第28話 炎の候補生 その1

 竜の義とは『竜は可能な限り召喚者を守らなければならない。召喚者を支えなければならない。そのためには、時としてその炎の力を用いることも許される。しかしながら、竜は召喚者に従う義務はない。竜と召喚者は絆により結ばれているのであって、主従の関係には無い。竜は自由な意思を持ち、自らの行動は自らで決める。それを召喚者により妨げられることはない。ただ一人、竜王を召喚した真の王に対しては、竜は無条件でこれに従わなければならない。竜は真の王に仕えるために存在するのであり、真の王の命令は何よりも優先されることを忘れてはならない』というものである。


 竜を召喚したばかりの召喚者は、竜が自分の意に沿って動くと勘違いしていることが多い。しかし、竜は召喚者に仕えることはない。召喚者の馬の代わりにはならない。竜は、自らの考えで行動する。たまに竜の意思と召喚者の思惑が一致し、あたかも、竜が召喚者の意に沿って動くように見えることがある。これを『竜の気まぐれ』という。竜が気まぐれで召喚者に従ったように見えるからである。


                    『ドルゴトス 竜の義と気まぐれ』より




 ヴェルが竜護国ルーベルニアに来て、二年ほどの時が流れた。その年の夏が終わる頃、ヴェルは訓練生の課程をどうにか終え、次の候補生へと進めることになった。


 候補生は神山にある五つの部のどれかに所属しなければならない。部にはそれぞれ特徴があり、訓練生たちの間で人気が高く配属されるのが難しい部もあれば、その逆もあった。


 人気が高い部は神山の顔ともいえる夢見の部と癒しの部で、それぞれ夢見の力、癒しの力が強い訓練生でなければ候補生にはなれなかった。夢見の部はほとんど女ばかりで、癒しの部は男が多かった。変わりどころは炎の部で、竜好きな少年たちに圧倒的な人気があった。人気がないのは学びの部と政の部で、これらは少数の超優秀な訓練生とその他落ちこぼれの受け皿になっていた。


 訓練生としてのヴェルの立ち位置は微妙だった。彼女が強い聖霊力を持っていることは、誰もが認めていた。それにもかかわらず、彼女の力は使い物にならないと評されていた。ヴェルに夢見の力はあるものの、的にあたることが皆無だったからである。学舎の夢見の授業で『的外れのクレナ』というあだ名を頂戴してしまうほど、それは酷かった。聖霊力そのものは強いのに、七聖竜を召喚しているのに、望む夢をまったく見ることができない、役立たずの人もいるのねと夢見の部から評されていた。


 ユズリハは、亡き母レイカの後を継いでヴェルが夢見の司になることを願っていた。そのためにユズリハ自らが夢見の技をいろいろ彼女に指導してくれていた。それでも、ヴェルの夢見に進歩の兆しはなかった。的を立ててもまったく当たらないどころか、見る夢は偽夢かと思えるような荒唐無稽なものばかりだった。ヴェル自身は夢を見ることは嫌いではなかったし、自分の夢は物語を映像で見ているようで好きだった。特に最近太古の言葉が少しわかるようになってきたので、夢の面白さは格別だった。しかし、太古の夢を見たところで誰からもまったく評価されなかった。それが本当にあった出来事か、誰にも分らなかったからである。偽夢と言われてしまえば、それまでだった。その上、部としての夢見は古い出来事の夢より最近の出来事の夢を重視していた。最近の夢でなければ、諜報活動には役に立たないからだ。逆にヴェルは、最近の夢を見ることは好きではなかった。特に個人を的にすることは、他人の私生活を覗き見しているようで気が乗らなかった。


 そんな状況だったから、仮にヴェルが夢見の部を希望しても先方は受け入れる気など毛頭なかっただろう。ヴェルには癒しの力はないので、癒しの部に行くことも考えられなかった。そうなると残るのは、炎の部、政の部、学びの部だったが、政の部にも学びの部にもヴェルはまったく興味がなかった。結果として、残ったのは炎の部だけだった。


 炎の部でもっとも候補生に要求されることは、竜を召喚することだったが、候補生になる時点では、竜を召喚していなくても炎の部を希望することはできた。だが、竜を召喚していなければ聖竜部隊に入ることはできない。その点、ヴェルはすでにレイカを召喚しているのだから、他の訓練生よりは分が良かった。しかも彼女は竜に乗って空を飛ぶことが好きだった。だから炎の部に行くしかないとヴェルは考えていた。


 しかし、大きな問題がひとつ立ちはだかっていた。炎の部では司どころか使い手ですら、女はいなかった。全員男だった。男でなければ駄目という決まりはなかったが、ヴェルが受け入れてもらえるかはわからなかった。受け入れの判断をするのはその部の長であり、すべての権限を持っていた。


 ヴェルは炎の長を知らなかった。もちろん名前は知っていたし、その姿を見かけたこともあった。ユズリハの夫だということも知っていた。だが、数えきれないぐらいユズリハの家に遊びに行っているのに、そこで彼に会ったことは一度もなかった。彼の印象は背が高くて怖そうな人、すぐに怒りだして怒鳴りそうな人というものだった。あのおっかなそうな炎の長に受け入れてもらえる自信は、ヴェルにはまったくなかった。炎の部が駄目だったら、どこへ行けばいいのだろうと悩んでいた。政の部よりは学びの部のほうがましに思えたが、夢のことだけやっていればよいのだったら学びの部も魅力的だったが、興味のないことまで死ぬほど勉強しなければならないとしたら、その魅力も完全に相殺されてしまった。政の部とどちらがましなのかわからないほどだった。


 年に何回かある面接の期間が始まった。申し込みをすると、その部の長から面接の日時の連絡が来ることになっていた。ヴェルは炎の部に申し込んでみたものの、何の音沙汰もなかった。面接期間が終わりそうな頃になって、ようやく彼女は炎の長から呼び出された。そんな扱いからも、受け入れてもらえる見込みがなさそうな気がした。


 ヴェルが呼び出された場所は紅蓮の塔の司令室だった。紅蓮の塔に、炎の部の本部があった。それは聖竜の神山の最上層である天空台にあり、見晴らしの塔からややオゾ山よりに離れた高天の丘に面していた。ヴェルは指定された時間に紅蓮の塔を訪れた。入り口で当番兵と思われる候補生に用件を伝えると中に通された。


 そこはそれまで彼女が知っていた、いかなる聖竜の神山の場所とも異なっていた。木造の建物が多い聖竜の神山では珍しく、石とレンガからできていた。それ以上に違和感を覚えたのが、中には男しかいないことだった。すれ違う男は、みなヴェルのことを興味深げにじろじろと見た。


 ようやく長の部屋の前までたどり着くと、扉の前に訓練生が立っていた。用件を伝えると、「少々お待ちください」と言われた。ここでもじろじろ見られた。


(この人たちって、まるで女を見たことがないみたいな態度ね…)


 その少年は部屋から出てくると、「どうぞ」と言ってヴェルを中へ通した。


 彼女が中に入ると、部屋には二人の男がいた。ひとりは背が高く、鍛え抜かれて引き締まった体をしていた。偉そうで感じが悪く、明らかに、自分が命令すれば、誰もが絶対それに従うと信じきっていた。事実、彼に逆らう気力がある者など滅多にいないだろう。その男が、間違いなくユズリハの夫で、炎の長であるナカルのコウヤだった。


 もうひとりの男をヴェルはまったく知らなかった。その男は、長ほど背は高くないが、すらりとしていて、顔立ちも端正だった。長と同じぐらいの年齢と思われたが、どこかの王宮にいたとしてもまったくおかしくない程、品があり洗練されていた。こんな男にダンスを申し込まれたら、ヴェルは二つ返事で応じただろう。


(この人が長だったら良かったのに)


 二人ともヴェルをちらと見た。長のほうがヴェルに言った。「お前と約束していたか?」


「はい、この時間に面接をすると」


 長はもうひとりの男を見た。


「ならば、私は後ほどまた参ります」その男が言った。

「すまんな、シュリオ」


 この人はシュリオというのだ、と思いながら、ヴェルはその男を改めて見た。帯と着ている服から、その男が炎の司であることがわかった。シュリオは彼女の横を通り抜けて出て行った。彼は彼女をじろじろ見るようなことはなかったが、すれ違った際に、わずかに微笑んだ。彼女はすっかりシュリオが気に入った。


 それから視線を長のほうへ移し、げっそりした。これからたったひとりで、このおっかなそうな長の面接を受けなければならないのだ。彼に生殺与奪の権を握られているのかと思うと暗澹あんたんたる気持ちになった。


 長のほうは彼女を見ておらず、机の上の何かを探していた。ヴェルが提出した書類を探しているのだろう。面接の約束も忘れているし、書類もどこかへやってしまったのだ。それぐらいヴェルのことなど何とも思っていないが見て取れた。申し込まれたから、仕方なく面接だけするということなのだろう。


 ヴェルは長を見ながら、どうしてユズリハはこんな男と結婚したのだろうと考えていた。ユズリハのように物静かで上品で美しい人が、こんな野獣みたいな武骨な男と結婚した理由がよくわからなかった。ユズリハならば、どんな男でもり取り見取りで選べただろうに。


 長は探し物をしながらヴェルに聞いた。「お前、名前は?」


「クレナ・セナミです」

「お前、竜は召喚しているのか?」


 長は顔をあげようともせずに質問を続けた。彼の問いに、ヴェルはちょっと嬉しくなった。訓練生で竜を召喚している者は稀だ。ヴェルは誇らしげに答えた。「はい」

 長は探し物を止めて、初めて彼女をじっと見た。「竜の名前は?」


「レイカです」


 それを聞いて長の表情が変わった。初めて長はヴェルに興味を持ったようだった。


(レイカのおかげだわ。これで少しは認めてもらえるのかしら)ヴェルは少し得意になった。


 しかし長の表情が変わった理由は、竜のレイカでないことはすぐにわかった。


 彼は机のこちら側に廻ってヴェルのそばまで来た。不躾ぶしつけなほどじろじろと彼女を眺めまわした。「では、お前はレイカの娘か?」


 ヴェルはぎょっとした。(この人は母上を知っているのかしら? そうだ、ユズリハ様が言っていたっけ。彼女の夫、つまりこの人も私やカイルの素性を知っていると)


 長はヴェルの心を読み取ったかのように、言葉を続けた。「お前のことならば知っている。スオウミが陥落した夜にカイト、つまり今、お前がレイカと呼んでいる竜に連れてこられたこともな。心配するな。お前の素性など誰にも言わん。それに、そんなに細かいことを気にするのならば、そもそもあの竜にレイカなどという、自分の素性を連想させるような名をつけるべきではないな。そんなこともわからないとは、お前の頭はよほど空っぽなのだな」


 長にずばずば言われて、ヴェルはうつむいた。まったくその通りなので返す言葉もなかった。


 長はしばらく彼女をじろじろ見ていたが、ふっと息をもらした。笑っているようにも思えた。ヴェルが顔をあげると、長は何か面白がっているようだった。何が面白いのだろうとヴェルはいぶかった。


「お前はまったくレイカに似ていないな。言われなければ全然わからなかった」長は何か思い出すように遠くを見つめた。「それに比べて、お前の弟。あいつは驚くほどレイカに似ていた。赤の界一の美女とも言われたレイカに、男の弟が生き写しで、女のお前がまったく似ていないとは、名もなき神もいたずらがお好きなようだ」含み笑いをしながら、また机のほうに戻った。


 そのようなことを、かつてヴェルは散々言われていた。


『なんて美しい王子様、それに比べて王女様は…』


 カイルと別れたのは寂しかったが、彼と比較されないこと、特に美貌で比較されないことに、ヴェルはどこかほっとしていた。久しぶりにカイルと比較され、ヴェルは少し傷ついた。(どうせカイルは美しくて、私はそうでないでしょうよ)


(でも、この人はどうしてカイルの顔を知っているのかしら?)


 すぐにその理由がわかった。あの夜、竜舞台で彼女の腕の中からカイルを奪い取って連れ去った男。あの男が目の前にいる炎の長だ。


 長のほうはといえば、そんなことは一切お構いなく机の前に腰を下ろし、まだヴェルをじっと見ていた。面接の為というより、興味の赴くままという風情ふぜいでヴェルに尋ねた。「お前、何で炎の部に来たいと思った? なんで母親と同じ夢見に行かない?」


「それは…」


 夢見には才能がないので行けませんなどと答えたら相手に失礼だ。だが、仮に夢見に才能があったとしても、炎の部のほうに来たいとヴェルが考えたのは事実だった。「空を飛んでいると楽しいから」 


 思わずそう答えてしまって、また馬鹿なことを言ってしまったと瞬時に悟った。長のほうを見ると、明らかに呆れていた。


「お前の頭は本当に空っぽだな。そんな思ったままのことを考えもせずに口に出して、世の中渡っていけると思っているのか? こういう時はふつう嘘でも、もっとそれらしいことを言うだろうが?」


 もうこれで駄目だとヴェルは観念した。絶対炎の部には入れてもらえない。


(政の部、それとも学びの部の候補生にならなければならないの?)


 これからの生活が絶望的に思えた。


 だが、長のほうはヴェルの思惑などまったく気にしていなかった。相変わらず、彼女からまったく視線を逸らさずに申し渡した。「女だからといって、手加減はしないからな」


「え?」

「当直も他の者と同じようにやってもらう。訓練も当然同じようにこなしてもらう。泣き言は一切許さん。覚悟しておけ。わかったな?」


 ヴェルはあっけにとられて長を見た。目の前にいるのが人ではなく竜のような気がした。


「返事は?」

「はい!」

「言っておくが」長は、長い足を机の上に乗せた。「お前が欲しいわけじゃない。欲しいのはレイカだ。お前はあくまでレイカのおまけだ」

「わかっています」


(それでもいい。おまけだろうが何だろうが)


「昨今、良い竜が召喚できない。悩ましいものだ。お前はたまたま母親のおかげもあって、あのような竜を召喚できた。これにおごることなく研鑽けんさんを積むのだぞ」


「はい!」


「ネヒコ!」長は大声で呼んだ。部屋の外にいた訓練生が中を覗き込んだ。


「コランをここへ呼んで来い」長は命令した。


 訓練生の顔が扉の外に消えてからほどなく、青年が入って来た。「長、お呼びでしょうか」


 青年はとても若く、どちらかというと細身で、動作は滑らかで敏捷だった。何でも面白がっているような陽気さがその表情にあった。美青年ではなかったが、爽やかな好青年で、彼が通り過ぎれば多くの少女が振り返るだろう。


「コラン、この候補生はお前に預ける。使い物になるようにきちんと仕込んでおいてくれよ」


 コランはこの時、初めてヴェルをまじまじと見て驚いた表情をした。


 長はヴェルのほうを向いた。「お前、えっと…」


(もう私の名前を忘れているのだわ)


 ヴェルは呆れながら答えた。「クレナです」


「そうだ、クレナの竜のレイカは、七聖竜だ。こいつはどうでもいいが、レイカは大事に扱うのだぞ」


「はい」コランは答えたが、ちらとヴェルを見て、何か申し訳なさそうな表情を浮かべた。


「では二人とも、下がってよい。それからコラン、シュリオを呼んできてくれ」


「はい」二人は部屋を出た。


 コランはすぐにシュリオを探しに行ってしまった。ヴェルはひとりその場に取り残された。どうすればよいかわからず、しばらくそこに立っていたが、誰ひとり彼女に声をかけようとしなかった。仕方なく外に出ようと歩き出した時、後ろから声がかかった。「待って」


 振り返るとコランとシュリオが立っていた。


「君が今度うちにくることになった、候補生なの?」シュリオが尋ねた。


「はい、クレナと言います。よろしくお願いします」


「うちは男所帯だから、慣れないうちは大変かもしれないけど。困ったことがあれば、私やコランに遠慮なく相談するように」シュリオはそう言うと長の部屋に入って行った。


(やっぱりシュリオ様っていい人だわ)


 コランが自己紹介した。「改めてだけど、僕はコラン。第三偵察部隊の隊長をしている。今、長の部屋に入って行ったシュリオ様は炎の第二の司で、炎の部の副長だよ。長の次に偉い人だ。君がクレナなんだね。あの赤の七聖竜の召喚者か」


(やっぱりレイカは有名なのね。私なんかよりはるかに)

「はい、よろしくお願いします」

「少し周りを案内するよ。これからの訓練のことも説明するね」と彼は彼女を誘った。


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