File26 地下室と霊安室
電力の途絶えた廃病院でエレベーターが動くわけもなく、僕たちは階段を目指して再び歩き出した。
床に固定されたベンチが並ぶ中央の待合室を抜けると、闇がぽっかりと口を開けて待っている。
獲物を待ち伏せする深海魚のように、地下へと続く階段はひっそりと静まり返っていた。
足を踏み入れた瞬間、重たい鉄の防火扉が大音量を立てながら閉まる光景が脳裏を掠める。
まるで僕たちを丸呑みにするように。
「行くぞ……」
星崎は黙って深く頷いた。
彼女のゴクリと唾を呑む音が、暗い地下へと続く階段に反響する。
じゃり……パキ……
一歩進むたびに、相変わらず嫌な音がする。
まるでこちらの居場所を知らせるための鴬張りのようで神経が昂る。
頭の奥の方でごみ捨て場にあった注射器の映像が揺れている。
患者の体に突き刺さった針。
いまや錆と菌に侵された禍々しい針。
それが視界の利かない足元の闇で待ち伏せているような気がして、知らず知らずのうちにつま先立ちになっていた。
ふと気が付くと、星崎の頭もいつもより高い場所にある。
どうやら彼女もつま先立ちで歩いているらしい。
闇の奥へとひょこひょこ歩いていく僕らは、まるで哀れなアヒルのようで……
不吉な妄想を頭の隅に押しやり、僕は星崎に声をかけた。
「放射線治療室はこっちだったよな……?」
「多分そのはず。だけど油断は禁物……」
一階よりもずいぶん空気が冷たい。
そして当然のことながら辺りは漆黒の闇に包まれていた。
スマホの明かりが無ければ、たちまち立ち往生してしまうだろう。
それに……
光の当たらない暗闇の中に、不気味な化け物が立っていても気が付かないだろう……
急に充電の残量が怖くなりチラリと画面を見る。
すると残量は電池マークの半分を少し割ったあたりだった。
「充電が半分を切ってる……急ごう……」
その時、ひゅぅ……と冷たい風が頬を触った。
思わずそちらを照らした僕は、自分の行いを後悔する。
ライトに照らされた先には鼠色のペンキが剥げて、ところどころに錆が目立つ重たい鉄の扉があった。
薄っすらと開いたその扉の上には白いプレートが貼られていて『霊安室』と書かれていた。
ゾクゾクゾクゾク……!
強烈な悪寒が背骨を駆け上がると同時に、星崎が僕の手首を強く握るのが伝わってくる。
「何でこんな場所に霊安室が……?」
「同感……ここの院長は頭がおかしい」
僕らはつま先立ちになるのも忘れてその場を立ち去った。
速足というより、ほとんど駆け足で暗闇の中を突き進んでいると、通路の壁に目的の文字を見つけ出す。
『←放射線治療室』
矢印の先に光をかざすと、通路の奥に両開きの扉が見えた。
「あれが……」
「放射線治療室……」
僕らはなぜか息を殺しながら、足音をなるべく立てないように扉の方へと近づいた。
顔を見合わせノブに手をかける。
「開けるぞ……」
「うん……」
そう言って手に力を籠めるも、ドアノブはピクリとも動かなかった。
どうやら鍵がかかっているらしい。
「ダメだ……鍵がかかってる……!」
力ずくでガチャガチャとノブを動かしても、頑丈な扉はびくともしない。
意地になる僕に向かって彼女が言った。
「きっと、ナースセンターか院長室に鍵があるはず……今度はそこに向かう……鍵を手に入れてからもう一度ここに……」
「マジかよ……」
僕らは再び霊安室の前を横切り、漆黒の地下室を抜け出した。
目が慣れているはずなのに、薄明りの一階は来た時よりも、なぜか仄暗くなっているような気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます