第13話 過去経て未来を想う

 夢を見ている。

 昔の弱かった伊織がそこにいた。子供の頃の伊織。

 泣くことしかできない、弱い自分。


 その日伊織は父に連れられて、胴衣を渡された。

 意味がわからなくて、チンプンカンプンで。

 結局日が暮れるまで泣き腫らした。


 困惑顔の父に伊織も別に困らせたいわけじゃなかった。

 自分が制御できない。

 伊織の恐怖はそこにあった。

 できないことが悲しくて、その度に頬を濡らした。


 やらされる内容の恐ろしさに泣いていたことは確かである。

 何せ三日間、山で飲まず食わず生き抜いてみろなんて、現代で生きてきた伊織には途方もなくて……何をするにも知識がなくて、そして自分の視界は不明瞭だった。

 なぜいきなりスパルタ指導をする気になったか、伊織当人は全く知らなかったのである。


「……なさい、起きなさい」


 肩が揺らされ、意識を覚ます。

 ああ、夢から覚めていく。

 はっきりと夢だと認識している過去の弱かった伊織は、今の自分を見返して、にっこりと笑った。


 自分はもう、弱くないのかな?

 伊織は自分に問いかけるように質問し、しかしその質問の答えは持ち合わせていなかった。

 視界が開く。目の前には見知った顔。


「あれ、僕?」


 いつの間にか眠っていた。

 寝ていたのは近くしている。あれが夢であることもなんとなくわかっていた。

 しかしそれを証明するほどの言葉や蘊蓄を持ち合わせていない。

 伊織ははっきりと学がなかった。


:すごいぞ! 感動した

:うぉおおおおおおお! 日本は小さな剣士に守られたんだ

:手に汗握る戦いだった!

:俺も剣術習ってみようかな

:オイも

:わしも

:おいどんも


 歓声があった。

 ダンジョンを割らんばかりの声援だ。

 何かお祭りかな? 伊織はあたふたしながら周囲を見渡すけど、それらしい物は一切見当たらず。

 というか自身の視力がクリアなことに驚いている。

 以前までははっきりとしてなかった視界が、今では随分と澄み渡って見えていた。


 かちゃり。胸に見知らぬアクセサリーを感触で察知する。

 それは轟々燃えたぎる炎が如く、赤くゆらめいていた。

 その魔石は……見覚えがあった。


「そっか、僕。スーちゃんとお別れしたんだ」


 抜け落ちていた記憶が、みるみると蘇っていく。

 これから一緒に遊ぼうと、そう誓い合った仲間の命を奪った。

 他ならぬ自分の収めた術で。

 それが何よりも悲しい。

 命を奪わぬ道もあったのではないか?

 失った後ではいくらでも言い訳が思いついた。


 戦っている時に思いつけよ。そう思ってしまうほど、バトル中の伊織は、楽しさを優先しすぎるきらいがあった。


「あなた、大丈夫? 顔色がすぐれないわよ?」

「お姉さん」

「お姉さんはやめなさい。私はあなたと同年代、同じ年齢よ」

「え?」

「そのすっとぼけた顔、ムカつくわねー。23歳にもなればこのくらいの体格だし、胸だって育つものよ?」

「僕は男の子だから胸なんてそだ……痛い痛い痛い。何するのー」


 こめかみをゲンコツでぐりぐりされた。


「あら? あなた。その左目」

「え、僕の左目がどうしたの?」

「いえ、なんでもないわ」

「え、途中でそんな表情されたら気になるー」


(この目、間違いないわ。先ほど戦ったあの鬼と同じ灼眼。どうしてこの子の瞳にこんなものが?)


 百合は偶然か、はたまた必然かというように首を捻り、すぐに何も見なかったことにした。今はこの出来の悪すぎる妹みたいな同級生を擁護するように立ち回る。

 あまりにも世間知らず。そしていまだに自分を男だと認識しているのか、着衣がはだけてサラシを巻いているしかない胸部が丸見えになってもなんら恥じらう姿勢を見せない。


 これは今から修正しないと衆人環視の前で着替え始めかねない怖さがあった。

 百合は記憶を遡る。

 子供時代、道場に通っていた記憶。

 随分とボーイッシュな女の子は、男まさりにも程があるくらいに男の中に混ざって生活をしていた。

 しかし男性のシンボルなどなく、随分と馴れ馴れしいボディタッチが続く。

 下心があるのかと勘繰る百合だったが、実際には視力が悪いという事実に行き着いた。


 門下生の男性陣はそれを受け入れることで仲良くなっていた。

 相手がタッチしてくるのなら、こちらもタッチしてかまわぬという下心を携えて。

 しかし伊織は一切動じない。

 それこそ男同士のじゃれ合いみたいな対応だった。

 反応しない女に、男は興味を示さない。

 反応するからこそ、それを楽しむのだと理解した男性陣たちはすぐに伊織から興味をなくした。


 なぜ、仲良くしてくれないのかと理解できない伊織は、ますます剣に打ち込んだ。

 負の連鎖がそこにはあった。


 予定外とはいえ、番組は最高の形で収録を終えた。

 ほっと胸を撫で下ろす百合であった。


 それから。

 伊織は社会常識を覚えさせるべく、一時的に百合に預けられた。

 葵は胡散臭いものを見るように双子の姉を見つめている。

 あんなに恨みがましい相手を匿うなんてどうかしている。

 批難の目がそこにはあった。


「今は我慢よ、葵。こんなんでもあの極悪なダンジョンを救った英雄様なの。実際に多くのリスナーがそれを確認している」

「でも姉さん、当初の目的では橘流を潰すって」

「状況が変わったのよ。この子がカメラの前に写ってしまった以上仕方ないわ。敵対するより、味方の方が仕事も入ってきやすいもの」

「姉さんは本当に計算高いよね。ずるい」

「どうとでも言いなさい。私は長女よ。家を守る義務があるの」


 双子だけどねー、と拗ねる葵。

 対して伊織は借りてきた猫みたいに居住いを悪くしていた。

 何せオンボロ道場とは比べるまでもない豪邸。

 そこに置かれて、身動きが取れなくなっている。


「僕、何をすればいいの?」

「まずは衣装ね。あなた、お洋服は持ってないの?」

「これが一張羅だけど?」

「だと思ったわ」


 百合は持ち上げるようにして顔面を片手で覆い、嘆息した。

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