4 すきの理由
「別れなさい!」
学園の昼休み。
イリーナは伯爵令嬢の1人から、鋭い言葉を突きつけられていた。
カリスはとにかく女子生徒からの人気が半端ない。彼が校舎を歩くだけで、熱烈すぎる視線が集まる。カリスと目が合った女子生徒がそのまま倒れそうになることなんてしょっちゅうだ。学園の中では、「カリス様に見下されたいファンクラブ」なる謎の組織が形成されているくらいである。
そして、そんな人気ナンバーワンのカリスと、婚約中であるイリーナは嫉みの対象となって当然であり――
「もー、またそのお話ですか! 嫌です」
イリーナはむっとしながら、相手の言葉に答えた。
そこには緊張感なんてものはなく、ふわふわとした緩い空気が漂っている。
「だってイリーナ……わたくし、あなたのために言ってるのよ!?」
王立グルービア学園、ガーデンテラスの一角にて。
イリーナは2人の生徒とテーブルを囲っていた。
1人は金髪をツインテールに結んだ女子だ。青色の瞳はつんと生意気そうに尖っていて、どことなく猫を彷彿とさせる。今しがたイリーナに「別れた方がいい」と突きつけた女子だった。
「まあまあ、ジェーンさん。落ち着いて。私たちが口出すことではないわよ」
おっとりとした口調で告げたのは、もう1人の女子生徒だった。
こちらはジェーンとは対照的に、ほんわかとした雰囲気の令嬢だ。長い黒髪に、眼鏡をかけ、利発そうな顔立ちをしている。ふわふわとした雰囲気をまとっていて、猫は猫でも、こちらはひだまりで幸せそうに眠りこける猫を彷彿とさせる。
その言葉に、ジェーンは納得がいかないとばかりに目を尖らせた。
「まともに会話が成立しない上に、ほとんど目が合わないなんて……信じられませんわ」
と、腹いせのように、アイスティーを飲みほしている。
テーブルの上には豪華な食事が並んでいる。スモークサーモンの載ったサラダ、子羊のテリーヌ、ポタージュスープ、付け合わせのパンはぱりっと焼きたて。これはすべて学食だった。貴族の令嬢、子息ばかりが通う名門校なだけあって、グルービア学園で提供される食事はどれも豪華なものばかりだ。
イリーナは昼休み、いつもこの2人と食事を共にしている。
金髪の少女は、ジェーン・ギャバン。
黒髪の少女は、リリアン・スコット。
どちらも伯爵家の令嬢だ。この学園内でイリーナの一番の友人だった。
カリス絡みでイリーナが他の令嬢から嫌がらせをされると、2人が必ず前に出てイリーナを守ってくれる。ジェーンは「同じ目に遭わせてやりますわー!」と怒り、リリアンはにっこりと笑って、「学園長にご報告させていただきますね」と告げる。それでほとんどの嫌味令嬢は撃退されていくのだった。
しかし、いくら大事な友人からの言葉でも、イリーナにはどうしても聞き入れられないことがある。
それはカリスとの関係についてだった。
「いいこと、イリーナ。お茶会でお互いの顔も見えないほど距離をとらせるって、普通ではないわ。リリアンもそう思うでしょう?」
「それはまあ……確かに。どうしてそんなに離れる必要があるのかと疑問には思いますが……」
「でも、カリス様は私にプレゼントを送ってくださいました!」
イリーナはむくれながら反論した。その耳元では銀の飾りが揺れている。カリスから送られたイヤリングだった。あの日から欠かさずにそれを身に着けているのだ。
「それが不思議なのよねえ。カリスさんって何を考えているのか、いまいちわかりませんわ」
「一説によれば、身に着けるアクセサリーを女性にプレゼントするのは、『いつでも自分の存在を感じてもらいたい』という思いが込められているとか」
「重っ!?」
ジェーンは目を飛び出さんばかりに驚いている。が、イリーナはその言葉に頬をぽっと染めた。
「冷たいのかと思えば、重い男なのかしら……カリス・シュラール……」
「いつでもカリス様の存在を感じられるように……はあ、カリス様……」
「イリーナ、お花畑から戻って来て!?」
目の前で手をぶんぶんと振られて、イリーナはぽわぽわーっとした思いから「は!?」と目を覚ました。
その様子をリリアンはほほ笑ましそうな表情で見守っている。
「イリーナさんは本当にカリスさんのことが好きなのですね」
「それも不思議なのよねえ。あんなに冷たくされて、どうしてそんなに熱を上げていられるのかしら」
「そういえば、お2人にはまだお話したことがありませんでしたね。私……昔、カリス様に命を救われたことがあるのです」
2人の目が興味深そうに光る。
イリーナは静かに語り始めた。
「私、小さな頃にカリス様と誘拐されたことがあって……。すっごく怖くて、私、ずっと泣いていたんです……。でも、カリス様は毅然とされていて。犯人を魔術で蹴散らしてくれました」
「ええ!? 相手は大人でしょう?」
「その頃からカリスさんは魔術を操れたのですね」
「あの時のカリス様はとってもかっこよくて、とっても頼もしかった……今でもあの時のお姿を忘れることができません」
イリーナは目をつぶって、その時のことを思い出した。
『イリーナに、触るな!!』
まだ幼かったカリスの声が蘇る。
あの時のカリスはいつもの無表情が嘘のように、険しい表情をして怒っていた。
カリスがあれほど怒ったところを見たのは、後にも先にもあの時だけだ。
それからだった。カリスと向き合うと、胸がドキドキして、まともに顔を見れなくなってしまったのは。
「そんなことがあったのね……」
と、ジェーンは感心したように頷いている。それから申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめんなさい、イリーナ。別れなさいなんて言ってしまって」
「いいんですよ、ジェーン。私のためを思って言ってくださったのだとわかっていますから」
イリーナはくすくすと笑った。
ジェーンは感情的な面があるが、その一方で素直なところもある。
「ええ、今の話を聞いてよくわかりましたよ。イリーナさんがカリスさんのことをどれだけ好いていらっしゃるのかということが!」
にこにこと笑いながら、リリアンが続けた。
リリアンは大人しそうに見えて、時折、大胆なことを言う。
「もう、リリアンったら!」
だから、イリーナはこの2人のことが大好きだった。
◇
同日の夕方。
「そういえば、どうして君はそんなにイリーナに入れ込んでいるの?」
期せずして、同じような質問がシュラール家ではくり広げられていた。
リュビがちょこんと首を傾げ(同時に長い耳がぴょこんと揺れる)、カリスのことを見上げる。
その周囲はすっかり氷の山に囲まれていた。今日も散々、「イリーナがかわいい!」と思いの丈を吐き出して、カリスは部屋中を氷漬けにしていた。その後のことだった。
「なぜって……」
と、カリスはいつもの無気力な感じではなく、すっきりとした面差しだ。
「……思えば、初めから」
「え?」
「イリーナはいつも僕に笑顔で話しかけてくれた。あの笑顔がたまらなくかわいかった」
「えええ!? 初めから!? 全っ然、そんな風には見えなかったけど!?」
「そう?」
「うん……君って初めからイリーナに冷たかったから。イリーナに話しかけられてる時、『うるせえ!』とか考えているものだと」
「リュビ、口が悪い」
「おっと」
と、リュビは小さな手で自分の口元を抑えている。
「もちろん理由はそれだけじゃないけど」
「へー。じゃあ、なぜ?」
「それは……」
カリスは答えようとした。
が、答えられなかった。
代わりに顔が紅潮し、辺りにとてつもない冷気が満ちていく。
「わー!? カリス、やっぱいい! 答えなくていい! 僕、凍死しちゃう!」
使い魔の慌てた声が辺りに響き渡るのだった。
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そっけない婚約者に毎日笑顔で話しかけたら、いつの間にか溺愛されていました 村沢黒音 @kurone629
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