マリ奥様のおもちゃ達
真島文吉
DAY1 ヤマトジメリ
ヤマトジメリを食べに行こうと、そういう話になった。言い出したのはマリ奥様で、だからこそ誰も異を唱えなかった。
マリ奥様はお金持ちで、セレブで、美人で、我々全員のご主人だからだ。マリ奥様が行こうと言えばどこにでも行く。そういう取り決めだった。
片目のサエコが車を出す。マリ奥様はうしろの真ん中の席に座る。両わきを私と、ニンギョが固める。ニンギョというのは大陸から来た髪の長い女で、自分をレイプしようとした役人をピクルスにして食べていたところをマリ奥様に確保された。
目が見えないんじゃないかと思うほどの細目で、とても背が高い。片目のサエコも私も、身長は一七〇センチしかないから、ニンギョは一番新顔のくせにお姉さんぶる。
マリ奥様は面白がっているけれど、片目のサエコはけっこう頭にきている。
片目のサエコは一重で、金髪で、髪を芝みたいに刈ってるから本当に怖い。どピンクのパーカーにジャージのセンスもひどい。
私はセレブなマリ奥様の言いつけどおりに、マリ奥様の選んだブランド物のコートを着ている。あなたは馬鹿だから、黙ってニコニコしてなさい。そう言われたとおりに振る舞う。ちゃんと唇も縫った。マリ奥様にきれいに並んだ黒糸を見せると、食事に行くのよと叱られた。しくじった。
そう、それで、ヤマトジメリだ。今夜の主役。それが何なのかも分からない。ヤマトジメリを食べに行こう。そう言い出したマリ奥様しか知らないことだ。なんとなくキノコっぽい。
唇の糸をいじっているうちに車が店に着いた。
きったない町にいきなり生えたお高そうな店。両隣は錆びたアパートと空き地だ。片目のサエコが車を駐車スペースに停める。
女四人が外に出ると、道路の向こうから変な男がスマホを向けてきた。片目のサエコがシメに行こうとするのを、マリ奥様がどピンクのパーカーをつかんで引きずる。保護動物の毛皮でできた襟巻きから伸びるマリ奥様の腕は、生まれたてのナメクジのように美しい。
店に入ると、冗談みたいに若い女支配人が黒いドレスを着て待っていた。マリ奥様を歓待するこの女も、どうせまともな人間じゃない。私に糸を切るためのハサミを持ってきたボーイも、絶世の美男子の顔面に裏社会のクズの目を埋め込んでいた。たぶん暴対法強化で食えなくなったヤクザだ。
そう、それで、ヤマトジメリだ。ヤマトって部分が国産っぽい。清潔なクロスのテーブル席に座り、糸を切っていると、さっきのボーイが謎の柔らかくバラの臭いのする布で私の口を拭いてきた。その辺の女子ならイチコロで落ちそうな笑顔だ。
指を観察したがケジメの跡はない。でも確実に誰かのタマをはじいてる。私には分かる。
「ミユチャン。これスゴイよ。見てみ」
ニンギョがケラケラ笑いながら黒いプレートを差し出してくる。料理のメニューだ。私は唇の糸のついでに前髪を切り揃えながら目を落とした。
レモンと山菜のサラド
伊勢海老のムースビスケット
幼鴨のロースト
クラシックスタイルキャビア
指のテリーヌ
子牛肉の叩き
あぶり胎盤
墨入り背皮酢漬け
オレンジ詰め
アイスクリーム
……
クロスに落ちた前髪を掃除するボーイの背中を覗き込むと、マリ奥様に目で叱られた。マリ奥様は美食家だ。今更その手の料理で驚きはしない。
そう、だから、ヤマトジメリなのだ。マリ奥様がお酒と当たり障りのない前菜を注文して、ヤマトジメリの名を口にした。
「炙り焼きと素揚げがございますが」
「炙り焼きでお願いします。あなた達、何か食べたいものある?」
片目のサエコとニンギョが、空気を読まずにメニューにないフライドポテトとコーラを注文した。私はマリ奥様に媚びを売るために味も知らないワインを頼んだが、私が一番さめた目を向けられた。
前菜のレモンだの伊勢海老だのはおいしかった。それで、いよいよ、ヤマトジメリだ。フライドポテトをかじる片目のサエコ達も少し緊張しているようだった。
少なくとも人間の指だの皮だのよりは悪趣味な品のはずだ。
やがて運ばれてきたのは、皿に載った白い魚だった。
ぬめぬめした、人間の前腕くらいの大きさの魚。眼は真っ黒で、口がぱくぱく動いている。そう、まだ、生きている。
「厨房で抜いてきたばかりです。新鮮そのものですよ」
ボーイが素敵な笑顔でバーナーを構える。抜いてきた? 片目のサエコの声に、マリ奥様が笑う。
「ヤマトジメリは自然界には居ない魚なの。人間が水難に遭って、その死肉を食べるために体内に入った魚の群の中にだけ混じっているのよ」
「衛生管理は完璧ですのでご心配なく……」
ボーイがバーナーに点火し、生きているヤマトジメリをそのまま炙り出した。声もなく焼けていく魚を私達は凝視する。
やがて焼き上がった魚が切り分けられ、それぞれの皿に並ぶ。内臓はなかった。白くぷりぷりした肉がぎっしり詰まっている。人間の水死体の中でだけ発生する魚……。
マリ奥様は物知りだなあ。
私は小さく声に出してから、塩すら振られていない魚肉にかぶりついた。
信じられないほどおいしい。肉汁たっぷりだ。マリ奥様と笑顔を交わす。片目のサエコが青くなって「抜いてきた……。抜いてきた……?」と繰り返し、ニンギョは臭いばかり嗅いでフォークをつけない。
この二人は、だからダメなのだ。マリ奥様の一番のおもちゃは私で決まりだ。
デザートのバニラアイスを楽しむと、私達は店を出た。勘定はとんでもない値段だった気がするけれど、別に私が払うわけではないからどうでもいい。
道路の向こうにまだ男がいて、マリ奥様を撮ってきたので、片目のサエコがブチギレて変な刃物を取り出して追いかけて行った。
ほっといて帰ろう。そういうことになった。帰りの運転は私がすることになり、運転席に乗り込む。エンジンをかけると、助手席に置いてあった箱がごとりと動いた。漆塗りの木箱の蓋を開けると、私はマリ奥様に声を飛ばす。
「奥様。旦那様が崩れてますけど」
「そう。帰ったら糸で縫っといて。あなた得意でしょう」
「骨が砕けたままだから、揺れると崩れるんです。一度焼いて完全にお骨にしてくれませんか。脳みそが……」
「やーよ。網膜照合まだ必要なんだもの。歯型も。あと半年もたせて」
ニンギョが何がおかしいのか、奥様の隣でケラケラ笑う。
私は箱の蓋を閉め、前を見た。黙ってニコニコしてなさい。マリ奥様の言いつけを思い出し、私も笑顔を作る。
車を出すと、きったない町を後にした。
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