とある底辺配信者の、あるなつの物語

セラ

あるなつの物語

 彼女との出会いは、単なる偶然のはずだ。

 ――だがこれが、運命だったらいいなと俺は思った。


 深夜二時。誰もが眠る丑三つ時。小さな画面の向こう側。そこに彼女はいた。


 暑い季節の名を持つ美女。

 向日葵を思い出させるような、黄金に艶めく金の髪。雪のような白い肌。雨上 がりに咲く薔薇のような、瑞々しく赤い唇。


 そして……寂しげで、憂いを帯びた瞳。


 彼女は何を言うでもなく、じっとこちらを見つめていた。

 どうやらここには俺しか居ないらしい。

 見ず知らずの女性だ。いつもなら、さっさと立ち去ってすぐに布団に潜り込んだはずだ。

 だが俺は、彼女の寂しげな瞳が気になって、その場を離れられずにいた。


 彼女は俺に気が付いたのか、おもむろに赤い唇を開く。


「初めまして。……まさっち、って呼んでもいいかなぁ?」


 これが、彼女との最初の出会いだ。




 俺の名はマサヒロ。表記は☆MASAHIRO☆だ。すごく痛々しい名前だろ? もちろん本名じゃない。ライバーネームだ。痛々しいのはわざとだ。名前を覚えてもらう為である。


 そう、俺はしがない新人のイケメンライバー(配信アプリに搭載されている加工の効果込み)だ。配信者である。ちなみにきめ台詞もある。今宵も月が綺麗ですね、だ。雨だろうが曇りだろうが、たとえ昼間だろうが関係なくこのセリフである。俺の配信場所からは、いつでも月が見えるんだよ! そういう設定なのだ!


 このくらいキャラ付けしないと、配信業界では生き残れないのだ。

 ……俺は生き残れてないけど。


 ライバーと言っても、リスナーはほとんどいない。だから俺はもしかすると、ただいつも同じ時間に配信をつけているだけの素人かもしれない。


 配信なんて、誰でも簡単に始められる。アカウントを作って、配信ボタン一つ押すだけだ。スマホ一つあれば、誰でもすぐに始められる。配信者かどうかなんて、ボタンを一つ押したか押さないかだけの違いしかない。


 その日も俺は、誰が来ることもない配信を終えたところであった。いつもならその後はすぐに寝るところだが、その日はなんとなく眠れずにいた。


 折角だし、他の人の配信を見てみようか。何か自分の配信の参考になるかもしれない。過疎配信から脱却したいと思った俺は、いろんな配信を覗いてみる事にした。


 しかしどの配信を見て参考にすればいいのか、俺には全く分からなかった。だから配信に入っては抜け、入っては抜けを繰り返してばかりいた。そしてあっという間に深夜二時に。


 そんなときに見かけたのが彼女だ。


 ――暑い季節の名を持つ女性配信者、N。


 彼女もまた、俺と同じ新人過疎ライバーであったようだ。深夜という事もあり、枠には俺一人しかいない。 


 配信というのは普通、それなりに気合が入るものだ。不特定多数の人に顔を晒すわけだから当然だ。しかも、来てくれた人たちに気に入られなければいけない。だから当然、女性配信者の多くは服装やメイクにかなりこだわりがある。


 しかし彼女は他の女性配信者とは違い、そういうこだわりは無いように見えた。ノーメイクにパジャマ姿で配信を行っていたからだ。リスナーがいないからそのような姿だったのか、そのような姿だからリスナーがいなかったのか。そんな姿でも、とても可愛らしいと俺は思ったが。


 とにかく新人ライバー同士だった俺たちは、すぐに打ち解けた。


 配信の事、プライベートの事、子供の頃の事、将来の事。俺たちはたくさんの話をした。お互い過疎ライバー、二人きりの配信だったが、とても楽しかった。そうして徐々に仲を深めていった。


「一緒に配信を頑張ろうね」


 彼女はそう言った。しかし配信は、そんなに簡単ではないのであった。




 魅力的な美人ライバーのNと出会ってから、数週間が過ぎた。その間に俺たちはさらに仲を深めたが、しかし二人きりになるのは難しくなっていた。

 Nのリスナーが増え始めたからだ。


 思えばNは、美人で魅力あふれるライバー。今までリスナーがいなかったことの方が不思議だったのだ。配信時間も夜遅い時間から早めに変え、メイクをするようになったことも影響があるかもしれない。


 彼女に比べ、俺は未だに過疎ライバーだった。なかなかリスナーが増えないのだ。だからだんだん焦り始めていた。俺たちが仲良くなれたのは同じ境遇だったからだ。しかし、俺は徐々においていかれようとしている。このままではいけない。必死で配信するが努力は一向に実らない。


 配信は努力だけで何とかなるもんじゃない。容姿、トーク力、企画力、そういったセンスに加え、運の要素も必要だ。そういったものが俺には欠けていた。


 ――俺は、徐々にNの配信に顔を出さなくなっていった。




「ねえまさっち、なんで最近あんまり来てくれないの?」


 俺の配信に遊びに来たNが言った。


「ごめん、最近忙しくてさ」


 俺は嘘をついた。本当は、配信が上手くいっている彼女に合わせる顔がなかっただけなのだ。


 それに......。


 俺は、彼女の配信に行くことが辛くなっていた。


 前は二人きりになれた配信も、今は彼女の枠には多くのリスナーがいる。当然、彼女はそのリスナーたちと仲良くしている。


 俺は自分の配信があるから、あまり彼女の配信にいられない。それにギフトをたくさん投げることも難しい。


 それに対して彼女のリスナーたちは配信に張り付き、たくさんのギフトを投げる。そうなれば当然、彼女はリスナー達と深い仲になっていく。


 俺はNのリスナー達に嫉妬するようになっていた。自分以外のリスナーと仲良くしている姿を見るのが辛い。


 もちろん彼女は今まで通り俺とも仲良くしてくれるが、それだけでは満足できなくなっていた。


 なぜなら俺は......俺は、Nのことを好きになっていた。




 Nの配信にあまり顔を出さなくなってから、さらに数週間が経った。俺はあまり顔を出さなくなったが、Nの方はよく俺の配信に遊びに来る。俺の配信はリスナーが少ないので、いまだに二人っきりになる事もある。


「まさっち、まだ忙しい?」


「本当にごめんな、最近ずっと忙しくて」


 俺は嘘をつき続けていた。一度嘘をつくと、本当のことを言えなくなってしまう。嘘で嘘をごまかし続けていた。


 本当の事なんて、言えるわけがない。

 好きになったから見に行くのが辛いなんて、言えるわけないだろ……


「でもさ、Nの配信は順調じゃん。別に俺がいかなくても――」


「順調じゃ、ないよ?」


「……え?」


「全然、順調なんかじゃ、ないの!!」




 その後、俺は最近のNの配信について話を聞いた。リスナーがたくさんいるから順調だと思っていたが、それは俺の思い込みだったらしい。俺があまり配信に行かなくなった間に、質の悪いリスナーがいついてしまったようだ。


 そいつがセクハラや下ネタでコメント欄を荒らすため、配信の質が悪化してしまったらしい。いつも来てくれるし、ギフトもくれるからあまり強く言えずにいたら、どんどんエスカレートしてしまったようだ。そのうちしつこくDMまでくるようになってしまったらしい。


 悩んだ末、結局その人をブロックしたそうだが、その後もアカウントを変えて何度もやってくるという。そのため配信が荒れてしまっているようだ。


「……まさっち、私どうしたらいいの!?」


 話を聞いた俺は覚悟を決めた。


「なあ、オフ会をしてみないか?」


 彼女は遠く離れた北の大地に住んでいる。こんなに離れた場所からでは、彼女を助けてあげる事は出来ないんじゃないかと思った。


 だから俺は、彼女に直接会いに行くことにした。会ったからって何かが解決するわけじゃない。けれど、何かをしてあげたい、助けてあげたいと思った時に、画面越しではあまりにももどかしかった。だから、会いたい。


 もっとも、彼女が、俺に会ってもいいと思っているならだけど――




 どんな場所でも、季節は等しくめぐる。

遠く離れた北の大地。この極寒の大地にも、暑い夏がやってくるらしい。


 日差しの強いある夏の日。俺は北の大地に降り立った。二人だけの、小さなオフ会のために。待ち合わせ場所は、どこにでもある普通のファミレス。


 少し早く着いた俺は、そこでしばらく待つ。なんだか、妙にそわそわしてしまう。するとやってきたのは、一人の女性。画面越しでは分からなかった肌の質感。小さな画面には映りきらなかった、彼女の全身。けれど、間違いなくその姿はNそのもので――


「まさっちだよね?」

「N?」

「うん」


 彼女は浴衣を着ていた。普段は明るい彼女が、なんだか今日はおしとやかに見える。いつもと違うその姿に、すごくドキドキしてしまう。


 俺たちはファミレスで、色々な話をした。画面越しでは話せなかった本音、配信の事、リスナーの事。時にはお互いの事をからかったりして――


「そろそろ行こうか」

「うん、そうだね。そろそろ始まるから」


 何故オフ会をこの日にしたのか。実は理由があった。実は今日、ここで夏祭りがある。せっかく会うのなら、一緒に夏祭りを見に行こうと俺たちは約束していた。


 夏祭りに参加して、いろいろな出店を見てまわる。食欲を抑えられず、いろんなお店で買い食いするN。両手に食べ物を抱えるNを、太るぞとからかう。すねるけれど、楽しそうなN。俺もつられて、いつのまにか笑っていた。

 そうしてあっという間に楽しい時間が過ぎていく。そうして、いつの間にか夜になっていた。


「そろそろ行かないと」


 まだ別れたくはない。けれど、これ以上一緒に居たら飛行機に間に合わなくなる。帰れなくなってしまう。まともに泊まれる場所だってないだろう。


「待って! お願い、もう少しだけ。もう少しだけ一緒に――」


 そう言って、抱き着いてくるN。彼女の瞳は潤み、暗がりの中でも分かるほど頬が赤くなっている。こんな彼女を、置いて帰ってもいいのか?


 俺は――


→帰る

 帰らない




 それから。

 俺と会って、心の中にたまっていたものを吐き出したおかげなのか、あるいはたまたま一時的落ち込んでいただけなのか。Nはすっかり元気になっていた。


 元気になったNは、たちの悪いリスナーも軽くあしらえるようになったみたいで、あしらっているうちに居なくなったみたいだ。そうなると、彼女の配信はますます盛り上がるようになっていった。


 そしてNと俺が直接会うことは、その後二度となかった。あまりにも住んでいる場所が離れすぎているというのもあるし、ただのリスナーと配信がこっそりあうというのも問題がある。一人のリスナーを特別に扱えば色々な不都合があるだろう。


 そう、Nはもう気安くただのリスナーが会っていいようなライバーではなくなっていた。彼女はそれほどの人気者になっていた。かつて深夜に寂しそうにしていた姿はもはやない。


 そして俺は、すっかり配信することをやめていた。彼女とは違い、自身の才能のなさに気が付いていたからだ。ちょっと、自分でも痛々しいと思っていたのだ。


 俺とNの道は、一瞬すれ違っただけだったのだろう。あの日の事は、ただの思い出にしておくべきだ。暑い夏の日の思い出に。


 そして俺は配信をやめて、ただのサラリーマンに戻た。ありがたいことに、別れを惜しむ声も少しだけあったけれど。


 しかし配信をやめても、誰かに自分の思いを伝えたいという気持ちが心のどこかにあった。配信は、自身の思いを、リスナーに、人々に伝える行為だと俺は思う。けれど、それは配信じゃないとできないことだったのか? よく考えてみれば、そうではない気がする。


 そうだな、今度は思いを文字にしてみようか。小説を書いてみるというのも悪くはない。ちょっと自分には似合わないけど、ラブストーリーなんかいいかもしれない。好きな女性の名前とか借りたりしてさ。そのまま使うとまずいから、頭文字だけ借りようか。


 もちろんヒロインは、夏の似合う女性にして――


――完――




 番外 ある底辺配信者の月の無い冬の夜。


 深夜一時。多くの人が眠りにつく時間だ。


「ねえまさっち、空をみてみて」


 ろくに人がいない俺の配信。その終わり際、Nがコメントをした。俺は少し席を外し、カーテンを開ける。曇り空だ。漆黒の世界が広がり、星一つ見えない。


「見てきたよ」

「今夜は満月なんだって。綺麗だよね」

「……ああ、そうだな」


 楽しそうなN。俺は星一つ見えなかったことなど、言えなかった。


「不思議だよね。こんなに遠く離れてるのに、同じ月が見れるなんて。配信っていいね、一緒に見れてよかった」

「本当にな。じゃ、そろそろ切るよ」

「うん、またね」


 俺は嘘をつくのが気まずくなって、話を切り上げてから配信を切った。


 再び窓を開け空を見る。やはり月は見えない。俺はスマホで天気予報を調べ、ため息をつく。俺の住んでる場所は、今夜はかなり冷え込むらしい。しかもずっと曇りのようだ。Nと俺が住んでいる場所の距離が、あまりにも遠い事を痛感する。


 時間がかかりそうだ。あるいは今夜は見れないかもしれない。それに、外はかなりの寒さだ。それでも覚悟を決め、まずはコンビニに行く。


 Nは、苦いから苦手と言っていた缶コーヒー。熱いホットコーヒーを買って、温まりながら冬の寒い公園に行く。


 ベンチに座り、誰もいない夜空の下で缶を開ける。小さな音がプシュと響く。

量が少ない缶コーヒーがなくならないように、温まりながらちびちび飲んでいく。缶コーヒーのおかげか、あまり眠気はない。


 それからどのくらい時間がたっただろうか?


 手足は冷たくなり、とっくに缶コーヒーも無くなっていた。おそらく一時間以上経っている。普段ならとっくに寝ている時間だ。


 だが、待っていてよかった。雲の晴れ間から、綺麗な満月が夜空に顔を出していた。


 これが、Nが俺と見たかった満月か。

 今夜、Nと同じ月が見れてよかった。


 俺は少し眠くなって重くなった瞼を閉じ、Nの事を思い浮かべながら思った。


 月が綺麗ですね、と。

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