チオリの作活

千織

前編

※この物語はフィクションです。


 チオリは激怒した。目に入るもの全てをぶん殴ろうと決意した。チオリには”穏便に”という言葉がわからぬ。チオリは、武闘派である。己を律し、理想を追い求めて暮してきた。だから臆病に対しては、人一倍に敏感であった。


 今日未明チオリは家を出発し、地元の大イベントの交通規制に引っかからいよう、車を走らせ小説講座にやってきた。チオリには愛読書も、読書時間も無い。文学知識も無い。オタク友達の、Sっこと二人で申し込んだ。二人は、Wikipediaばりに物知りな友人Yと三人で作活をしていた。


 二人は小説講座は今年が初めてである。チオリは、それゆえ、我流でさきに150万字を書いた。学びとは問題意識がなければ成らないというのが信条だ。自分なりに問いを持ってから学びに行きたい。先ず、書きやすいBLから始め、それからホラーを書いた。不倫小説も書いた。あまり人様に勧められない。なぜ自然にそんなジャンルばかりになるのか自分でも不思議だった。チオリの竹馬の友Sっこはエッセイやショートを書き始めたばかりだった。久しく新作を挙げていないから、講座の成果がどう出るか楽しみである。


 PVや☆はどうだと尋ねているうちにチオリは、Sっこの様子を怪しく思った。びくびくしている。講座会場がうす暗いのは当りまえだが、けれども、なんだか、それのせいばかりでは無く、Sっこの表情が、やけに寂しい。のんきなチオリも、だんだん不安になって来た。Sっこが話題を逸らすのを許さず、何かあったのか、このまえにアカウントを見たときは、☆30くらいだったはずだが、と質問した。


 Sっこは、首を振って答えなかった。今度はもっと、語勢を強くして質問した。Sっこは答えなかった。チオリは両手でSっこの体をゆすぶって質問を重ねた。Sっこは、あたりをはばかる低声で、わずか答えた。

「☆59です……」

「この短期間で?!」

「良かったよと言われるのですが酒の話だし、チオリさんが紹介してくれたからで実力じゃないと思うんです」

「読まれたからといって☆がつくわけではない。やはり良かったのだよ」

「書くのは好きですが、話にひねりがないと先生から言われているのでまだまだです」

「描写が上手くてうらやましい。私はプロットと作品に差がないから」

「いいえ、それは問題ではありません。あれだけたくさん書けるではありませんか」

 聞いて、チオリは激怒した。

「ただ書いただけで☆は少ないし、渾身の長編は数話で離脱される。それは”書けた”うちに入らないよ。作品は誰かを喜ばせないことには価値がない」

 チオリは、単純な奴であった。個性的な作品を書き続ければ物好きには気に入られるかもしれない、わかってくれる人に読まれればよいのだと、そう思っていた。


 小説講座が始まり、たちまちチオリは先生の慧眼に見破られた。

「考えるのを避けるような話の作り方をやめろ」先生は静かに、けれども威厳をもって諭した。

「世の中には奇跡のような偶然があるのです」とチオリは悪びれずに答えた。

「小説でそれはダメだ」先生は、ハッキリと答えた。

「仕方の無い奴じゃ。お前は、全国の読者を相手にすることがどういうことかわかっていない」

「言うな!」とチオリは、いきり立って反駁した。「私の作風は元から理解され難い。それをみんながわかるように書くなど、最も恥ずべき妥協だ。先生は、私の個性を無くそうとしている」

「読む人がいるからこその作家だ。相手に伝わるように書くことが正当の心構えなのだ。自分の感性は、あてにならない。書き手は、もともと独りよがりで自己顕示欲のかたまりさ。信じては、ならぬ」先生は落着いてつぶやき、ほっと溜息ためいきをついた。「わしだって、渾身の一作が振るわなかったときはちょっとがっかりしたよ」


「なんの為の執筆だ。気まぐれな読者の暇つぶしの為か」今度はチオリが嘲笑した。「自分を殺して、何が作家だ」

「だまれ、アマチュアよ」先生は、さっと顔を挙げて報いた。「口では、どんなご立派な事でも言える。わしには、人の腹綿の奥底が見え透いてならぬ。お前だって、今に、ネタ切れをしてから、泣いて詫わびたって聞かぬぞ」

「ああ、先生は悧巧だ。私は、ちゃんと己の信念と死ぬる覚悟で居るのに。命乞いなど決してしない。ただ、――」と言いかけて、チオリは足もとに視線を落し瞬時ためらい、「ただ、私に情をかけたいつもりなら、プロット提出までに明日まで待って下さい。二人の友と共にこれこそはと思える自分にしか書けない作品を作りたいのです。今晩のうちに、私はプロットを完成させ、必ず、ここへ帰って来ます」


「ばかな」と先生は、嗄しわがれた声で低く笑った。「とんでもない嘘を言うわい。こんな設定不足で風呂敷ばかり広げたプロットが今晩中にどうにかなるというのか」

「そうです。どうにかなるのです」チオリは必死で言い張った。「私は約束を守ります。私を、今晩だけ許して下さい。そんなに私を信じられないならば、よろしい、ここにSっこがいます。私の無二の友人だ。彼女を、人質としてここに置いて行こう。私が逃げてしまって、明日の日暮まで、プロットを出せなかったら、このSっこを絞め殺して下さい。たのむ、そうして下さい」


 それを聞いて先生は、残虐な気持で、そっとほくそえんだ。生意気なことを言うわい。どうせできないにきまっている。この嘘つきに騙だまされた振りして、放してやるのも面白い。そうして身代りのSっこを、明日の日暮に殺してやるのも気味がいい。アマチュアは、これだから甘いのだと、わしは悲しい顔して、そのSっこを磔刑に処してやるのだ。世の中の、なった気になっている奴輩にうんと見せつけてやりたいものさ。


「願いを、聞いた。明日の日没までに送って来い。おくれたら、その身代りを、きっと殺すぞ。ちょっとおくれて来るがいい。おまえの戯言は、無かったことにしてやろうぞ」

「何をおっしゃる」

「はは。いのちが大事だったら、おくれて来い。おまえの心は、わかっているぞ」

 チオリは口惜しく、地団駄を踏んだ。ものも言いたくなくなった。


 竹馬の友、一切の事情を聞いていたSっこは無言でうなずき、チオリをひしと抱きしめた。友と友の間は、それでよかった。先に会場を出ようとしたチオリとYは、残されたSっこが「ひねりが足りない」と三度縄打たれたのを見た。チオリは、すぐに出発した。秋も過ぎ去り、明日の予報はマイナス二度の季節である。


 チオリはYと急ぎに急いで、ガストへ到着したのは午後、ランチを終えた人たちは店を出始めてい空いていた。Yも、事情を見ていてさっそくチオリのために調べ始めた。だが先程の勇ましさの消えた、疲労困憊のチオリ姿を見て驚いた。そうして、うるさくチオリに質問を浴びせた。

「なんでも無い」チオリは無理に笑おうと努めた。どんな設定が必要かはわからなくはない。だが、元の知識の足らなさや、逆に知識のせいで物語が動かなかったらどうしようという不安があった。「すぐプロットを直さねばならぬ。さてどこから手をつけようか。やはり国の設定から変えようか」

 Yは頬をあからめた。

「たとえば国は同じでも違う世界線という設定もできるが、描写されているシーンから考えると関係する本を六冊は読まなくてはならないだろう。あとはこちらのプロット。話題に出た国に変えるなら治安の悪さのレベルが違うからこのプロットくらいの被害は何でもない。内容が変わってしまう」

 チオリは、めまいがして、家へ帰って神々の祭壇を飾り、祈った方が良いのではないかと思うくらいだった。「現地を歩いたことのある経験は貴重だから原作を生かしたいですね」Yが親身になって調べてくれる間、自分でも考えてみるが頭が回らずどす黒い油の中に沈んでいるようであった。


 気がついたときは夜だった。いつの間にかYと話し込んでいて、内面の闇を書くにはどうたらよいかとか、説明でなく描写をするにはどうしたらよいかとかが話題になったが、すべて『文体の舵をとれ』をやれば解決するという結論に至った。


 盛り上がり興奮は冷めやまぬが、プロットの直しは全く進んでいない。ようやく、自分の時間がほしいから、続きは明日にしてくれ、と頼んだ。帰宅後、黒雲が空を覆い、ぽつりぽつり雨が降り出し、やがて大雨となった。三人は、何か不吉なものを感じたが、それでも、めいめい気持を引きたて、講座で得た情熱と歯痒さを抱えて悶々としながら、パソコンやスマホ執筆アプリを開き、プロットを直し始めた。進捗をLINEで報告し合い、チオリも、満面に喜色を湛たたえ、しばらくは、先生とのあの約束をさえ忘れていた。


 各自のプロットは、深夜のテンションでいよいよ乱れ華やかになり、三人は、外の豪雨を全く気にしなくなった。チオリは、一生このままここにいたい、と思った。この佳い人たちと生涯暮して行きたいと願ったが、いまは、自分のからだで、自分のものでは無い。ままならぬ事である。チオリは、わが身に鞭打ち、ついにプロット直しを終わりとするを決意した。明日の日没までには、まだ十分の時が在る。ちょっと一眠りして、それからすぐに送信しよう、と考えた。その頃には、雨も小降りになっていよう。少しでも永くこの創作の熱気に愚図愚図とどまっていたかった。チオリほどの決断に慣れている者にも、やはり未練の情というものは在る。


 今宵呆然、プロットの手ごたえに酔っているらしい二人にLINEを送り、

「おめでとう。私は疲れてしまったから、ちょっとご免こうむって眠りたい。眼が覚めたら、すぐに先生に送信する。私がいなくても、もう二人には書かずにはいられないソウルができたのだから、決して寂しい事は無い。私の、一ばん嫌いなものは、妥協することと、それから、向上心を失うことだ。自分と本心との間に、どんな秘密でも作ってはならぬ。二人に言いたいのは、それだけだ。私は、たぶん本当に大切なことを言っているのだから、二人もそれを忘れないでくれ。特にSっこ」


 二人は、夢見心地でうなずきのスタンプをLINEに送った。チオリは、それからありがとうのスタンプを送って

「未熟なのはお互さまさ。私にも、宝といっては、この友情と思い出だけだ。他には、何も無い。全部あげよう。もう一つ、私との作活で得たものを誇ってくれ」

 三人は互いに感謝のコメントを送った。チオリは笑っておやすみと返事して、スマホの画面を消し、布団にもぐり込んで、死んだように深く眠った。

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