第42話 いつの間にか嫌いじゃない
青い葉が消えたことを不思議に思いながらも、とりあえずライズに見られずに済んだことに安堵して、幸は恒例の掃除を始める。
ライズが書棚を漁る姿を横目に、幸は黒いエプロンを装備して高い場所の埃をはたいた。
すると、幸の頬を冷やりとした風が撫でる。
窓を見れば、風に乗って桃色の葉が流れてきた。
慌てて窓を閉めようとすると、先回りしたライズが閉じる。
「お前は掃除がしたいのか、散らかしたいのかどっちなんだ」
「すみません……ライズ……さん」
「フン。お前が鈍くさいから見ていられなかったんだ」
「それにしても、その本、全部ここで読むつもりですか?」
気づけばライズは、書物を探すにとどまらず、手にした魔術書を片っ端から読みふけっていた。
さすが首席だけあって勉強熱心だということはわかった。
プライドばかり高いわけではないらしい。
大きな口を叩くだけの努力をしていることには、少しだけ好感が持てた。
一見、努力不要の天才と見せかけて、実は誰よりも陰で努力をしている――
「探し物、良ければ手伝いましょうか?」
「なんだ、陛下だけでなく、俺にまで取り入る気なのか?」
「そうですね。将来のことを考えれば、ライズさんのような有望な人の後ろについたほうが得かもしれません」
「ようやく身の程を知ったか。俺がまだ若いからといって、バカにするなよ。お前なんかの口車に乗るつもりはないが――そうだな。手伝いくらいはさせてやる。アレとソレとコレを持ってこい」
「はい」
ライズの扱いに慣れた幸は、必要だと言われた魔術書を代わりに探した。
エリシナが地方の書院を視察する間は、大人しくするように言われているため、幸には今やることがないのだ。
暇を持て余すのが嫌でライズの手伝いを始めた幸だが――そのうち本を探すだけでは退屈になり、幸も魔術書を読み始める。
するとそんな幸に、突然ライズが声をかける。
「お前、そんな難しい書が読めるのか?」
驚きの顔を向けられて、幸はハッとする。
『ソ』を自由に解読できてしまう幸は、どんな
それがどんなに簡単な言葉でも、難しい言葉でも――そして、今は使われていない
「もう読み終わったのか?」
「いえ、この魔術書はもういいです」
「ウェルガル出身の、ただ『殺し合い』を運よく生き残ったやつが、国の遺産を任されるなんておかしいと思っていたが――お前、実は言語に詳しいのか?」
その言葉は大人びているもの、子供らしい純粋な目が、幸に詰め寄った。
幸が言葉を濁すと、ライズは幸の足元に本を積み重ねてゆく。
「オイお前、これとこれとこれとこれ――読めるか?」
「……少し」
「なら教えてくれ。俺はグインハルムの古代文字が苦手なんだ。自国の古代文字なら、多少は読めるんだがな」
「……わかりました」
丁重に断ろうとも思ったが、否定すれば余計に絡んでくるライズの性格を知っている幸は、渋々うなずいた。
すると、ライズはいつになく顔を輝かせる。
「なんだお前! 口だけの同級生よりも使えるじゃないか!」
「そう言っていただけると、嬉しいですが……」
ライズは鼻息を荒くして、さらに魔術書を幸の前に積み上げていった。
絡まれるのも困るが、妙な懐かれ方をして、今度は退屈と言っている場合じゃなくなった。
それから幸は泣く泣く勉強に付き合わされて、気づけば日が落ちるまで魔術書を読まされた。
書物が目覚めることを恐れた幸は、感情をなくして魔術書にある言葉を舌の上でただ羅列する。
感情を乗せれば、たやすく書物が目覚めてしまう――そうエリシナに言われてからは、何も考えずに読む練習をしていたが、その修業にもなった。
「――そういえば、ライズはグインハルム出身じゃないんだな」
時間が経つにすれ、ライズと違和感なく喋るようになった幸は、何気なく訊ねる。
ライズは重い魔術書を器用に頭に乗せて運びながら「ああ」と返す。その声には、すっかり険がなくなっていた。
「俺はユーゴの出身だ」
「それは遠い国なのか?」
「お前、魔術は流暢に読めても、無知だな。ユーゴくらい知っておけ――なんてな。この城でユーゴを知っているやつなんて、そうそういないだろうけどな。……ユーゴは何もない
「その点は大丈夫だ。俺には知り合いなんてほとんどいない。――そうか。で、ライズは魔術の勉強のために、グインハルムに来たのか?」
「そういうことだ。お前はおかしなやつだ――辺境出身と聞いて、田舎者と笑ったりしないのか?」
「俺はライズよりもずっと何も知らない。俺は王城で誰よりも田舎者だ」
「ありとあらゆる魔術書が読めるのにか?」
「それは確かに特技かもしれないが、魔術だけ読めても仕方がない」
「……まあ、そうだな。そうかもしれないな。お前は本当に変わっているな。お前みたいなやつに、今まで会ったことがない」
「それは良い意味で?」
幸が言うと、ライズは笑った。
それからライズは、生まれ育った場所がどれほど美しい自然に囲まれているかを力説した。
田舎出身だということが恥ずかしかったせいで、あまり自国の話を他人にしたことがなかったらしく。ライズは語り始めたら止まらなかった。そして幸も、対等に話せるようになったことで、長話を聞くことが苦痛ではなくなっていた。
ちなみにライズは言葉にもひどい訛りがあるらしいが、必死に勉強してグインハルムの民らしく振舞ってきたという。
ライズが素直になれば、苦手意識などはなくなっていた。
どうしてこんな少年を今まで苦手に思っていたのかさえ、わからなくなる。
すっかり和みムードの中、
ライズはふと、緊張した面持ちで言った。
「なあコウ……ここだけの話だぞ」
「なんだ?」
「グインハルムに、国王が二人いる――という噂を知っているか?」
突然ふられた話に、幸は思わずライズを凝視していた。
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