奴隷少女と傭兵ノ

@otogikusako

第1話 奴隷になる少女ト奴隷のおひめさま

間違いなく、愛されていた。

悪路に揺れる馬車の中、名を失った少女はぼんやりと思った。

裕福な家庭ではない。それでも細やかな日常に幸福を感じる程、愛情を受けていた。

全国民が歳を進める建国祭を十回過した幼い少女が自覚できるほど、両親から愛されていた。

自覚に至る要因は幾つもあった。数ある内の一つは五つの頃に弟が産まれた際の話である。家を継ぎ、将来働き手にもなる男手が無事に産まれたのだ。愛が偏っても仕方の無い要因となるが、それでも両親は愛を分け隔てる事無く二人へ注いでくれた。

そんな家族を不幸が襲った。五歳になった弟が、平民殺しを患ってしまった。

平民殺しとは、物騒な名前ではあるもの、軽い時は咳や鼻づまり、喉の痛み程度である時もある。しかし、場合によっては発熱や倦怠感や痛みを伴う場合もある上、最悪は他の病と併発し、名前の通り死に至ることもある。更に、平民殺しは他者へ感染もするのだ。

栄養価の高い食物を与え、安静にしなければ自力での完治は難しい。農作業と販売や物々交換をして過ごす一介の平民に休む日などありはしない。精のつく食事を用意するのも困難だ。辺鄙な村に、一介の農民が医者や癒者を招くのもあらゆる面から見て困難であった。

まず、少女の両親は自身の住む村だけでなく、日帰り出来る近隣の村々へ駆け回った。

当然医療の知識なんてものは持たない少女の両親は、情報を聞き込みつつ少女と弟へ与える食材を優先して買い、時には自作の作物と物々交換して集めていった。

当然、辺鄙な村の近隣住民にも専門知識なんてある訳が無い。それでも藁にもすがる思いであらゆる言伝を信じながら、様々な食事を数日食べさせた。

酷く悪化することはなかったが、快復に向かうこともなかった。

そして、少女の両親はそれに加え農家業もあるのだ。無理がたたるのは時間の問題であった。




当時の少女には、行商隊の来訪を告げる小ぶりの鐘の音は喜楽の象徴の音色であり、聞こえるだけで期待と興奮を覚えさせた。

当然、行商を利用するのは大人達であった。貨幣による買い方以外にも、物々交換にも応じてくれる。親が買い物をしている間、子供達が飽きて大人達の買い物を邪魔することないよう、紙による芝居や楽器の演奏等の芸をする者達が居た。それらを見るのが子供達の楽しみだった

最も、少女にとって喜びと楽しみの象徴であったはずの鐘の音が、絶望を運ぶ悪夢の音色に変わるのはすぐであった。

行商隊が村に留まって、二日目の夜の事だ。

少女宅へ行商隊の責任者が武装した部下を二人連れて訪れた。煌びやかさを感じる昼間のフォーマルな服装から代わり、夜に紛れる為の暗い色の服を纏っていた。


「私はオズワルド商会より、この商隊を任されております。ファイグと申します。お客様と村の皆様の話から察するに、平民殺しを患ってしまった子がいらっしゃる様子。私達にはそれからあなた方を救う手立てを存じております。どうか中でお話だけでも」


ファイグと名乗った行商隊の長は、慇懃な態度を表した。

当然、数日まともな食事も取れず、仕事と看病に追われた両親にこの話は正しく天使の遣わした救いの方舟のようだった。


「席を設けて頂き、感謝いたします。」


病床の弟を除いた家族全員に話があると、少女を含めた三人とファイグがテーブルを囲んで席に着いた。ファイグ付きの二人は家に入らず外で待機している。ファイグが少女を一瞥したのが、少女には僅かに気になった。


「それで、その、病を治す方法を知っているんですか!」


「お、教えてください!どうすれば息子は…」


少女の両親はテーブルに身を乗り出して言った。

ファイグは仮面を貼り付けたような笑みを絶やすことなく、視線だけ少女へ向けた。少女と視線を交えるが、少女は思わず視線を逸らした。何があったという訳では無い。ただ、この大人から何か嫌な予感を覚えた。

そしてファイグは感情の色を載せない声色で告げた。


「簡単なことなのです。医者か癒者をこの村に招けばよろしいのです」


そんなこと、思いつかなかった訳があるか。と父親は内心思った。


「可能であればそうしました。ただ、見ての通り我が家では治療費は愚か、この村へ招く間の護衛費さえ用意できません…」


学術的に人体を治す者を医者と呼び、魔術的に人体を直す者を癒者とこの地方では呼んでいる。別の国では前者を錬金術、後者を神父やシスターと呼ぶ事などもある。

然して、彼、ないし彼女らは都市規模の地域に存在しており、僻地へ招くには護衛も雇わねばならない。旅費。護衛費。治療費。一介の農民にはそのどれか一つですら払えるか分からない。

ファイグは父親の発言をさも予想通りと言わんばかりに一つ頷くと、掌を少女へ向けた。


「そうでしょうとも。そうでしょうとも。なので、その費用を我々が用立てさせて頂きたいのです。そちらの娘さんを我々に売って頂き、その売上金で招くのがよろしいでしょう」


発言の意味が分からず、少女と母親が呆けた表情のまま固まった。一拍置いて、父親が両手をテーブルへ叩きつけながら立ち上がった。


「家族を売るような!そんな真似出来る筈がないだろうが!!」


母親が父親の発した大きな音に一度震える中、少女は未だに呆けたままファイグの言葉が理解出来ず、否、理解したくないが為、心の中でファイグの発言を何度も繰り返していた。


売る。ウル?誰を?私を?ウル?何故?ナゼ?幾らで?売る。家族。家族じゃ、ナクナル?


父親は捲し立てるように続けた。


「第一!娘は物じゃない!!人間なんだ!そんな事、国が認めるわけがない!!」


これだけ大声を上げたとしても、ファイグの仮面は色が変わることがなかった。落ち着き払ってファイグは言った。


「この国の主宗教では子供は十二歳までは神の子とされており、それを法での解釈は成人となる十二歳までは自由市民権のない保護者の所有物と看做しております。つまり、十二歳になるまでの子供は人であり、人に非ず、なのでございます」


あまりにも落ち着いた声色の講釈に、怒りの感情に囚われた父親は、力が抜けて怒りが醒めたのだろう。席へ音を立てて座った。


「故にあなた方が自身の娘を売り払うのに、法を破る懸念は必要ありません。村の方々への説明は奉公に出したと説明すれば宜しいでしょう」


法を犯す事にはならない。それでも、少女の両親には愛する娘を手放す事は看過できる事では無い。母親はまるで護るように、隣に座り心ここに在らずの娘を抱きしめた。そんな二人を父親が視界に収めると、一つ決心するように頷いてから口を開く。


「それでも娘を売るような真似は出来ません。どうかお引取りを」


これで話は終いだ、と再度立ち上がろうとする父親を、然しファイグは掌を向けて引き止めた。


「お待ちくだされ」


生き物が抱くであろう感情を感じさせない貼り付けたような笑みが、深みを増した。

漸く見せた感情の変化。悪意を孕んだような気色の悪い笑みに、少女は、コイツは本当に人間だったんだな、と思わせた。


「最早、何も話す事など…」


少女の両親の意思決定は既に済んでおり、交渉の余地は何処にもない。そう切り捨てようとした。

が、ファイグの次の行動に目を見張る事になる。

テーブルへ音を立てて雑に放ったのはこの国の貨幣の中で最も高価な金貨であった。

この国で使用される貨幣は銅貨、銀貨、金貨であり、金貨は主に貴族や大きな商会が貴族との商売に使用される程度であり、農民等は生涯見ることもないだろう。

その金貨がテーブルの上へ散りばめられた。

両の手の指を使っても数え切れない量の金貨に少女の両親は目が飛び出でる程に見開いた。


「お嬢さんの価格でございます。アダム金貨にて二十五枚。これだけあれば、医者らを招き、治したとて余りが出るでしょう」


あぁ、と少女はため息を着くように呻いた。少女の感じた絶望が音となって口から漏れ出てゆく。

少女には分かってしまった。金が置かれた途端に離れた母親の温もりの意味が。父親だった存在と母親だった存在から向けられる視線の意味が。

あれは、商品を観る、目をしていた。




少女の記憶はそこで途切れていた。

二頭の馬で一台の荷車を牽引する馬車を五台の商隊、その真ん中に位置する馬車へ少女は積み込まれた。

死んだような眼で一点を見つめ、力が抜けて動かない少女はまるで糸の切れた人形のようだ。しかし、少女の視界の隅に動く影を見つけ、少女はそちらへ目だけを動かした。

悪路に揺れる荷台の中、覚束無い足取りで少女へと近づく人影。少女の視界に、少女と同じくらいの小さな素足が映りこんだ。


「貴方が新入りの荷物ね?」


少女は鈴の音のような綺麗な声だ、と思った。

顔を向けると、驚きに目を見開くこととなる。芝居やお話でしか聞いた事のない、お姫様のような少女が平民の自分が着るようなボロ布一枚を身に纏って立っていた。

外で遊ぶか仕事の手伝いをしてる、焼けた自分の肌とは比ぶべくもない透き通るような白い肌。手入れをすることの無い荒れた髪ではなく、絹のように滑らかな小麦色の御髪。正しく育ちが違う、正真正銘のお姫様。


「お、お、お、お姫様…?」


絶望すら忘れ、思わず声が上擦った。


「姫様…?どちらの殿下と間違えたのか知らないけれど、そんな高貴な方がこんな所に居るはずがないでしょう」

呆れの色を隠すつもりを一切出すことなく白い少女は言った。


「でも、お話とか紙芝居とか…そういうので聞くお姫様と同じ姿をしてるから…」


平民の少女の言を聞いて、成程と白い少女は納得し、頷いた。


「確かに、私達のような貴種にあたる人間は肌が焼ける程、外に出ないから肌は白いままだし、髪質も貴方達と違うわね」


白い少女は平民の少女の隣へと眉を顰めるながら座った。

平民の少女にはお姫様にしか見えない白い少女が物語の登場人物にしか思えず、興味が溢れてくる。他の高価そうな荷物達と同じように物言わぬままとはいかなかった。


「ねぇ!お名前なんて言うの?」


まず互いの名前を知らなければ、呼ぶのに不便でならない。会話というコミュニケーションをとるのに踏むべき最初の段階であった。

しかし、平民の少女の言葉を聞いた白い少女は首を横に振った。


「注意なさい。貴方も、私も、もう名前なんて、ないのよ。持っていないの。売られた商品なの。荷馬車の外で名前なんて名乗ってはいけないわ。どんな躾をされるか、分からないもの」


好奇心で満たされた平民の少女の視界は、またもや絶望の闇に支配されることとなる。頭の中に霧が掛かったように思考が鈍くなり、平民の少女は思わず俯いた。

平民の少女が絞り出す声は、先の見えない不安に震えていた。


「ねぇ……あたし…あたし達…これからどうなるの…?」


そんな平民の少女を一瞥することなく、白い少女は平静を保った声で答えた。


「一般的な商人、または奴隷商人ならば私達を奴隷として扱うための登録と印を付けるために、一度本部に戻る、筈よ」


筈の部分を妙に強調した事が含む意味有りげに聞こえ、平民の少女は俯いていた頭を上げて白い少女へ向けられた。

視線が合うと、器用に片眉を上げた白い少女は続けた。


「貴方が幾らで買われたのか、は知らないけれど。少なくとも、私は、相場に詳しくないけれど非常に高く買い取ったみたいね。元貴族だとしても、高すぎる程」


それが何を意味するか、平民の少女には分からず首を傾げてみせた。


「奴隷、と言うのはね。少なくともこの国では、商品として販売か貸与する場合。何処の商会の奴隷出身か分かるように事前に国へ登録と魔法、又は焼きごてで印を入れる決まりがあるの」


平民の少女は目を丸くしつつも、首を傾げる事は辞めた。理解しているかどうか疑わしい者を見るように、白い少女は目を細めるも続ける。


「つまり、一目見てどこの奴隷か分かるの。故に商会は奴隷の健康維持は勿論、教育もしっかりするわ。一目見て出身がわかるようにする以上、商品の評判は伝播していくから」


「な、成程…?」


「だからこそ、腑に落ちないのよ」


「えーっと…何が?」


やはり再度、首を傾げる平民の少女に呆れた視線を投げつけた。平民の少女は申し訳なさそうに小さくなる。

構わず、白い少女は言った


「私が高価な値段で買い取られた理由、よ。奴隷という事業は、健康維持も教育も含め、兎に角、売るにも貸すにも費用が掛かる物なの。利益を得る事が第一の筈の商会が、私達で利益を得られるのは何時になる事か。私達は、一体何をさせられるのかしらね」


「う〜ん。分からないけど」


「けど?」


「大人の人みたいな難しい言葉ばっかりでよくわかんないや。なんか村でおチビが背伸びして大人の真似してるの思い出してかわいいね!」


白い少女は生まれて初めて、怒りという感情を抑えるのに苦労するのだった。




馬車での移動はどうしたって揺れるものだ。小さな石の上をタイヤが通れば跳ねる事もある。揺れによるダメージを抑える為、座席のある荷車だったり、クッションを用いたりするのだが、生憎と少女達が乗っているのは商品を詰めておく為の荷車であった。当然、人が座るのを想定しておらず、少女達は酔いと臀部の痛みに苛まれた。

その馬車が揺れなくなって、かなり時間が経った。荷車を覆う布から陽の光が差し込むこともなくなった。


「ねぇーこれって休んでるって事だよねぇー」


随分気安くなったな、この娘。と白い少女は思いつつも、相手をしてやることにした。


「そうね。日も落ちたみたいだし、宿に着いたのか、野営しているのか。野営にしては火の音が聞こえてこないし、馬から荷車を離したみたいだし宿に着いた、でしょうけど」


「ねぇ、あたし達も外出てみようよ!」


「止めなさい。折檻されても知らないわよ」


「また難しいこと言って。せっかんって何?」


知らない言葉に不服を漏らした。少女の表情を予想して、白い少女は小さく笑った。


「鞭で叩かれて怒られるって事よ」


最も、商人らが鞭を使うのか、知ったことではないが。と白い少女は心の中で付け加えた。鞭より痛いもので叩かれる場合もあるかもしれないと思う。


「あたし達も疲れたし眠いよ。宿に泊まりたいっ!」


「貴方ねぇ。そこらに転がってる宝石やら絵画に宿を手配すると思う?」


白い少女の発言に、納得出来ないと頬を膨らませて少女は言った。


「あたし達、人間だもん」


「残念ながら、この国の法律は売られる前も、売られた後も、私達を人間として扱ってくれないの」


今はもう、商品。そこらに転がる物と一緒。と白い少女は感情を隠した声色で告げた。

それからどれ程の時が流れたのか、少女達には知る由もない。睡魔に頭を侵された少女の弱々しい声に、白い少女が律儀に答えているうちに、どちらからか寝息が聞こえてきた。片方が夢の世界に堕ちれば、もう片方が耐えられる道理は無かった。

そうして更に時の流れの証左のように、布地を陽の光が網目を縫って荷車の中を僅かに照らす。人が生活するに足りる光量にまるで足らず、少女達を起こすには至らない。

睡眠が不足した少女達を睡眠から叩き起こすのは、馬車の揺れであった。

頭が叩きつけられる感覚で起床させられ、精神的苦痛と寝不足、空腹が相まって二人の顔色は死体のようだった。

一人ではない。その事実は、二人の少女の心を確かに上向きはした。しかし、揺れて、跳ねて馬車に打ち付けられるのは何も少女達の幼い身体だけでは無かった。親に売られた、という現実も少女達に打ち付けてくる。

少女達の心を、再び絶望がゆっくりと締め付けた。


「降りろ」


絶望と空腹は躾という点で大いに効果を発揮したようだった。

特に抵抗することも、駄々をこねることも無く荷車を降りた二人の少女の前に現れたのは貴族の豪邸だった。

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