第21話 旅の空の下 その2

 その夜も夕食後、商人たちはたき火を囲んで雑談をしていた。その日の話題はいつになくカイルの興味を引くものだった。商人たちの中で一番若く陽気なマノバ親方が、一番年長で物静かなツモト親方に話しかけたことから始まった。


「それで、結局あの男のお宝はどうなったんだい? あんたは高値で買い取ってやったのかい? だが、あの男のしょぼくれた様子から察するに、あんたは奴のお宝をがらくた扱いしたのだろうな」


 ツモト親方は静かに答えた。「多くの人にとって価値があるからといって、それがすべての人にとって価値があるとは限らない。自分にとって価値があるものが、他人にとって価値があるとも限らない。本当にそれが自分にとって大切なものならば、売ろうとなどしないで、大切にすればよいのだよ。その事に対して誰も何も文句を言えやしない」 


 その時まで、カイルはツモト親方をほとんど意識していなかった。宿場町に停まっている時も、ツモト親方が商売をやっている姿を見たことがなかった。ツモト親方は隊商の中では影が薄い存在で、何を商っているのかカイルにはまったくわからなかった。


「つまりそれは、あの男にとって価値があっても、それ以外の人間には価値がない代物だったのだな。あんたはその事実を、情け容赦なくあの男に突きつけたというわけだ」マノバ親方は面白がっていた。


「誰が何を宝と思おうが、私は一向構わないよ。それは本人の自由だからね。だが、それで儲けようというのならば話は別だ」


 いったいその男は何をツモト親方に買い取ってもらおうと思ったのだろうかと、カイルは興味津々しんしんでその話を聞いていた。


 そこにザイツ親方が口を挟んだ。「で、その男が持ち込んだものは、結局何だったんだい? 宝石だったのか、それとも骨董の類か?」


「宝石でも骨董でもない。水晶のようなありきたりな石だった。その石が特別な力を持つものだと彼は信じているようだったがね」ツモト親方は淡々と答えた。


「でも、あんたから見ると、その石には何も特別な力を持たなかった」


 ツモト親方は肩をすくめただけで答えなかった。


「あんたの魔法の目で見ると、それはただの石ころだった」マノバ親方は重ねて言った。


(魔法の目って何だろう?)


 カイルは訝しく思いながら、その話を聞いていた。誰か『魔法の目』について質問するか説明するか、してくれないかと思ったが、誰もそうしてくれなかった。カイルが知らないだけで、彼らにとっては当たり前のことだったのかもしれない。


 マノバ親方はその話題に興味を失ったのか、その話はそれで終わり、また、とりとめもないことに話題は移って行った。


(何か機会があったら、ツモト親方に聞いてみたい)


 カイルはそう思ったが、そんな機会があるのかわからなかった。だがそれは、カイルが思っていたよりも早く、ひょんなことから実現した。


 ある宿場町に立ち寄った時のことだった。ザイツ親方は馴染の客と商談があるらしく、カイルは親方について行くことができなかった。そんな時、カイルは隊商の自分のテントのそばで本を読むことが多かった。その時も神山の学びの部でもらった本を読んでいた。


「よく、本を読んでいるね。本がそんなに好きなのかね?」


 声がしたほうを見ると、そこにツモト親方がいた。「ツモト親方」


「おや、坊ちゃんは私の名前を知っていてくれたのだね」

「もちろんです」

「ところで、何の本を読んでいたのかね?」

「神山の学びの部で、餞別せんべつ代りに貰った本です」そう説明しながら、カイルは持っていた本をツモト親方に手渡した。それは『ルーベルニアの発展』という本で、学舎に入った訓練生が最初に勉強するものらしい。


 その本を見て、ツモト親方はなつかしげに言った。「おや、『ルーベルニアの発展』じゃないか。私も学舎に通っていた訓練生の頃、この本で勉強したよ」


 カイルは驚いてツモト親方を見上げた。「親方は、聖竜の神山の学舎に通っていたのですか?」


 ツモト親方は、本をぱらぱらめくりながら答えた。「大昔だがね」


 カイルは恐る恐る尋ねてみた。「では、親方には聖霊の力があるのですか?」


 親方はわずかに微笑んだ。「あると自慢できるほどではないがね。竜は召喚できなかったが、お宝の鑑定ができる程度にはあるよ」


 どうやら、『魔法の目』というのは、そのことと関係あるらしいとカイルは察した。


「聖霊の力とお宝の鑑定とどう関係するのですか?」

「普通のお宝の鑑定には、聖霊の力はまったく関係ないよ。知識やどれほど多くの本物を見たかという経験がものをいう」


「では、どういうお宝の時、聖霊の力が役に立つのですか?」

「それは、聖なる力、特別な力を持つといわれるものを見極める時だよ」


「どのようなものが、そんな力を持つのですか?」

「外見はいろいろあるよ。剣だったり珠だったり鏡だったり。宝飾品のようなものもある。ただの石のようなものもある」


「どうしてそれらに聖なる力があるとわかるのですか?」

「聖霊の力を持っていると、自分以外の人間が聖霊の力を持っているかどうかわかるということを坊ちゃんは知っているかね?」


「そのように聞いています」

「ならば、話は簡単だよ。聖なる力を持つ物も、同じように感じることができる。人に対するものとは少し違うけどね。人の場合は背後が明るく輝いて見えるのだよ。だが聖なる力を持つ物は、熱を放出しているように感じられるんだ」


「熱く感じるのですか?」

「実際に熱いのかと訊かれたら、どう答えてよいものか迷うが、でも何かがそこから放射しているように感じるんだよ」


 そんな話をしながら、親方は本をカイルに返そうとした。それを受取ろうと差し出したカイルの左手を見て、親方は「おや」といった。


 カイルは慌てて左手を引っ込めて、右手で本を受け取った。


「珍しい印だね」と親方は言った。


 親方が何について言っているのか、カイルにはわかっていた。左掌をぎゅっと握り締めながら答えた。「ただのあざです」


「あざではないよ。色が全然違う。そんな銀色に輝いているあざなんてないし、それはどうみても五芒星だよ」


 カイルは押し黙っていた。


 そんなカイルを見て、親方は優しく言った。「気にさわったのなら、ごめんよ。だが坊ちゃん、それはおそらく良い印だ。だから嫌な気持ちになる必要はないよ」


 親方はカイルの返事を待たずに続けた。「君は本が好きみたいだね。私のところに、君が面白いと思う本があるかもしれない。興味があるようだったら、今度遊びにおいで」そう言って親方は自分のテントのほうへ戻って行った。


 カイルは掌を握りしめたまま、その姿を見つめていた。


 その夜、カイルは珍しくヴェルのことではなく、母のことを考えた。母が亡くなってから、ずっと彼が胸に抱いていた疑問を再び自らに投げかけていた。


(なぜ母上はあんなことを言ったのだろう? なぜ母上は間違えたのだろう? いや、母上が間違うはずなどない。ならば母上は、わかっていて嘘をついたのか? いいや、母上は絶対嘘などつかない。母上がそんなことをなさらないことは、お前が一番わかっているじゃないか? でも、ならばどうして母上は、あんなことを言ったのだろう? やはり間違えただけなのだろうか?)


 いくら考えても彼には答えが見いだせなかった。


(母上、なぜですか? なぜ、あんなことをおっしゃったのですか?)


 彼がまだ幼かったある日、彼は母に自分の夢を打ち明けた。


 その時、彼と母は二人きりで王宮の塔の上にいた。二人だけの時、母は彼のためにいつも赤い竜を呼んでくれるのだった。彼が何よりも竜が好きだということを母は知っていた。塔の上を優雅に舞うように飛ぶ赤い竜を、カイルはうっとり眺めながら母に打ち明けた。『母上、僕は大人になったら聖竜部隊の隊長になりたいのです』


 母は優しく微笑んだ。『なってどうするの?』


『必中の射手のコウヤみたいになるのです。竜に乗って悪い人をこらしめるのです。赤の界で戦がなくなるようにしたいのです』


『まあ』

『でも…、僕にできるでしょうか? 母上のように竜が呼べなければ…、出来ませんよね?』


 母は再び微笑んだ。『大丈夫よ。あなたは竜が召喚できる。素晴らしい金色の竜を召喚できるのよ』

『本当ですか?』


『本当よ』母はそう言いながら、彼が握り締めていた左手を開かせた。その掌には、銀色に輝く五芒星が描かれていた。それを指さしながら、母はささやいた。


『これは特別な印なのよ。あなたはいつの日か、必ず金色の竜を召喚するの』


 それを聞いたとき、カイルは天にも昇る心地だった。自分の望む将来が、自分の前に開けているのだ。彼の前には光り輝く明るい未来しかなかった。


 だが、それからしばらくして母が病に倒れた。命も危ないと聞き、彼は生きた心地もしなかった。母と一緒に自分も死んでしまいたいとさえ思った。彼は必死に祈った。(名もなき神よ。どうか母上をお助けください。そのためなら、僕の持っているものはすべて差し上げます。僕は何もいりません。金色の竜もいりません。僕が代わりに死んでも構いません。だから、どうか母上を助けてください)


 だが、彼の祈りは名もなき神にはまったく聞き入れてもらえなかった。最愛の母はあっけなく亡くなってしまった。しかも、それだけではすまなかった。


 その後しばらくして王宮に聖竜の神山の大司がやってきた。その理由をカイルは知らなかったが、母の弔問だったのかもしれない。その時大司はヴェルをみて、『なんてすばらしい聖霊力を持っているのでしょう』と言った。だが、彼に対しては、『なんて美しいお子でしょう。レイカにそっくり』としか言わなかった。


 彼は少し不安になった。大司のそばに人があまりいない時を見計みはからって、彼女に直接尋ねてみた。『僕にはヴェルみたいに聖霊の力はないのですか?』


 大司は驚いた表情で彼を見つめたが、優しく彼を引き寄せた。『聖霊力がなくてもあなたは素晴らしいわ。父上の跡を継いで立派な国王になるでしょう』


 大司の言葉を彼はすぐには受け入れられなかった。聖霊の力がなければ、竜を召喚できないことを彼は知っていたから。大司は何か間違っているに違いない。何か見落としているに違いない。彼は重ねて尋ねた。『僕は金色の竜を召喚できますか?』


 大司は憐れむように彼を見た。『聖霊の力がないと、竜は召喚できないのよ。それにね、坊や。金色の竜なんていないの。竜の色は、白、黒、赤、青、緑、紫、橙のどれかなのよ。それ以外の色はないの』


 彼は奈落の底に突き落とされたように感じた。彼は竜を召喚できない。彼の夢は絶対叶わない。母は間違っていたのだ。いいや、そうじゃない。名もなき神が、すべてを奪って行ったのだ。母も彼の夢も。


 彼は何も言うことができずに、その場に立ちつくした。その日から、彼は神に祈らなくなった。

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