第54話 政略結婚(2)
「信長様、今日は折り入ってお願いしたき儀がございます」
信長の執務室に、領主のレインとその妹ユウミが入ってきた。二人はドアの前に立ち、信長に深々と礼をした。その傍らには、ドアを開けたエーリカが立っている。エーリカは、今は信長の秘書として四六時中一緒に居るのだ。
レインとは領地経営で多少やりとりはあるが、妹のユウミを見ることはほとんど無かった。父親を殺されてからは、部屋に引きこもることが多いと聞いていた。
「何だ?手短に話せ。俺は忙しい」
「ありがとうございます、信長様。その、出来ればお人払いをお願いしたいのですが」
「ん?ここには俺とエーリカしかおらぬ。そのまま話せ」
レインは少し頭を下げたまま、エーリカを横目で見る。エーリカはその様子を見て何かを察したのか、いつも以上に冷たい視線をレインとユウミに送っていた。
「はい、では信長様。実は、我が妹のユウミを信長様のお側においていただきたくお願いに参りました」
レインはそう言って再度頭を下げた。隣のユウミはずっと頭を下げたままで、まるでその表情を見られたくないと主張しているようでもあった。
「側(そば)にだと?それは妻か妾(めかけ)にということか?」
信長は少し目を細めてレインとユウミを見る。ユウミの肩は小刻みに震えている。
「はい、信長様。その通りにございます。妹と婚姻していただければ、領民の忠誠をさらに確実な物と出来ましょう。信長様の覇道にも、必ずお役に立てるかと」
信長はゆっくりと立ち上がり、無言でレインの前に立つ。そして右手をレインの肩に置いた。
「殊勝な心がけだな。この女が俺の妻になれば、領地の安堵は成ったようなものだからな。領民の事を思えば、それが一番いい選択だろう。レイン、お前にしては上策だ。ははは」
信長は邪悪な笑顔をしてレインの肩を何度も叩いた。どのような反応をされるか不安だったレインは少しの安堵を得た。実のところ、婚姻の話を拒否されたらどうしようかと思っていたのだ。
そして、ユウミはさらに頭を下げて体を震わせている。誰の目にも、ユウミがこの婚姻を望んでいないことは明らかに見えた。
「信長様、ありがたきお言葉。ユウミを誠心誠意信長様にお仕えさせます。何とぞ、妹のユウミをかわいがっていただきたく存じます。さあ、ユウミも信長様にご挨拶をするのだ」
そう言われたユウミだが、顔を上げることが出来ずにブルブルと震えたままだ。かすかに鼻をすするような音も聞こえてきた。
「レイン、この度のお前の申し出に褒美をやろう。エーリカ、最上の身体防御魔法と自己修復魔法をかけてやれ。これでどんな物理攻撃を受けても死ぬことは無いぞ」
「はい、信長様。仰せのままに」
エーリカはレインに両方の掌をかざし、身体防御魔法と自己修復魔法の呪文を唱えた。この魔法が効果を示している間は、ほとんどの剣や槍の攻撃を防ぐことが出来る。また、防御の限界を超えた攻撃を受けた場合でも、瞬時に肉体を修復して生命を維持できるのだ。これは、黄金龍ケートゥに教えてもらった上級魔法だ。
「は、ありがたき幸せ。し、しかし、今は戦でもありませんので・・・ふごふぅっ!!!」
レインは突然みぞおちにすさまじい衝撃と痛みを覚えて膝が堕ちる。
「な、なにを・・・信長様・・・ひでぶぅ!!」
サッカーボールのように蹴り上げられたレインは、天井のシャンデリアに激しく体をぶつけて堕ちてきた。体には、シャンデリアの金属部品がいくつも刺さっている。
信長はレインの髪を掴んで持ち上げた。そして無言のまま何度も何度もレインの顔を殴り続ける。
レインの顎は砕け、歯も飛び散っている。すさまじい勢いで血反吐も吐いている。しかし、エーリカによる呪文によって、破壊された体は瞬時に修復され、生命も意識も保ったままだ。ただし、痛みだけは確実にレインに伝わっていた。
横に立っていたユウミは、その信じられない凄惨な出来事をすぐに理解することが出来なかった。唖然としてしまい、なんだか別世界の出来事のように感じてしまったのだ。しかし、兄レインの吐いた血が自分の頬にかかったとき、全てを理解した。
“兄は殺される”
ユウミの顔面は蒼白になり奥歯がガチガチと音を立てて騒ぎ始めた。そして次の瞬間、
「お願いです!信長様!あ、兄を殺さないでください!許してください!何でもします!言うことを聞きます!私の命も差し上げます!だから、兄を、たった一人の兄を殺さないでください!」
そう言ってユウミは信長の足にしがみついた。しかし、信長は止めない。無言のままレインを殴り続ける。そして、ついに信長に掴まれていた髪は、生えている頭皮ごと引きはがされてしまった。レインは信長の前に倒れ伏す。ヒューヒューと、どこかもの悲しいような息の音がしていた。
「お兄様!」
ユウミは倒れている兄を抱きかかえる。
「お兄様!ごめんなさい!ごめんなさい!私が、嫌がっているのを隠せなかったばっかりに・・」
エーリカのかけた自己修復魔法によって、砕かれた体も修復を始めてはいるが明らかに修復が追いついていない。
「エーリカ、治癒魔法をかけてやれ」
「はい、信長様」
エーリカは、汚物を見るような目でレインを一瞥した後、治癒魔法の詠唱をした。この1年間で、詠唱に科学的なイメージを重ねることによって治癒魔法もすさまじい進歩を遂げている。特にエーリカとガラシャは、脳さえ無事ならほとんどの体の部分を修復できるまでに上達していた。
信長はゆっくりと自分の椅子に座り、冷めた紅茶を飲んだ。エーリカは魔法瓶のお湯で新しい紅茶を入れ始める。
「おい、ウジ虫。我が身と領民の保身のために妹を売ろうとはいい度胸じゃねぇか。俺がそんな事で喜ぶとでも思ったか?俺がそんな物を必要とすると思ったか?ああん?お前は妹が大切じゃないのか?妹はお前の私物か?ふざけるなよ!妹はお前が守れ!その命に代えても守れ!そして、当然領民も守るんだ!」
体の修復がほとんど終わったレインは、唖然とした顔で信長を見ている。良かれと思ってしたことが、完全に裏目に出てしまった。信長がユウミを娶ってくれたらなら、領民の安堵ももちろんそうだが、何より妹の安全は確保できるとも思ったのだ。少なくとも、父のように非業の死を遂げることの無いようにと。
「おい、エーリカ、こっちに来い」
そう言われたエーリカは、少し頬を赤らめて信長の側に移動した。そして、椅子に座っている信長に体を密着させる。
「俺はなぁ、俺を信頼してくる女は絶対に守る!そして俺に付き従う家来もだ!お前は嫌がる妹を無理矢理俺様の妾にしようとした。そういう、自分より弱いヤツを力で従えさせることが一番嫌いなんだよ!わかったか、このギョウ虫野郎!今度こんなことを考えたら、次は生きたまま串刺しにして城門に飾ってやるからな!覚悟しておけ!これからは俺の忠実な下僕となれ!それ以外にお前の生きる道はねぇ!!」
信長はそう言ってエーリカの腰に手を回して抱き寄せた。何があってもエーリカを守るという意思表示だ。信長は、誠心誠意付き従う者は必ず守ってくれる。戦で守り切れなかったとしても、最後まであきらめるようなことはしない。だから、みんな信長についていくのだ。
エーリカは抱き寄せられるままに体を密着させ、うっとりとした表情を見せていた。
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