第14話 夢見 その4

 気候が良くなってきたこともあり、カイルは歩く練習をするように癒しの長サダクから勧められた。カイルは聖竜の神山に来てから初めて、自らの足で診療所の外へ出た。最初のうちは診療所の周辺を歩いていたが、少しずつ遠くへ行くようになっていた。ヴェルが訪ねて行った時、病室にいないことも時々あった。そんな時でもしばらく待っていれば、彼はすぐに戻って来た。


 その日ヴェルが病室を訪れた時も、カイルは不在だった。しばらく待っても戻ってこないので、彼女は彼を探しに行った。あちこち歩き回って、ようやく雲海の丘でカイルを見つけた。


 雲海の丘は、彼らが最初にこの地に来た竜舞台の背後の斜面を登った先にあった。そこは、聖竜の神山では高天の丘とともに最も高い場所だった。雲海の丘に来れば、聖竜の神山がほぼ一望できた。


 カイルは丘の斜面に腰をおろし、ぼんやりとどこかを眺めていた。ヴェルに気づいているのかいないのか、その様子からは判断できなかった。


 ヴェルが彼に近づきその横に腰をおろして、初めて彼はちらりと彼女を見た。その表情からは、彼が何を考えているのかヴェルには読み取れなかった。


「何を見ているの?」

「竜」


 カイルが見ていたのは、雲海の丘の向こうに見える、聖竜の神山の第四層にある高天の丘だった。そこは神山の他の場所と違って、だだっぴろい原っぱにぽつんぽつんと建物が立っているだけの場所だった。その原っぱに何頭かの竜がいた。時々飛び立つ竜もいれば、どこからか飛んで来て降りてくる竜もいる。その背には人が乗っていた。


「何を考えているの?」自分に視線を向けようともしないカイルに、ヴェルはさらに問いかけた。


「ここの守りは鉄壁だな。ここを攻めてくるような愚か者は赤の界にはいないだろうが、だからといって守りをおろそかにはしていない。見てごらん。聖竜部隊が訓練をしている。何があっても対応できるように、備えを怠ってはいないんだ」


 ヴェルは、カイルが何を言いたいのかわからなかった。ヴェルの目には、原っぱとその上空を竜が飛んでいるだけにしか見えなかったが、カイルの目には他のものが見えるらしい。カイルは普段は口数が多くなかったが、突然、滔々とうとうとしゃべりだすことがたまにあった。その時もそうだった。ヴェルが尋ねてもいないのに、彼は話し続けた。


「この目でみるとよくわかる。聖竜の神山の立地は、防御の点からも完ぺきだ。背後の遠望の崖の向こうは、海からしか攻め込めない海岸線。それを囲むのは切り立った崖で、聖竜の神山はその地形を生かして作られている。神山は四層に分かれているけど、上層は下層に対して完璧な砦となっている。たとえ下層が敵に破られても、その上の層はまだ万全の体制で存在しているというわけだ。万が一、籠城することがあっても、オゾ山からの湧き水もあり食料も潤沢にある。たとえ竜がいなくても、ここを落とすのは極めて困難だろう。ましてや竜がいるのだから、ルーベルニアがどこの国からも攻められないのは当然だろうな。聖竜の神山が、領土を拡張しようとか、赤の界を支配しようとか考えないことに、我々は感謝しなければならないのかもしれない…」


 それはヴェルに話しているというより独り言だった。その時、彼の心の中にヴェルはまったく存在せず、彼は自分だけの世界にいた。そのことが彼女を苛立たせた。


 ヴェルはカイルをさえぎった。「ねえ、カイル。そんなことより、私たちはこれからどうするの。いつまでここにいるの? 私たちはこの先どこへ行けばいいの? それを考える方が、よほど大切でしょう?」


「クレナ、声をもっと落として。誰か聞いているかもしれない」カイルはさりげなく注意した。

「誰も聞いてなんかいないわ! 誰もいないじゃない!」ヴェルは苛立って叫んだ。「そんなことより、私の質問に答えてよ!」


 ヴェルの口調に、カイルも珍しくむっとした。彼はいつになく冷淡に答えた。


「君のこれからについては考えるまでもない。現実的な選択肢は二つしかない。どちらでも君が好きな方を選べばいいだけだよ。ひとつはここを出て、北砂諸島の伯父上のところに身を寄せることだ。そうすれば、生活習慣は多少違うものの君は以前と同じような暮らしが出来る。イエエトは間違いなく赤の界の大国のひとつだから、キルドランも手出しできなくて安全だし、何年かしたら伯父上は君にふさわしい嫁ぎ先を見つけてくれるだろう」


「何を言っているの?」ヴェルはあっけにとられた。


 北砂諸島の伯父というのは、二人の母レイカの兄タクトのことだった。レイカは北砂諸島連邦に属するイエエトの首長ヒデト・ロウアンの娘だった。北砂諸島には数多くの島々があり、複数の国家から構成されている。その中でもイエエトは最大規模で、その首長は実質、北砂諸島全域を代表する王であった。現在はレイカの兄であるタクトが首長を務めていた。北砂諸島の伯父とは会ったことはなかったが、名前はヴェルも知っていた。


 カイルは彼女を無視して話し続けた。「もうひとつの選択肢は、ここに残ることだ。ユズの話では、君には母上と同じぐらい強い聖霊の力があるらしい。だから、それを極めて、母上のように夢見の司を目指すこともできる。だけど、用心はしなければならない。ここの人たちの多くは政治的に中立だろうけど、君は自分の素性を明かしてはいけないし、不注意な言動にも気をつけなければならない。神山にいるすべての人が信用できるとは限らないからね。当然、誰も君を王女として扱ってはくれないし、ちやほやもしてくれない。自分の身のまわりの事は全部自分でしなければならない。だが、その分、君は自分の人生を自分で決めることができる。誰に縛られることもなく自由に生きていける。結婚相手だって、誰かから押し付けられるようなことはない。そもそも、結婚したくなければしなくたっていい。君は僕の意見になど耳を傾けないだろうけど、僕が君だったら躊躇なくここに残るね」


「何、言っているの?」ヴェルは繰り返した。「まるで他人事ひとごとみたいに。あなたは? あなたはどうするの? イエエトに行くの?」


「僕はイエエトには行かない。一時的に身を寄せることはあっても、長居するつもりはない」

「どうして?」


「伯父上には後継者がちゃんといるのだよ。もちろん、行けば面倒は見てくれるだろうし、役に立つとわかれば重宝してくれるだろう。いずれにせよ、僕は自分にそれなりの価値があることを、自分で示さなければならない。それだったら、伯父上を頼ってもそうでなくても結局同じことだろう?」


「だったら私は? 私も伯父上のところに行ったら、自分の価値を示さなければならないの?」


 彼は少し突き放したように答えた。「君は女だからね。政略結婚のコマぐらいしか価値はないだろう」


「私には価値がないというの?」

「伯父上のところへ行けば、君は伯父上の娘たちと同じ程度の価値しかない。君がどう思おうが、それが現実だ。でも、ここに残れば…。君は素晴らしい力を持っているのだよ。聖霊力という力をね」

「では、あなたもここに残るの?」


 カイルは少し呆れたように言った。「クレナ、君は何もわかっていないのだね。ここは聖霊力の強い人が作った、聖霊力の強い人のための場所なんだ。僕みたいに聖霊力のない人間が残ってどうなるというんだ?」


「ないって、どうして言い切れるのよ。私だって、そんなものあるとは思ってなかったわ」

「でも、君にはあった」

「あなただって、あるかもしれないわ」


 カイルは冷ややかに彼女を見つめた。「クレナ、気休めは言わないでくれ。僕に聖霊力がないのは、君だってわかっているはずだ」


 ヴェルは少しどきっとしたが、それを隠して言い張った。「でも、いつか、あなたにだってその力が現れるかもしれないわ」


「僕が知る限り、聖霊力というのは生まれながらのものだ。後天的に得られたという話は聞いたこともない」


 ヴェルも自分の言葉が気休めだとわかっていた。「では、イエエトにも行かず、ここにも残らないのならば、あなたはどうするの?」


 カイルはヴェルと目を合わせず、淡々と答えた。「僕は白鴉はくあの谷に行く。そこで白カラスになるつもりだ」


「白カラスですって?」


 なぜ彼がカラス、しかも白いカラスになりたいのか、ヴェルにはさっぱりわからなかった。


 彼女の考えがお見通しなのか、カイルはうっすら笑みを浮かべた。「白カラスというのはゲルニゼル王国の山岳地帯、白鴉の谷にある軍師養成所で養成される軍師の俗称だよ。鳥のからすのことじゃないよ」


「なんで、そんなところにわざわざ行って軍師になるの?」

「白鴉の谷で養成された軍師が、ありきたりな軍師じゃないからだ。赤の界でおそらく最高の軍師の養成所だといわれている。入学を希望する者は多い。長男以外で家督を継げない者には軍師は人気の仕事だからね。でも、白カラスにはほとんどの奴がなれない。毎年何百人も入学者がいるが、修了できるのは年に十人ぐらいらしい。その代り、そこを修了できて白カラスのマントを得ることができたら、赤の界中の王侯貴族から三顧の礼で迎えられる。白カラスというのは、それぐらい世間から評価されているんだ」


「軍師になって、スオウミを取り戻すというの?」ヴェルは期待を込めて尋ねた。


 カイルはあっさりと答えた。「それは考えていない。現状ではどう考えたって無理だからね。戦争で奪われたものは、戦争で取り返すしかないだろう。でも、僕は軍を持っていないし、傭兵を雇えるほどの財力もない。領土もないし城もない。僕を支援してくれる有力者もいない」


「伯父上は?」

「クレナ、君は北砂諸島がどこにあるのか、わかっているの? イエエトがスオウミの隣国だったら、伯父上は間違いなく僕の後ろ盾になってくれるだろう。僕がスオウミを取り戻すために、兵だって貸してくれるだろう。だが、イエエトとキルドランはあまりに離れすぎている。おまけにキルドランとイエエトの間には、北砂諸島の宿敵であるカラグロイもあるんだよ。そんな中、どうやって進軍して、その先にあるキルドランと一戦を交えるというんだ?」


 カイルが言っていることが正しいのかどうか、ヴェルには判断がつかなかった。わかったことは、彼がキルドランからスオウミを取り戻せるとは思っていないということだった。だが、スオウミで暮らしていた時のことを思い出せば、彼が言っていることはおそらく正しいのだろう。ヴェルは大人たちから、年齢相応の扱いしかされなかったが、彼は違った。カイルが何か話すと、大人たちは感心して褒め、すぐに彼を自分たちと対等だと認めた。それどころか、ときには真剣に彼の意見を求めたりした。そんな時、父はヴェルに向けるのとはまったく違うまなざしでカイルを見ていた。父がどれほど彼を誇りに思っていたか、ヴェルもよく知っていた。


「だったら、どうしてあなたは白カラスになるというの?」

「さっきも言った通り、僕は自分の価値を高めるために白カラスになる」


 やはりカイルの言っていることは、ヴェルには理解不能だった。彼女は自分の考えを口にした。「では、私も自分の価値を高めるために白カラスになる。だから一緒に白鴉の谷に行きましょう」


 カイルはあきれて大きく息を吐いた。「何を言っているんだ? 白カラスが何かも知らない、勉強するのが大嫌いな君が、白鴉の谷に行ってどうするというの?」


「私も軍師になるわ」

「じゃあ、軍師になって、何をするというの?」

「それは、ええと…」


「君は間違いなく訓練所の勉強に一か月もついていけないだろう。それより前に、君の不用意な言動で僕たちの正体が白鴉の谷中に知られてしまうだろう。その結果、起きることを考えたら…。僕はそんなつまらない理由で死にたくないから、君がどうしても白鴉の谷に行くと言い張るのならば、僕は行かないよ」


「どうしてそんなひどいことを言うの? 私と一緒にいるのがそんなに嫌なの? 残された、たった二人の姉弟なのに、そんなに私と別れたいの?」


 カイルは何か言いかけたが、それを飲み込んだ。それまで見たことも無い表情でヴェルを見つめた後、彼はゆっくり話し始めた。「ずっと一緒にいられないことは、君だってわかっていただろう? こんなことになってしまって、考えていたより早く別れる時が来たのかもしれない。でも、こうならなくても、遅かれ早かれ僕たちは別れなければならなかったのだよ。君はどこか他国の王か王子の元に嫁ぐことになり、いずれ母国を去っていっただろう。そして、下手をしたら僕たちは、二度と会えなかったかもしれないんだ。それを考えれば、今ここで別れるとしても、どうということはないだろう?」


 ヴェルは身震いした。「ひどいわ、カイル。どうしてそんな意地悪を言うの? 今まではいつだって、私のことを一番に考えていてくれたじゃない。私の願いを何でも聞いてくれたじゃない」


「そして君は? 君はいつでも自分のことを一番に考えていて、自分の願いを叶えるためなら、僕のことなど、どうでもいいというわけだ」


 カイルは怒っているわけではなかった。彼女を責めているわけでもなかった。彼は淡々と事実を指摘したに過ぎなかった。だが、ヴェルはその言葉に凍りついた。自分の身勝手さを自覚しただけでなく、彼もそれを知っているという事実に愕然とした。だが、ヴェルは素直にそれを認めることはできなかった。


 ヴェルはすくっと立ち上がった。「カイルなんて、大嫌い。もういいわ。頼まないから。好きにすればいいのよ。どこにでも行きたいところへ、ひとりで勝手に行けばいいのよ。あなたの望み通り、もう二度とあなたとなんか会わないわ!」そう叫ぶと、彼女は彼をひとり残し、雲海の丘を駆け下りて行った。

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