第22話
家出したことは面接時に言わなかった飯尾の場合。店で面接をするとあの憧れのインフルエンサーの麗奈に会えただけで、嬉しくて更に採用となったことで、毎日、彼女に会えると思ったら嬉しかった。
昨夜はこの歳までニートをしていたことで父親から叱責をされて、頭に来て言い返したことで口論になった後に悔しくて一睡もできなかった。JR広島駅まで行く間のたった10駅たらずだったが眠ってしまった。ガタンッという広島電鉄路面電車の振動で飯尾は目が覚めた、ぼんやりと目を瞬きながら、ジーパンのポケットからスマホを取り出し、待ち受け画面の麗奈の顔を見てにんまりした。
まだ九時前で最寄りの原爆ドーム前駅から広電に乗ってから、10分も経ってなかった。乗客は飯尾の他には15人ほどで、これから学校とかバイトなのか、それともJR広島方面に帰るのか、学生と中年の男性と女性たちで座っていた。
原爆ドーム前駅は1945年(昭和20年)8月6日に広島市に原爆が投下された際、T字型の相生橋は格好の目標になったとされる。爆心地の直近だった当地も、甚大な被害を受け、櫓下変電所は瞬時に倒壊、相生橋の下流にあった広島県産業奨励館も破壊された。
広島電鉄の市内線も全線が休止されるが、己斐方面から復旧が行われ、一か月後の9月7日には当停留場を含む左官町から八丁堀間が運行を再開した。
原爆投下により破壊されたものの、全壊を免れた広島県産業奨励館は戦後、原爆ドームとして保存されることになった。
この原爆ドームおよび広島平和記念公園を訪れる人々への案内のため、1974年(昭和49年)12月に停留場名は相生橋から原爆ドーム前に改称されている。車窓を流れる町々には、人々が行き交っていた。
※
『今日は多くの方々が当、和菓子店 桔平のパートさん募集にご来店いただき感謝しています♪』と麗奈のSNSにメッセージが流れたので飯尾もすぐにお礼のメッセージを送信すると、麗奈から返事がすぐに返ってきた。『ご来店ありがとうございました、五日後の出勤時間は、朝の三時です』
『了解です』と飯尾が返信して再び車窓に目を向けた、「えぇ! そんなに早かったっけ?」と飯尾は面接の時に麗奈の顔ばかり見ていたので良く聞いていなく慌てた。
「だったら、JR広島駅の近くのホテルじゃなくて、この原爆ドーム前駅近辺で宿泊場所を探さなくちゃ」と。
広電の窓ガラスに映るのは、疲れた顔の男だ、昨夜の寝不足と、しばらく伸ばしっぱなしの長髪には、まだ二十代だというのに、生え際のあたりに、ちらりと白いものが見えた。
「そうだ、面接時に社長さんから『床屋に行って短髪にしてから出勤してください』って言われたんだ」と、また思い出した飯尾だった。慌てて次の駅で降りて、また原爆ドーム前駅に戻ることにして、その近辺で宿泊場所を探すことにした。
ネットで調べると、ビジネス旅館があったので予約をした、今までニートをしていたけど、甘い母親から毎月のように小遣いをもらって、それを貯めていたので、ある程度の貯金はあった。
しかしこのままホテルや旅館に泊まりっぱなしで、パートをしている訳にはいかない事は飯尾にもわかっていた。旅館にチェックインをしてから床屋に行ってスポーツ刈りにした。5日後は朝3時出勤なので、なるべく体力を使わないようにしていた飯尾だった、
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