File12 夢現と幻実

 いつもより早い教室には、いつもより早いざわめきが満ちている。

 

 小テストの話題、カンニングの準備、朝練から戻り着替える運動部、ヒエラルキー、恋バナ……

 

 善し悪しはあれど、誰もが何かに夢中なように見える。

 

 陰キャと呼ばれるグループさえも、夢中で何かを話し合っている。

 

 ああ……だからギリギリに登校するようになったんだっけ……

 

 羨ましいわけじゃない。

 

 でも、まるで実感の湧かない現実リアルに、僕は夢中になれないだけ。

 

 かといってバーチャルの世界に没入できるかといえば、それも無理だった。

 

 結局僕は何も味わうことなく、決められた課題をこなしながら、絶対になりたくないナニカへの道を突き進んでいる気がする。

 

 

「はあ……」

 

 先ほど笑った自分はため息と一緒に消えてしまった。

 

 馬鹿々々しい。

 

 そう思って席に座ろうとすると、そこは男女四人のグループに占拠されていた。

 

「どい……」

 

「ははははは! ありえねえー!」

「マジでないっしょ?」

「きもすぎー」

 

 ドキリ……と心臓が跳ねる。

 

 自分のことを言っているわけじゃない。

 

 その証拠に、こいつらはこちらの方など見向きもせずに会話を続けている。

 

 それでもまるで……


 自分を指して言っているように思えて……

 

 僕は気づかれる前にその場から立ち去った。

 

 大急ぎで廊下を駆け抜け、階段を下り、また廊下を進む。

 

 別の階段を駆け上り、誰もいない第二図書室の戸を開けて中に滑り込んだ。

 

 早くから来るんじゃなかった。

 早くから来るんじゃなかった。

 くそくそくそ……!

 なんでこんな……

 こんなみっともない……

 

 ドクドクと暴れる心臓が、耳たぶにまで熱い血を送り付けてくる。

 

 真っ赤な顔をした僕を一瞥して、司書の爺さんはファイルに視線を落とした。

 

 痩せこけて髑髏みたいな顔に金縁の老眼鏡が光っている。

 

 薄くなった白い毛は頭骨の形を包み隠さず晒しており、深緑のベストと白いシャツは毎日同じものだった。

 

 生きる屍のようなその姿に、未来の自分が重なりゾッとする。

 

 僕もこのままいけば、誰とかかわることも無く、、あるいは図書室の守り人として、一生そこで孤独に過ごすことになるのかもしれない。

 

 漠然とながら、嫌だと思った。

 

 もう一度爺さんの方を見ると、ニタァ……と黄ばんだ歯を見せて笑っている。

 

 こちらを見据えて手招きしている。

 

 頭皮が剥け落ちて、血で濡れた頭蓋骨が露わになる。

 

「ひ……あ……あ……ああああ」

 

 思わず情けない声が漏れて、涙が零れそうになったその時、誰かが僕の肩を乱暴に揺さぶった。

 

「空野……! 空野! 大丈夫?」

 

 見ると不安そうにこちらを見上げる星崎がいた。

 

「ほ、星崎……? が、骸骨の化け物は……?」

 

 星崎は周囲を見回してから首を振った。

 

「今はいない。安心していい。怖い顔で廊下を走っていったから追いかけた。何があったか教えて」


「ぼ、僕は……」

 

 言いかけた言葉を飲み込み、僕は首を振った。

 

「わからない……」

 

 星崎は考え込んでからポツリとつぶやいた。

 

「ごめん……きっとわたしが空野を巻き込んだせい。奴らに目をつけられたのかもしれない……」

 

 違う……そうじゃない……

 

 そう言えれば、少しはましだったのに、僕は何も答えずに星崎の言うままにしてしまった。

 

 リンドン…リンドン…と重たいチャイムの音が響き、僕らは教室に戻ることにした。

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