File35 危機一髪とエレベーター
剣道の概念を持たないマネキンの相手は想像以上に簡単だった。
何よりこちらを捕まえることしか頭にない動きは隙だらけだったと言う方が的を得ているかもしれない。
面も胴も小手もガラ空きで襲い掛かってくるマネキンを、モップで切って捨てていく。
いける……!
数の暴力にさえ気を付ければ、ただの木偶の坊だ……!
最後の一体を前にして僕はモップを振り上げて面を打とうとした。
バリィィィィン……!
盛大にガラスの割れる音がして天井から蛍光灯の欠片が降ってきた。
「ヤバっ……」
僕は反射的な罪悪感からモップを体に引き付けてしまった。
「うっ……⁉」
目の前にはガラスなど物ともしないマネキンが迫っている。
間合いを殺された……!
下がる?
押し返す?
直に触れても大丈夫なのか……?
様々な思考が脳内を駆け巡り、反応が遅れる。
マネキンはそんな僕の首をめがけて躊躇なく腕を伸ばしていた。
無かったはずの口が、ぽっかりと開き、中に底なしの闇が蠢いている。
ゾクゾクゾクゾク……
命の危機を感じたその時、マネキンの横面を星崎が瓦礫で殴りつけた。
マネキンの顔に蜘蛛の巣のようなひびが入り、中から黒い闇が零れ落ちた。
あぁぁぁあぁぁああああ……
ひどく残念そうな、そして恨めしげな断末魔を残し、マネキンは動かなくなった。
「助かった……ありがとう……」
「こっちのセリフ。それより先を急ぐべき」
星崎は開いたままのエレベーターを指さして言った。
「正気か? 袋のネズミじゃないか⁉」
「階段は使えない。窓や通気口は自殺行為。残された道はこれしかない」
躊躇ったのも束の間で、階段の方からあの音が聞こえるなり、僕らはエレベーターに飛び乗った。
「とにかく一度脱出しよう……このまま地下室もナースセンターも回るなんて無茶だ」
「同感……一階に着けば強行突破できる。任せたぞ……モップ侍」
「おい……! 僕頼みかよ……⁉」
こくりと頷く彼女に顔を顰めつつ、悪い気はしなかった。
僕らは一階のボタンを押し、強行突破の時に備える。
ウォンウォン……と唸りを上げるモータ音と不規則な振動が不吉だった。
嫌な予感がする……
その予感を裏付けるように、エレベーターが不気味な音を立て始めた。
ガがガガががガガガ……
「まさか……落ちたりしないよな……?」
「そこまで劣化はしていないはず……」
リン……
階を示す古めかしい真鍮の針は3Fを指していた。
僕らは同時に顔を見わせる。
ひとりでに開き始めた扉を前に、僕らは慌ててドアの両脇に身を潜めた。
「どうなってんだよ……⁉」
「誘い込まれたのかもしれない……」
何度押してもボタンは全く反応しない。
仕方なく僕らは息を殺して廊下を覗き込んだ。
ビリビリと痺れるような感触を頬に感じながら、僕らは三階の廊下に降り立った。
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