夏の部屋

広瀬優曇

夏の部屋

―例えばそれは、透明少女―


 つぶやいて再生装置を起動させる。今時各ご家庭から姿を消しつつあるCDプレイヤーなるものだ。このバンド、好きになった頃には解散していた。向井秀徳に憧れてあんな風にタバコを吸ってみようにもこのご時世。アイコスで妥協。こんなはずじゃなかったなんて一日につき五回くらい言う人生だがまあまあ生き延びている。だがしかし、そろそろ死なないとロックな早死に含まれなくなる。若さも価値がなかったこの身、若さを失ったらどこに向かうのだろうか。浪費家ゆえ貯金もない。アイコスもうめぇ。


―彼女は「すずしい」と笑いながら夏だった―


 半透明の窓から見える円盤がぐるぐる。キャトルミューティレーション。リビングに水を飲みに行った君はそのままぐったりしている。電気をつけずにそのままの部屋は窓からの光のみ。君は「暑い」と喚きながら夏だった。不機嫌な横顔を眺めながらアイコスを咥えた。


 僕には同居人がいて、結構好きで、いや恋心とかじゃなくて、しょうもなくて、毎日幸せだった。そんな君とはなんとかならなくて、広い部屋に今僕だけがいる。

 あの頃の自分、隣に君はいますか。隣でぐうたらゲームをしていますか。そうですか。


 君は「じゃあね」と一言。それ以来。蝉の声はどんな方法を使ってもノイズキャンセルできない。人工の風に任せっきりの人生。君好みの温度設定のまま今日もゲームをしている。楽しい。君の冒険の記録が途中だったから続きを勝手にやっている。君がつける名前はいつも変。冒険に感情移入ができないまま一日が終わった。明日は僕の仕事の記録の途中を始めなければ。ダラダラと動画を見て夜更かししておやすみと言わずに勝手に寝た。戸一つ隔てたあの部屋からは布団のもぞもぞする音も聞こえない。静か。


 友達とバッティングセンターに行った。いつも路上で缶チューハイを持って飲んだくれているやつとは思えない凛々しい勇姿にちょっと惚れた。一緒に飲んだあと、待つ人がいる家に帰る。ベロベロの僕らを君は「汚すなよ」の一言で許してくれた。三人でいつものように騒いでそのまま寝落ちしていた。こんな無理矢理延命させたような青春のロスタイムにも終わりが見えると蛇口をひねった。流石にもう真面目に生きないといけない。この最後の若さはキャリアのため、家族を作るために残されているものなのだろう。こんなところで浪費するための命ではない。それでもどうしようもないのが僕なのだ。

 

 僕はあの黒のリッケン4003ってベースが欲しい。でもまだそこまで上手くない。夢だけは高めに設定しておいて今日も徒然。だらだら弾いていればどこからか歌が聴こえてくる。僕のベースに合わせて歌っているのか、少なくとも練習している曲とは全然違う曲を熱唱している。それでも君の歌声があると楽しいからいい。それでいい。


 君の隣に僕以外のやつが今いるのだとしたらそれはとても悔しいことだ。そいつをぽっとでの癖にと罵るだろう。恋愛関係だけが唯一の存在になれるわけじゃない。僕の愛が恋に劣るわけがない。真剣に君と生きていたもの。僕は虫が苦手だし、料理も下手だから頼りにならなかったかもしれない。でもそれでも同じテレビで金ローを見て泣いたのだ。


 君との部屋もだいぶ片付いた。フローリングの上でアイコスを吸いながら今日もナンバーガールを再生させていた。


 その嘘くさい笑顔が好きだから。また見せてほしい。君が買ってくれた帽子をかぶって梅田駅で待っているね。いつ会えるかわからないけど。君はどの梅田駅を梅田駅の正解とするのだろうか。そんな話もしたい。


 宇宙の話が好きな君は僕にいろんなことを教えてくれる。しかし毎度いまいち思い出せない。もっとよく聞いておけばと思うが難解なのだ。君は僕の理解度お構いなしでマシンガントークさ。筑波にある宇宙のなんかの施設に行きたいらしい。そのために仕事を頑張っているみたい。それより僕は君と応援している球団の本拠地に一緒に応援に行きたい。ただのルームシェアと外でも会うのは鬱陶しいということで却下になった。今日の応援チームは見事に完封負けしていた。


 君は「すずしい」と笑いながら夏だった。死ぬ前に好きな景色を見られるのならこの瞬間だと思った。明日には青春の死を迎えているかもしれない。ただ、それでも今日がまだ夏ならば。夏ならば。


―とにかくオレは気付いたら夏だった‼︎―


 今日は君を家に置いてお仕事。ずっと家にいれたらいいのに。君は寂しいのか清々しているのかわからない表情で見送ってくれた。君は外に出られないからよっぽど自分よりつまらない昼を過ごすだろうに。帰ったら精一杯遊ぼう。


 君との日々は一喜一憂全ていとしい。君のご飯のために僕は働き続けることができる。君の面倒を見るために家に帰りたいと思える。すらりと美人な君は人見知りで僕以外の人と滅多に会いたがらない。独占されていてちょっと嬉しい。この君を撫でる時間が至高だ。上も見ないし欲張ることもない。これだけで十分だと撫でる。


 君と引っ越すことになった。仕事の関係で上京することになった。どこの梅田駅にも僕はもういない。東京は下北沢。あそこはちょっと大阪に似ている気がするから好き。しかしこの都会はどこまでも冷え切っていて僕の家以外温度も色もない。冬の北海道、曇りの田舎の漁村みたいな。見たことないけど。淀んだ世界で君と生きる。アイコスを片手に東京の空気に二酸化炭素を増やしてみた。君は余裕そうに体を丸めて寝ている。


 風邪をひいた。友達もまだいないこの街で風邪とは心細くて仕方ない。君は心配そうにそばにいてくれる。それだけで十分だと撫でる。


君が東京に来た。


君は元気そうだった。


「猫と暮らしているんだね。楽しそう。」


君とは違う家に帰った。


君が玄関で出迎えてくれた。





引用:ナンバーガール「透明少女」

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