第29話 炎の候補生 その2
外に出るや否やコランはヴェルに尋ねた。「驚いたんじゃない?」
「何にですか?」
コランはくすっと笑った。「長に」
「全然、名前を覚えてもらえませんでした。きっと、もう忘れていると思います」ヴェルが少し憮然としながら答えると、コランは笑いをかみ殺していた。
「僕は長に名前を覚えてもらうのに二年はかかったかな。僕はね、ここに来たとき竜をまだ召喚していなかったんだ。だから問題外で全然、名前を覚えてもらえなかった。竜を召喚したらね、僕の竜の名前はアカシというのだけど、アカシの名前はあっというまに覚えたのに、やっぱり僕の名前は覚えない。僕を呼びたいとき何と言ったと思う? 『おい、アカシを召喚したお前』だってさ」その時を思い出しているのか、コランはまだ笑顔だった。「君は多分、半月もあれば覚えてもらえると思うよ」
それから真顔になって続けた。「君は女の子だから長を見て、優しくないとかおっかないとか思うかもしれないけどね。僕たち男から見ると、あの人は英雄なんだよ。どんな時でも何があっても、ついて行ける人だ。自分の命を預けられる人だ。慣れないうちは大変かもしれないけど、君もきっとここに来て良かったと思えると思うよ」
コランは周辺を歩きながら、あちこち指さして説明してくれた。「ここは高天の丘という。ここで僕たちは竜に乗り降りする。竜は滑走をほとんど必要としないけど、やはり飛び立つ時、降りる時にはそれなりの広さが必要だ。待機しているものも含めて、同時に十頭の竜がここで飛び立つことができる」
ヴェルは高天の丘を改めて見た。聖竜の神山には、『なになにの丘』と名がついているところは多かったが、その中ではここが一番広いかもしれない。見晴らしのよい空間の先にオゾ山が見えた。
「あれは格納庫。あそこで竜に装備を装着するんだ。竜は天気を気にしないから、どちらかというと人間のためにある。竜の装備の基本は鞍と操舵棒だ。他もあるけど、これが基本。鞍がなぜ必要かはわかるよね? 操舵棒はなぜ必要かわかる?」
「わかりません」とヴェルは答えた。彼女がレイカに乗った時は、レイカは自分の意思で飛んでいたし、彼女が何か思った時は、レイカはそれを察していた。
「君もわかっていると思うけど、竜は召喚者の考えがわかるから、その意に沿って動くのは、竜にとっては難しくはない。でも、ものすごく緊急の場合、それでは間に合わない。そのためにあるんだ」
「竜にわかってもらう前に、こちらの考えを伝えるということ?」
「そういうこと」コランは微笑んだ。「君は呑み込みが早い。特に戦闘部隊にはこれが必須だ。もっとも、さらに上の段階になると必要でなくなるんだけどね。長や副長なんか、戦闘の時は竜と一体化している。僕なんかまだまだ想像がつかないけど、もう竜を自分の手足と同じように動かせるらしい」コランはため息をついた。「早く、あれぐらいになりたいなあ」
彼は炎の長たちを本当に尊敬しているのだなとヴェルにもわかった。「でも戦闘って竜の義には触れないのですか?」
「君は本当に鋭いね」コランはすぐに彼女を褒めた。「でも大丈夫だよ。戦闘部隊が出撃するというのは、ルーベルニアを守るとき以外ないからね。それから訓練だって、いざという時、ルーベルニアを守るためにやっているのだから竜の義には触れない。もちろん偵察だってそうだよ」
「じゃあ、これからは竜の義を気にせず、たくさん乗れますね」
ヴェルが嬉しそうに言うと、コランはにやりとした。「そんなこと言っていられるのも、今のうちだよ。偵察は戦闘部隊とは別の意味で過酷だからね。尻は痛くなるし、寒い時も暑い時もある。意外かもしれないけど、どちらかというと寒いほうがきついかな。なんせ体に当たる風が半端じゃないからね。でもだからこそ、僕たち若手が頑張らなければいけない」
「どういうことですか?」
「偵察部隊は若手中心なんだ。でなければ、僕なんかが隊長をできるわけもない。一応大隊長で副長のシュリオ様と第一部隊隊長のニカラギ様は炎の司だけど、あとは全員使い手さ」
「ということは、司たちはほぼ全員戦闘部隊なのですか?」
「そういうこと。これはある意味、当然なんだ。長ほどでなくても、卓越した竜の扱いと、竜同士を連携させる技術も必要だ。あと、弓の腕前も要求されるしね。君だってもちろん知っているだろう? 長が必中の射手といわれていることを」
「え、何ですか、それ?」
「知らないの?」コランは信じられないという表情をした。
「きっと弓がお上手なんですね」ヴェルが適当に答えると、彼はため息交じりに話を続けた。「そう、弓の技術は重要だよ。剣も最低限必要だけど。もちろん我々の攻撃力なんて竜の炎からみれば赤ん坊以下だけどね。でもある意味、竜の攻撃は大ざっぱだからね。要所要所で我々が締めないと。君は、弓はできるの?」
「いいえ、全然。剣は女としては使えるほうだと思います」
「そうか、じゃあ弓の練習を始めないとね。早速明日から訓練を始めるけど、その前にいくつか教えておきたいこともある。今から少し、いや少しじゃないかな。時間ある?」
「はい、あります」
「じゃあ、ちょっと偵察の気分を味わってみよう。レイカを呼んでおいて」
「呼ぶだけでいいのですか?」
コランはにっこり笑った。「レイカほどの竜ならば、我々よりはるかにいろいろ知っているよ。レイカに任せておけば大丈夫なぐらいだ。君はそう意味で幸運だね。人に初めて召喚された竜なんかだったら、大変なんてものじゃない。おまけに配属されたばかりの候補生は竜にほとんど慣れていない。そういう悲惨な事例はいくらだってあるよ」
悲惨と言いつつ、コランは楽しそうだった。
(この人はいつも陽気なのね。暗い人よりよっぽどいいけど)
ふと話が途切れた。コランはヴェルをちらりと見て尋ねた。「ところで君ってどこの出身なの?」
不意打ちを喰らってヴェルは言葉に詰まった。最近そのようなことを訊かれることはなかったので一瞬頭の中が白くなったが、すぐに思い出した。ユズリハやエシュリンが彼女のために作ってくれた過去を。「リヒトニアです」
それを聞いてコランに笑顔が広がった。「やっぱりそうなんだ。あの辺りじゃないかと思ったよ」
「どうして、そう思ったんですか?」
「君の公用語、ちょっとスラキア訛りが入っているからね。でも、あそこはキルドランとの関係で、今、大変なんじゃないの?」
「ええ、それもあって、ここに来たんです」
「なるほど、そうか」コランは空を見上げて何か考えていた。
「隊長はどこの出身なんですか?」
「僕? 僕はスラキアだよ」
スラキアは赤の界で最も豊かな国だった。雨が少なく砂漠が多い赤の界にあって、スラキアは背後に抱えるヒザミ山を初めとして孤雲山脈やルリ湖からの潤沢に水資源に恵まれていた。その上、北部にあるので気候も暑すぎず温暖だ。そのように恵まれた立地条件を生かし農業だけでなく、鉱物資源を生かした技術力も高い。商工業も発達している上に文化水準も高く、数多くの学者や芸術家を輩出している国だった。
「スラキアって豊かな感じがしますよね」
「そういう人もいるけどね。僕なんか五人兄弟の末っ子で、厄介払いでここに来たようなものだよ」それまでの明るさが影を潜め、コランは言葉を濁した。
そんな話をしているうちに、二人は格納庫のほうに戻ってきた。
話の合間に呼んでおいたレイカはすでに来ていた。そばにはレイカより小さい青い竜がいた。「あれが僕のアカシだ。これから格納庫で装備をつけよう」
コランはアカシに装備をつけながら、ヴェルにも教えてくれた。彼女も見よう見まねでレイカに装備を付け始めた。レイカはヴェルのやり方に、「そうじゃない」とすぐに文句を言う。ヴェルはどうにかレイカに装備を装着し終えた。
「今日は軽い練習だから、その服でいいけど、これからはそれじゃ駄目だな。騎竜用の飛行服とゴーグルが要る。あとで補給隊からもらっておいて。そうだ、女子更衣室がない! 副長に言って作ってもらわないと」後半はヴェルに言っているというより独り言だった。「乗ってみて」
ヴェルは彼の言葉に従ってレイカの背に移動した。コランも付いてきた。命綱の付け方や操舵棒の扱いを簡単に説明した。「わかった?」
「はい、大丈夫だと思います」
「わからなかったら、遠慮なく何度でも聞くんだよ。一歩、間違えば死ぬことになるからね」
「え? 死ぬんですか?」
「候補生で竜から落ちて死ぬ奴はたまにいる。レイカぐらいの竜だとすぐ気づくが、若い竜だと気づかなくてそのまま地面へ激突! なんてね。だから、わからないことがあったら遠慮なく聞くんだよ」彼は軽々とレイカの背を飛び降りアカシに乗った。
ヴェルに向かって大声で話しかけた。「まず通信の仕方だ。飛んでいる時はこんな風に話しても聞こえないから竜を経由して会話をする。この方法もレイカはよく知っているから、君はレイカに話しかければレイカのほうがやってくれる。じゃあまず、ちょっと飛んでみよう。雲海の丘の上空まで行くから、付いてきて」
コランはそう言い、高天の丘から静かにアカシを舞い上がらせた。レイカも付いていく。
コランが言う通り、レイカはヴェルよりよほどわかっていた。「久しぶりの偵察部隊だと楽しいな」とレイカは呟いた。
「久しぶりなの?」
「そうだな、ここ二百年ほど、召喚者はみな夢見だった。最後の炎の召喚者は破天荒な男であいつと飛ぶのは面白かったな。最後には長になったが」そう言いながら、レイカもアカシに続いて静かに飛び立った。
「しっかり操舵棒を持っておけよ」とコランより口うるさい。「お前の考えていることぐらいわかるが、これも練習のうちだ」
やれやれ、とヴェルは苦笑した。(何でも知っているのは良いけど、これでは小姑ね)
「失礼な奴だな。小姑などと」レイカはぶつぶつ言っている。「コランが『大丈夫か』と聞いてきている」
「今のところ大丈夫と伝えて」レイカはそう伝えてくれたようだった。
「今日は通信の仕方を練習するそうだ。まあお前は、ただしゃべっているだけだけどな」
「余計なことは言わないでいいの」とヴェルが言うと、レイカは彼女を無視した。
「これからオゾ山の西側を回って北へ行き、海岸線を確認してから戻ると言っている」
とコランからの連絡を伝えてくれた。
「了解」いちいち伝えてと言わなくてもレイカが伝えてくれた。確かにヴェルはしゃべっているだけだ。「レイカ、ありがとう」
「何を今更」と言っているが、まんざらでもないようだ。竜に人のような感情があるのかわからないが、ヴェルは前よりレイカのことがわかるような気がした。
「お前は楽観的な奴だな」とレイカは笑っている。
(竜って笑うのかな)でも笑っているような気がした。
そんなやりとりをしているうちにオゾ山の西側に出た。東側からは毎日見ているが、西側から見ると景色が少し違う。中腹にこぶが見えた。
「あそこは千年ほど前に噴火した跡だ。とコランが言っている」
「そうなの?」
「実際は八百年ほど前だけどな。アカシは若いから知らないのだろう」
「ふうん。アカシって何年生きているの?」
「五百年ぐらいかな」
(十分長いじゃない。やはり人とは全然基準が違うのね)。
「海へ出たら、高度を落として低空飛行をする」
「了解」
海が見えてきた。アカシに続いてレイカも高度を落とした。海面の小さな波も見えてきた。
「楽しいね。レイカ」
「そうだな、でもこれからは楽しいばかりじゃないぞ」
(そういえばコランもそんなことを言っていたな。でも、彼は間違いなくいい人だ)
「コランが隊長でよかったね」
レイカは返事をしなかった。二頭の竜は仲良く海面すれすれに飛んでいく。
「そろそろ南下して戻るそうだ。遠望の崖から一気に高天の丘に戻る」
「一気に?」
「そうだ、一気に上昇する」
「了解」
竜たちは高度をややあげ内陸に入って行った。しばらく行くと、切り立った崖が見えてきた。
「あそこに着いたら、急上昇する。しっかり
コランの言葉なのかレイカの考えなのかわからなかったが、ヴェルは「了解」と答えた。
崖がぐんぐん近づいてきた。このままだとぶつかると思ったところでアカシは急上昇し、レイカもそれに続いた。急激に体にかかる力にヴェルは思わず「わあ」という悲鳴とも歓声ともつかない声を出してしまった。心臓がどきどきしている。
あっという間に崖の上まで到達した。そこには高天の丘があった。ヴェルは思わずふうと息を吐いてしまった。
「どうだった?」とコランが尋ねた。
「心臓がどきどきします」ヴェルの答えに
「そうだろうね」と彼は笑っていた。彼はアカシを高天の丘に降り立たせ、命綱を解くと、アカシから飛び降りた。レイカも高天の丘に降り立った。
「大丈夫? 降りられる?」とコランの声が聞こえてきた。
「大丈夫です」と答え、ヴェルも命綱を外した。立ち上がると少し膝がへろへろした。
「初めてにしては上出来だったよ」
コランはレイカのそばまで来た。ヴェルもようやくレイカから降りた。
「明日は日の出とともに他の候補生と訓練を開始するから。飛行服をもらって、それまでにちゃんと着替えて竜も準備するんだよ」
「ええ? 日の出前?」
コランはヴェルの反応を見て笑っている。
楽しそうではあるけど、大変なところに来てしまったとヴェルは思った。
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