あなたが私を好きじゃなくても、私はあなたが大好きだから、だからあなたをハッピーにしたい『不燃系彼氏』
所クーネル
第1話 燃えない彼氏の熱い秘密
1)恋と捻挫
嫌なことがあったら、バットを振るに限る。
まばらな緑の桜が囲む第二校庭は、半分女子サッカー部で、もう半分が我らがソフトボール部の練習場。
バッターボックスのあたしは、体育用のジャージとヘルメットに肘当てをして、マウンド上のエースピッチャーを見据えていた。
ベンチからは声援とヤジ。
内野手がじりじりと後退する。
(絶対ストレート……)
あたしは目をすがめた。
どんな速球も、この動体視力は逃さない。鍛え上げた体幹で、まっすぐ飛んできたそれをブレることなく打ち返す。
カキンッ——
快音を響かせて、打球は外野の頭上を越えていく。
それを確認するよりも早く、あたしは一塁を蹴っていた。
ただの練習だって気を抜かない。
ヘルメットが飛んで、ポニーテールをたなびかせて、全力疾走で二塁へ。
「回れ回れ!」
三塁側の先輩が腕を回している。
レフトがショートへ、ボールを投げ送っているのが感じられた。
(まだ行ける……!)
あたしの視線がホームを射抜いた。
狙える。ランニングホームラン。
足の裏が地面を掴む。止まることなく、もう一度加速。
ああ、これだ。
この瞬間、あたしは空っぽになる。
何も考えなくていい。
ただ、少しでも速く、一つでも多く塁を。
それだけ。
たったそれだけの存在になれるとき、あたしはなんだか、あたし自身に戻れたような気になれるのだ。
それなのに。
(え……?)
高速で流れていく景色の中に、彼がいた。
右手の並木。
見間違いなんかじゃない。
絶対、彼。
あたしのカレシ!
こなくていいって言ったのに、なんで来てるの?
と思ったら、女子生徒に話しかけられているし。
しかも、なんか受け取ってるし?
(え? なに? 手紙? プレゼント? って、なんであっさり受け取ってんの! 断りなさいよ! アンタあたしと付き合ってんで……)
しょ、まで考えられなかった。
なぜならその瞬間、
「危ない!」
先生の大声が聞こえたときにはすでに遅く、あたしはクロスプレーを待ち構える捕手の前に、無防備に飛び込もうとしていたのだ。
寸でのところで避けようと上半身を捻ったら、あたしの体は意味のわかんない格好で地面を転がってしまった。
ざわめき。砂煙。数秒遅れで、激痛。
「サヤ!」
「大丈夫?」
周りにみんなが集まってくる。
「動ける?」
マスクを放り出したキャッチャーの子に聞かれて、「うん」と反射で答えたけれど、
(いたっ……)
立ちあがろうとしたら、痛みが右足首に集約された。
そっか。足、捻っちゃったんだ。
立てるかな、これ。
「ごめんごめん、ちょっと勢いが……」
なんてことないって顔を作って、さっさと立ちあがっちゃおうとしたのだけれど、心配するチームメイトたちの肩越しに、彼がこっちを覗き込んでいた。
うう……
こんなときでもカッコイイ。
「立てないんじゃない?」
その顔は、いつもどおりの無表情。
といっても、仏頂面だとか冷たいそれとは違う。彼の無表情は、本当に、「無」。人の体温が感じられない、人形みたいな表情の無さなのだ。ツルッとした綺麗な肌と、黒目がちのぱっちり大きな瞳。やっぱり作り物みたい。
あたしは、足より心が痛くなる。
「大丈夫!」
と、飛び起きたけど、完全にびっこ引いちゃってる。言い訳できない。
「保健室行ってくる!」
目が合ったけど気づかなかったふりをして、あたしは彼の方へ背を向けた。
彼は、案の定、ついてきてくれない。
そもそもどうして主砲のあたしが、あんな危険なプレーをしてしまったかといえば、それも彼のせいだった。
今朝、「そろそろ学校だけじゃなくて、二人でどこか出かけない?」って聞いたら、唐谷くんったら「そういうのはまだいい」なんて返してきた。
まだって、じゃあ、いつならいいの?
そういうのって、どういう意味?
頭にきて、思わず「こんなんで付き合ってるって言えるのかな?」って、言わなくていい嫌味を言ってしまったら、彼はすっかり黙ってしまったのだ。
普通、付き合うってもっと、もっと、なんか、すごい、イイカンジのあれこれなんじゃないわけ?
まぁ……、そういうのもきっと、あたしの勝手な一人の思いなのかな。
だって、さっきのとおり、唐谷くんはいつだって「無」。
まったく感情を見せる気配がない。
冷酷とか冷徹とかとは違うんだけど、まるですっぽり向け落ちてるみたいに、喜怒哀楽が欠如している。
何を聞いても、まんまるな目をこっちに向けて、きょとんとした小動物みたいに、「うん、いいんじゃない?」だ。
(燃えないんだよね……)
あたしは部活一つでこんなに熱中して、彼が他の知らない誰かと話しているだけで、無理なプレーで足を捻るくらい動揺しちゃうのに。
唐谷健太は、あたしと正反対。
いうなれば、そう。
不燃系カレシ——……
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