無かった、ただ、それだけだった。


 私が一番右の方を向くと、王子様が倒れてイた。

 

 トラックの車体が凹んでいる。

 近くのガードレールが凹んでいる。

 ダラダラと垂れた血が広がっている。

 首があらぬ方向に曲がっている。

 優しかった瞳は光を失っている。

 

 このとき、私は思い知らされた。

 王子様を殺したのが、「私」だという事実を。


「あ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"───────!!!!」


 泣き叫んだ、泣き叫ぶしか出来なかった。

 泣き叫ぶ資格すら、私には無いというのに……。

 

 溢れてくる涙を右腕で抑えながら、私が殺してしまった王子様の方へと、一歩ずつ歩いて往く。

 少しずつ、また、少しずつ。

 どんどんと、二人の距離が近くになっていく。

 いずれ私は、ピクリとも動かない王子様の元へ着いた。

 しゃがんで目線を合わせると、王子様の顔に私の涙が滴り落ちていく。


「………………ごめんなさい。でも、ありがとう。──おにいちゃん」


◆◆◆


 あれからは、色々なことがあった。

 近くに居た大人が呼んだ救急車に、運ばれていく王子様を見送ったり。

 両親と、王子様の親御様に謝罪したり。

 王子様のお葬式に参加して、無責任に泣いたり。

 本当に、色々なことがあった。


 印象に残っていることが、三つある。

 

 一つは、王子様の両親の泣き顔と優しさ。

 王子様の両親は温かくて、それでいて優しかった。

 私に、「貴方のせいじゃないわ」、そう言ってくれた。

 だからこそ、遺体に縋り付いて無常を訴えかける悲痛な慟哭どうこくが、私の耳から一生離れなかった。


 二つは、王子様が同じ苗字だということ。

 私と王子様が同じ苗字だと聞いたとき、正直、心の底から嬉しかった。

 何処かで私達が、──繋がっている気がするから。


 三つは、実は王子様が引き篭っていたこと。

 信じていた友達にセクハラを受け、人間不信になって引き篭ったらしい。

 トラウマに苦悩した王子様は、長い葛藤の末に前に進む勇気を出したのだ。

 それが、私と出逢った命日だった。

 

 私は王子様が嫌いな、醜い女である。

 だって……申し訳ないという気持ちよりも、出逢えた運命を歓ぶ気持ちの方が、少しだけ強いのだから。


◆◆◆


 私は高橋たかはし依茉えま、九十八歳。

 私は今も、あの日のことを夢に見る。

 薄れゆく視界で、独り、あの人を想いながら。


「来世はあの人と、結ばれますように……あの人に、相応しい人に……なり、た……………………」

 

 

 私はこの生涯を、独身と処女で貫いた。

 そんな私の仏顔は、──血の涙で染まった赤い瞳と、綺麗な白髪だったという。


―――


【世界観ちょい足しコーナー】


王子様の両親が死体に縋り泣いて言った台詞は

「こうなるなら……死んじゃくらいなら……家でずっと笑って居て欲しかった…………」

「小さい子助けて死ぬなんて……陽翔、格好の良い男になったなぁ……でもなぁ、陽翔……? 両親僕達より先に逝くのはさぁ、辞めてくれよ……僕達があの世に居る時だったらさぁ……胸張って誇れたのにさぁ…………」

です。これを聞いた依茉は、何とも言えない気持ちになりました。


ちなみに後日談もあり、王子様の両親から依茉に「夢で元気そうな息子と会った!」という連絡があったそうな。


○とある女子小学生


名前:高橋依茉

年齢:7歳

性別:女

身長:100cm

体重:15kg

血液型:A型

誕生日:12月12日

▶︎セミロングヘアー

▶︎黒髪黒目

▶︎一途

 

いい子に育ちました

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