最も新しい神話

ニート一歩手前

プロローグ

「父さん野暮用でしばらく帰れない。ちょっくら世界救ってくるから。」


父の大きくゴツゴツとした手のひらが頭を雑にけれど確かに優しく撫でる。

ああ、またこの夢か。

そうこれは夢だ。

夢だと分かる。

この時の俺はまだ10歳だったか。

状況を飲み込めていなかった。

わけも分からず、何も言えず、ただ立ち尽くして父を見上げるだけだった。

父が悲しそうに微笑み背を向ける。


「待って。」

「行かないで。」

いやせめて

「いってらっしゃい。」

とでも言えていたなら。


夢が覚める。

「もう5年前か......」

そう独りごち、布団から這い出る。

昔から寝付きも寝起きも悪い。

まだ父さんから稽古をつけてもらっていた時それで何度も遅刻して何度も叱られたっけ。


実家は現存する剣術で最強と謳われる"藍染流剣術"の本家本元―と言っても、代々藍染の直流の家系にのみ受け継がれる一子相伝のようなもので分家などないが―であり、俺も幼い頃から当時の当主であった父さんから稽古をつけられていた。

しかし、父さんの失踪によりこの剣術も終わりを迎えたも同然だ。

一応俺も全ての型を父さんに叩き込まれたがまだマスターできていないまま師を失った。

それでも一応の藍染家現当主として毎日竹刀を振ってはいるが......。

まあなんにせよ形だけの剣術を扱う形だけの剣士だ。


父を探そうとは思った。

しかし、如何せん手がかりがなさすぎる。

そもそも世界を救うとはどういうことか。

確かに大きな戦争はしばらく起こっていないとはいえ、武力を行使した紛争は度々起こっているし、その中には、展開次第では世界を巻き込んだ戦争になりうるものもあった。

あの時の父の言葉はどうもそのようなものを指しているように思えなかった。

いや、理由を聞かれてもなんとなくとしか言えないし確固たる根拠などないが。

どちらかと言うと、ゲームやアニメのようなファンタジー世界で魔王を倒してくるかのように俺には感じられた。

なんにせよ父さんがどこで何をしようとしたのかが分からなければ探しようがない。

数少ない情報源である先々代の当主―つまりは祖父―を頼ってみたが、知らない、心当たりはないの一点張りで何の情報も得られなかった。

家の至る所を漁って様々な資料に目を通したが手がかりになりそうなものはなかった。

高校受験もあった俺は、勉強に集中したいという言い訳のもと、いつしか父は死んでしまったものとして考えないようになっていた。

それでも度々見るこの夢のせいで忘れ去ることは叶わない。

俺の心は常にあの日の父の言葉に引っかかったまま、モヤモヤを抱えている。

もう諦めるしかないのだと、父は死んでしまったのだと自身に言い聞かせて今日も平和な世界を生きる。


今日から新学期が始まるというのに考え事に耽って遅刻するわけにはいかない。

意味のない思考に蓋をして洗面所に向かう。

ガラガラと古くなった引き戸が音を立てると

「ちょっとっっっ!?」

洗面所兼脱衣所の中から声が聞こえる。

まさかこの声は

「っ!」

慌てて引き戸を止めるがもう遅い。

目に入ってしまった。

実の妹の一糸まとわぬ姿が。

風呂上がりか濡れたセミロングの黒髪。

自身と血の繋がりがあるとは思えない整った顔はこれまた風呂上がりだからか赤くなっている。

いやこれは

「ノックくらいしてよ!!!てか早く出てけーー!!!」

兄に裸を見られたのが恥ずかしいからか。


「本当にごめん!まさか朝から風呂入ってるとは思わなかったんだ!許してくれ!!」

脱衣所から出てきた妹を土下座で出迎える。

そんな兄を妹はゴミを見る目で一瞥すると冷蔵庫からコーヒー牛乳を取り出し無言で飲み干す。

「美沙、頼む聞いてくれ!お兄ちゃんは本当に悪かったと思ってるし悪気はなかったんだ!このとおり!ごめんなさい!だから無視しないでくれ......。」

土下座を崩さず誠心誠意の謝罪をする。

「ごみいちゃんさぁ.....いい加減ノックくらい覚えようよ。年頃の女の子とひとつ屋根の下っていう自覚ある?私ごみいちゃんが部屋でゴソゴソしてるとき必ずノックしてるじゃん。人として当たり前のことだと思うよ。」

無視はやめてくれたがごみいちゃんなどという不名誉な呼び方をされてしまった。

いやそれよりも

「おいちょっと待て。部屋でゴソゴソってなんのことだ。まさか俺の自家発電お前にバレてんのか!?てかもしそうだとしたらノックすらせずそっとしておいてもらえませんかね?お願いします。思春期男子からの切実なお願いです。どうかご一考ください。」

頭を床にこすりつけて誠意を表す。

「冗談だったのに......」

おっと本気で軽蔑してる目ですね。


そんなこんなで妹からの評価が地の底まで堕ちた朝。

9月といえどまだまだ暑い。

朝だというのに刺すような日差しが既にクリティカルを喰らっている俺に追い討ちをかける。

早く冷房の効いた教室に入りたい。

それでも高校までの最短ルートとは逆方向へ歩みを進める。

俺の住む和風建築の屋敷とは全く異なるまさに"普通"と表現するのがぴったりな一軒家のインターホンを押す。

「はい。どちら様でしょうか。」

大人の女性とすぐに分かる美しい声が帰ってくる。

「藍染です。莉子さんを……」

言い終わる前に玄関が開き

「たく君おまたせー!」

元気な女の子が出てくる。

ふわふわとした印象を持たせる茶髪のショートボブ。

たぬき顔と言うのか大きな目はタレ気味で顔全体が丸くやや幼さが残る。

身長も決して高くないが出るところが出てるスタイルの良さもあり昔から男子から人気があった。

俺のいわゆる幼馴染だ。

「拓未くんおはよう。今日も莉子のことよろしくね。」

莉子の背後から大人の女性が声をかける。

「おはようございます。任せてください。」

莉子の母親である美玲さんは、シュッとしていて顔もスタイルもキレイ系のモデルさんのようで莉子とはあまり似ていない。

そういえば父親とはあったことがないが莉子はそっちに似ているのだろうか。

幼馴染なのに父親と一度も顔を合わせたことがないなんて不思議だ。

離婚してたり、亡くなってたりそんな話は聞いたことがないし。

一度ご挨拶したいんだけどな。

「お母さんいってきまーす!」

莉子の声で思考を止め、

「ではいってきます。」

美玲さんに挨拶を済ませ

「はい。いってらっしゃい。」

学校へと向かう。


「ねぇねぇたく君は夏休み何した?」

隣からの問いかけに

「特に何も。竹刀振ってただけだ。」

淡白に答える。

昔から稽古に縛られていたおかげで放課後や休日に友達と遊ぶことがなく、次第に俺には友達と呼べる存在はいなくなっていた。

父さんの失踪で稽古を強制されることはなくなったが、既に人との付き合い方が分からなくなっていた俺はそのままぼっちの道を突き進み、暇つぶしのために竹刀を振るようになっていた。

「えー、私が遊びに誘っても断られたからなにか忙しいのかと思ってたのに......。私よりお稽古の方が大事なの?」

瞳を潤ませて上目遣いで顔を覗き込んでくる。

クソ......かわいいな......

「ど、どっちが大事とかじゃなくてだな...」

顔が熱い。

何を隠そう俺は莉子のことが好きだ。

莉子と恋人になる妄想をよくしている。

「だからそのー......つまりだな!」

「っ!」

莉子の方に顔を向けると、莉子は何かを期待するようにニヤケながらこちらを見てくる。

こいつもしかして俺のこと好きなんじゃないか?

いやまてまて、そんなキモイコミュ障陰キャ童貞野郎みたいな思考はよくない。

もっとフラットな視点で見ろ。

うんわからん。

「えぇい!遅刻しそうだから急ぐぞ!」

「えーーー!なにそれー!!」

そう誤魔化して走り出す。

瞬間ゾッとする。

異様な視線を感じる。

見られている。

いやそんなぬるいものじゃない。

これは殺気!

慌てて周囲を見渡すも何もない。

同時に視線も感じなくなっていた。

「たく君?」

莉子が不思議そうにこちらを見ている。

「いや......なんでもない。それよりこのままじゃ遅刻だ。急ごう。」

未だ納得せず不審がっている莉子の手を引き半ば強引に走らせる。

気のせい......なのか?

そうであればいい。

そう思いながら校門をくぐる。

今度は違和感。

学校の外と空気が違う。

一瞬そんな気がした。

これも気のせい.....。

そんなことがあるのか......?


結局その日の授業は集中できなかった。

靴箱にラブレター―と思われる手紙―が入っていたが読む気にもなれなかった。

莉子はそのラブレターを見てなにか騒いでいたが取り合う気にはなれなかった。

何かが起こっているのではないか。

しかし、他の誰も今の学校を不自然に感じている素振りは見せない。

単に久々の登校だから変な感じがするだけなのか。

そうであればそれに越したことはない。

だが明らかに何かが引っかかるのだ。

一体何が......。

「あっ、やべ」

考え事に囚われるがあまり莉子をおいて下校してしまっていた。

美玲さんに莉子のこと頼まれてるってのに......。

今から学校に戻るか?

いやしかしもう家のすぐ近くまで来てしまったし、莉子だってもう子どもじゃない、登下校くらい1人でも大丈夫だろう。

いや、本当に大丈夫か?

普段なら気にしないが今日はなにかおかしい。

やはり一度学校に戻ろうと踵を返すと

「あなたが、藍染拓未ですね。」

女がいた。

俺はすぐさま構える。

その女はおかしなところはない。

ただ一点を除いて。

古びた剣を持っているというただ一点を除いて。

「そう構えないでください。事を荒立てるつもりはありませんよ。」

言葉の通りその声は優しい。

異様なほどに優しい。

だからこそ信じられない。

「そりゃあいきなり知らない女が声掛けてきて、あまつさえ刃物なんてチラつかせてたら誰でも構えるだろ。」

冷や汗が止まらない。

現状武器は持っていない。

いや、正確にはないことはないのだ。

出そうと思えば出せる。

だがここは何の変哲もない住宅街だ。

こんなところで刃物で切り結ぶわけにもいかない。

相手の目的は分からないがどうにかして穏便に済ませなければならない。

「これは失礼しました。こちらは天叢雲剣と言いまして、何かあった時のためのものですのでお気になさらず。」

天叢雲剣と言ったのか?

あの三種の神器の?

かつて神話の時代八岐大蛇を殺した剣だと?

見たものを呪うというあの天叢雲剣だと?

この女は一体。

「そんな大層なものを気にするなとは無茶を言う。お前は一体何者なんだよ。」

声が震える。

「結城沙羅――日本でただ一人、キリスト教の聖人です。」


この日この瞬間藍染拓未の日常は崩れ去る。


そして止まっていた物語は動き出し


最も新しい神話が紡がれる。

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