雨の日には
ここ数日、しとしとと降り続く雨に、さすがに気がめいってくる。
元の世界では、傘をさして雨の中をぶらぶら散歩するのがちょっとした楽しみだったけれど、この世界には傘なんてものはない。
だから、雨が降る日は外には出ないで、家でゆっくり過ごすものなんだって。
そういうものだと、みんなが当然のように言う。
けれど、うちの夫にはそんな「お休み」なんて関係ないみたいだ。
部屋にこもって原稿とにらめっこしながら、「雨だろうが締め切りが明日だから休んでる場合じゃないんだよ」と、ぼさぼさに跳ねた湿気まみれの髪で平然と言う。
こんな日くらい休んだらいいのに、と思いながらも、夫の目にはもう原稿しか映っていない。
この世界には「しとしと便り」という風習があって、雨が降ると「ミルリ」という小さな妖精が手紙を届けてくれるのだ。
雨の日限定で、離れた家族や友人に感謝や近況を伝える温かな習慣だ。
素敵だな、と少しうらやましく思うけれど、私はもう元の世界に戻れない。
家族に手紙を送ることもできないから、ほんの少し寂しい気持ちになる。
しかも、うちに届く「しとしと便り」は、王宮からの原稿の催促がほとんど。
ミルリが小窓をつついて知らせに来るたび、「またか」とがっかりしてしまうのも、ここではすっかり日常の一コマになっている。
でも、今日は少し違っていた。
小窓をつつく音を聞いて「どうせ催促よね」と思いながら行ってみると、なんと小包が届いていたのだ。
包みを開けてみると、夫のお母さんからの手紙と「しずく菓子」が入っていた。
手紙には、お母さんが住む街で最近流行っている雨の日のお楽しみだと書いてあった。
ゼリーみたいに透き通っていて、一口食べると、まるで雨粒がすっと溶けるみたいに口の中で溶けていく。
ほんのりとした甘さと、ひんやりとした香りが口の中いっぱいに広がる、なんとも優しい味だ。
夫のお母さんは、長雨で少し元気をなくしているであろう私を気にかけて、こうして送ってくれたのだろう。
ほんのり甘いしずく菓子を見つめながら、遠くにいるお母さんのやさしい顔を思い浮かべると、なんだか心がじんわりとあたたかくなる。
夫に「手紙とお菓子が来たよ」と伝えると、上の空の返事が返ってきた。
けれど、お菓子の小包にはさっと手を伸ばして、しずく菓子を一粒つまむと、あっけなく口に放り込んでしまった。
ちょっと、それ、私への贈り物なんだけど……と思って文句を言ってみても、夫には全然聞こえていないらしい。
原稿に夢中の夫には、何を言っても届かないのはいつものことだ。
まあ、仕方ないか。残りのお菓子は台所にそっとしまっておいて、雨音を聞きながら、あとでゆっくり味わおう。
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