第14話 氷世界の出会い(前編)
イッキは夢を見た。
夢だと分かる夢を見た。
うるすけと出会った時の夢を――
イッキは氷雪吹き荒む雪原を駆ける。
雪原に限りなく近い白き防寒具、フードから除く顔立ちは、今よりあどけなさがあった。
必死の形相で雪原を駆けるも、降り積もった雪は膝まで埋もれる深さがあり、足を上げ下げするだけでも体力は削られていく。
白い吐息が口から漏れ、強かに吹き付ける向かい風にかき消される。
まるで己の命が風前の灯火だと、暗喩しているようだ。
「くっそがっ!」
悪態つくのは、前後不覚に陥らせる吹雪でも、進行を妨げる雪原でもなかった。
背後より執拗に追走する、一匹の巨大生物であった。
「がああああああああああああっ!」
一言で巨大なトカゲ。二言で恐竜。
太古の地球にて、地上世界の覇者として君臨していた生物。
巨大生物の
暴君トカゲを意味し、縮めてティラノサウルスと呼ぶ、恐竜界にて屈指の人気を誇る巨大生物である。
毛一つなかろうと、寒さに委縮することない筋肉。
追跡する獲物を今にも喰らいつきたいと、涎垂らす大口。
深き雪原は、足止めにすらならない野太い脚。
フォークとナイフのように、時折小さな鉤爪ある前脚を今や今やと交差させている。
「ふざけやがって!」
悪態つくのは、雪山に恐竜ではない。
その追走する姿だ。
動画配信サイトにある恐竜着ぐるみレースの走者のように、頭部を振り子のように激しく左右に揺らして差し迫っていることだ。
本来前方に向ける鼻先を真上に向けているため、視認できないはずが、正確にイッキを追いかけている。
歩幅の違いから距離は縮まりつつある。
このままでは腹に入るのは避けられないが、あのふざけた走り方は、腹に来る。
だが、ここは<
地球の知識など、参考程度もなりはしない理不尽で不条理な異世界だ。
「キィーキィーキィ!」
不幸とは連なるもの。
風雪の音に混じって、確かに聞こえる別なる魔物の声。
雪原を飛び跳ねるような音がすれば、恐竜から距離をとる形で、左右よりヒヒザルの群が確認できた。
イッキが二足で雪原を踏みしめ駆けるのに対して、ヒヒたちは自重の軽さを生かして雪に埋もれさせない。
手足をバネのように飛び跳ね、距離を縮めていく。
人間と
何より吹雪吹き荒む環境もまた人間に不利だ。
ティラノサウルスはともかく、降り積もった新雪のようなヒヒザルの毛並みは、雪景色での保護色となって視認性を落とし、数の全容を把握させない。
子供の体躯より小さい割に俊敏さと筋力が高く、雪原を物ともせず進んでいる。
「デカトカゲはともかく、この手のサルの群は指揮するボスザルとかいるんだが!」
周囲に視線を走らせようと、映るのは白き世界。耳を際立たせるも、吹き荒む風が障害となって音を拾わせない。風に混じった獣の鳴き声を確かに捉えるも、真っ白な世界は正確な位置を把握させない。
「おっと!」
イッキは追いに追われて息を乱しているが、精神まで乱していなかった。
駆け続けるのは、戦局が不利なのを理解しているからこそ、取り囲まれるのを防ぐためだ。
雪原を踏み込む脚は衰えず、視界不良であろうと目線は鋭さを失っていない。
眼前の雪原が唐突に盛り上がる。咄嗟に顎を反らせるように上げた時、飛び出してきたヒヒザルの爪は空を切る。
「ほらよっと!」
顎先をヒヒザルの尻先がかすめた時だ。
間髪入れず左手で掴みあげ、飛びかかった勢いを利用して、後方より迫るティラノサウルス目がけて投擲する。
目だけでなく皮膚で全体を俯瞰しろ、環境を利用しろ。
それが兄貴分であり師の言葉だった。
「がぶっ! ぺっ!」
投げつけたヒヒザルは、ティラノサウルスの口に収まるも、舌先に乗った瞬間、不味そうに吐き捨てられた。
一瞬だけ、ティラノサウルスと目があった。
お前の方が美味そうだと、目が語っていた。
「くっ、効果はなしか!」
分かり切った効果に安堵はしない。
ティラノサウルスは増えていないが、一〇匹程度だったヒヒザルは、追い立てられているうちに頭数を増やしている。
回復剤の効果を高める素材採取に来たら、命をとられるのは笑えない冗談だ。
「ここが現実ならとっくに息切れしてたぞ」
現実とは異なる世界故に、悪環境でも走り続けられた。
現実ではない故、死ぬことはないが、皮膚を切り裂かれる激痛、骨を砕かれ、臓物を貪り喰われる苦痛は、確かに存在する。
死ねば現実へ強制的に引き戻され、死の衝動と苦痛だけが記憶に焼き付けられた。
「この前は密林でアリの大群に貪り喰われたが、今度はデカトカゲにサル! 立て続けは、お断りだっての!」
死の衝動を味わおうと、それでもと立ち上がり続ける者だけが、この世界で生き続けられた。
生きるために走り続ける中、脳裏に走る兄貴分であり師の言葉。
死に慣れるな、危険に慣れるな。安全を見失うぞ。
安全とはどこか、何か、足を走らせながら、脳裏に疑問を走らせる。
どこにもない。安全などない。迫るのは危機、たどり着くは死。
「安全がないなら、作ればいいだけの話!」
解答に至った瞬間、足を止めては、迫り来るティラノサウルスとヒヒザルの群に振り返る。
唐突に立ち止まった獲物に魔物たちは警戒を抱き、追撃を止める。だが動きは止めず、雪風に乗って飛んできた鳴き声により、四方を取り囲んで逃げ道を塞ぐ。どの魔物も飛びかからないのは、互いが互いに牽制しているからだ。ただ合図一つで飛びかかれるよう、どのヒヒザルも右前足の片方を浮かせている。
「ここが雪原だったのは運のつき!」
イッキが力強い言葉と共に、左右の握り拳をガチンとぶつけあわせる。
硬い音が響き合えば、両拳を引き離した隙間に青白いプラズマが走る。
「一網打尽にすればいいだけだっての!」
幸い、この雪原には一人しか人間はいない。
つまり、周囲の損害を一切気にしなくて良いのを意味していた。
「散々俺を追い立て回したこと、素材になって後悔しやがれ!」
魔物たちは、野生の直感で危機を感じ取り、飛びかかるが遅かった。
スパーク走る拳を雪原に叩きつけた瞬間、跳ね上がるような振動、いや地響きが響く。
間を置かずして、地鳴りが起こり、魔物たちは音源である上方に揃って顔を向ける。
「おららららららっ!」
魔物から視線が逸れようとイッキは、場を動かず、拳を地面に幾度となく突き立てていた。
殴りつけられた積雪は、音を立てて凍てつき、壁となり、棺となって全身を覆い隠す。
拳で殴られた程度で氷は圧縮されず、凍てつくはずがない。
だが錬金術ならできる。
物質構造を理解した上で分解、再構築した。
雪とは水が固体として状態変化したもの。
固体化するのに必要な雪は無数にある。
ティラノサウルスがイッキの意図に気づき、大口開けて喰らいつこうと時既に遅し。
轟音を立てて急激に迫り来る雪煙、その正体は雪崩だ。
山肌に積もりに積もった雪を意図的に崩して雪崩を引き起こした。
一網打尽にするには格好の手。
されど片づけるのを優先するあまり、自身が巻き込まれるのを度外していたのは愚策である。
愚策であるも、危機から逃れるため構築したのが氷の棺であった。
押し寄せる雪崩が魔物たちを容赦なく飲み込んでいく。
叫びながら逃げ出そうと、仲間を踏み出しにしようと、容赦なく飲み込まれる。
中にはティラノサウルスの背を避難場所にするヒヒザルもいたが、容赦なく尾で叩き落されていた。
「ぐううっ!」
かというイッキもまた雪崩に飲み込まれ、氷の棺の中で激しい揺れに襲われていた。全身の身を縮め、氷の棺が雪崩の圧力で潰れぬことを祈りながら、ただ勢いに流されていく。
飲んだことはないが、カクテルシェイカーの中身の気分が分かった気がした。
時折響く、氷の棺から響く不吉な亀裂音。ほんの少しの浮遊感を得た後、激しい衝動がイッキを襲い、意識を刈り取ろうとする。
「うおっ!」
気合いと根性で耐えに耐えた時、唐突に衝動は消える。
氷の棺が砕け散る破砕音を全身に浴びた時には、冷たく硬い空間に放り出されていた。
「痛ってて、五体満足であるだけマシなほうか」
全身に走る疼痛にうめきながらも、どうにか起きあがる。
体力ゲージも、一割減ならかすり傷だ。
周囲を見渡せば、見渡す限り氷の世界だった。
「どこだ、ここ?」
氷の世界、なのは確かだ。
壁も床も天井も氷。
現在地を携帯端末で把握しようと、不可能と出る。
「ホント、ここ、どこだ?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます