第22話 出づる焔の詠唱、アカルミハエイ


 初めての王城で迷子になった幸は、ミリアという幼女に絡まれたところを、老師エリシナのおかげで難を逃れた。


 しかし、一難去ってまた一難。


 ミリアが去ったのち、エリシナは宮廷書院きゅうていしょいんまでの案内役を自ら買って出た。


 本来なら迷子にならずに済むことを喜ぶべきだが、幸は悪い予感しかしない。


(……まさかアリシドの『元婚約者』に遭遇するとは)


 自分が死に追いやった人間アリシドの『元婚約者』の前で、アリシドの名を使うのは気が引けた。


 幸自身、アリシドを騙っているつもりではないもの、周囲はそうは思っていないだろう。


 現にミリアも幸のことをアリシドと勘違いしていたのだから。  


 迷路のような道のりを歩く中、エリシナは幸に一切話しかけることもなく、何を考えているのかもわからない顔でひたすら長い回廊を歩いた。


 幸が顔色を読めない人間というのも珍しいが、それ以上に何か恐ろしいものをエリシナから感じていた。


 ミリアがエリシナを『兵器』と呼んだ意味も密かに気になったが、そんな不穏な言葉を軽がるしく口に出来るほど幸も図々しくないわけで――結局は無言でエリシナの後ろをついて歩いた。


 エリシナが進む方へと流れに任せて進むうち、王城の片隅にある小汚いドアにぶつかる。


 壮麗な王城内にあるとは思えない、古い扉だった。


 エリシナがドアにぶらさがった知恵の輪のような鍵を開錠すると、ギギギ――と重く耳障りな音が響く。


「――汚い部屋だけど、お入りなさい」


 エリシナに促されるままに、幸はカビ臭い部屋へと足を踏み入れる。


 部屋に入ってすぐの場所には、窓の中身をくり抜いたような、木製のカウンターが三つ設置されており、くり抜かれた窓から見える奥の部屋には、本棚が林立していた。


 棚には隙間なく分厚い装丁ほんが並べられている。


「見た目より広いんだな」


「初めて喋ったわね、おチビちゃん」


 エリシナは和やかに言ったと同時に、静かにドアを閉める。


 ドアが閉まる音を聞いて、幸の胸に不安がぎった――次の瞬間。


 幸は背中で嫌な気配がふくれ上がるのを感じて、咄嗟にカウンター窓に飛び込み、床に身を伏せた。


 直後、幸の頭上に赤いせんが走り――そしてカウンター窓が斜めに分断される。

 

「嫌だわ、あなた……殺気の『ソ』がわかるのね」


 悠長な言葉とは裏腹に、強烈な怒りを感じ取った幸は、姿勢を低くしたまま顔をあげる。


 だが見あげた先にはエリシナの姿はなく――代わりに分厚い雲のような禍々まがまがしいもやを背負った大蛇の姿があった。


 幸が愕然とする中、大蛇はエリシナの声で言葉を発した。


『あなたがアリシドを殺したのね? ひと目みてわかったわ。あなたにはアリシドの洗礼を受けた痕跡ニオイがあるもの――そんなあなたが『アリシド』を騙るなんて、絶対に――ユルセナイ』


「……洗礼? 俺はそんなもの受けていない」


『嘘吐きね』


 エリシナは幸の言葉には耳を貸さず、ひとの頭の何倍もある赤い口腔くちを広げた。


 蛇の頭に迫られ、幸は咄嗟に奥の本棚へと逃げ込む。


 幸を追いかける大蛇の頭が本棚をかすめ、棚を崩してゆく。


 大量の本が崩れて埃が広がり、幸は非常時にもかかわらず、咳とくしゃみを連発する。


「ホッ――待ってくれ……ゴホッ……大事な本が――駄目になるぞ」


『あなた、こんな状況で自分の身よりも本の心配? ――大きなお世話だわ』


 むせて動けない幸の体に、大蛇の尾が巻きつく。ギリギリと体を締め上げられて、幸の骨がきしんだ。


「――――うぁああああああ」


『アリシドを殺したことを後悔するといいわ。私の大切な人を奪ったあなたには、存分に苦しみを与えてあげる」

 

(……くそ……なんて言や、いいんだ……)

 

 全身が砕けそうな痛みを感じながらも、幸はアリシドの最期について、伝えるべきかを悩む。


 たとえ幸が直接手をくださなかったとしても、目の前で人が死んだことに対して、罪悪感がないわけではない。

 

 だが、たとえ勘違いで救われた命でも、幸は死んで詫びようとも思わなかった。

 

(……アリシドを死なせたことで、きっと恨まれることも多いだろうが……けど、アリシドに救われた命をこんなカタチで落とすのは――イヤだ)


 幸は懸命に足掻く。


 だが大蛇のうねりにのまれ、痺れて動けなくなった体は使い物にはならず。それどころか、少しでも気を抜けば意識を落としてしまいそうになる。


 幸は自分の手甲に爪を立て、なんとか意識を保つが――そんな幸の悪あがきを見て、大蛇は笑いを含んだ声で言った。


『アハハ、おチビちゃん頑張るわね。だけど、許してあげない。『殺し合い』で失くすべきだった命を、私が今度こそ――殺してあげるわ』


「……だ、め……だ」


『いくら足掻いたって無駄よ。私は国王のうれいを払う魔術師。この国で私の右に出る兵器ものは…………まあ、あの女くらいよね』

 

 エリシナの高らかな笑い声が響く中、幸はピントがボケ始めた目で周囲を見回す。


 何か、武器になりそうなものがあればと思うが、周囲には本しかない。


 だが、その本だけは山のようにあり、それを武器にできないかと考える。


 読めない表紙をつけた本は、蛇の体の上にも散らばっていた。


 それを蛇の顔にでも投げつけることが出来たら――と、近くにある、ひときわ大きな本に向かって手を伸ばす――が、幸の指先は届かず、苦しみは増してゆく。


(……もうちょっと……)


 文字の読めない本。


 幸はひたすらそれに手を伸ばす――。


 すると、ふいに目の前の本に刻まれていた文字がカタチを曲げて――新しい文字が浮かび上がった。


(……なんだこれ、文字が……日本語に?)

 

 気づけば本の背表紙には、『ほむら』というタイトルが刻まれていた。周辺を見れば、他の本も幸が読める文字に変わっている。


 そして蛇が動いた拍子に、一番近くにあった本の中身が開き――幸の目に太く記された文章の一節が飛び込んでくる。


 幸は手を伸ばしながら、自然とその内容を目で捉える。


 そして、ちらりと読んだだけにも関わらず、幸の口が勝手に詠唱を始めた。


「……アカルミハエイ……詠唱は篝火かがりび……『ソ』を惑わす『ソ』を纏うなら色はさず――」


 幸の口から滑り落ちるようにこぼれ出た言葉。


 エリシナの笑いが止まる。


「なに――まさかあなた、魔術が使えるの――?」


 動揺を見せ始めた大蛇に構わず、幸はその一文を最後まで読み上げる。


 ―――『ソ』を壊すはえ無し、リビンレストの怒り、アカルミハエイ。


 幸が読み上げたのは、ただ目についた書の一節だった。


 幸の意志とは関係なく、目に焼きついた文字が口から逃げるようにして抜け出した瞬間。

 

 透明な炎が幸を包み込む。


 水中に飛び込むような感覚だった。色のない焔が幸を包んだかと思えば、幸の体は大蛇をすりぬけて――床に転がる。


「――――きゃああああああああ」


 大蛇から脱出した直後、幸を包む炎は消えた。自由になったと同時に、悲鳴が聞こえた。


 見あげると、そこにはもう蛇の姿はないもの――かわりに元の姿に戻ったエリシナの姿があり――彼女は透明な炎にまきつかれて、悲鳴をあげていた。


「いやぁあああああ!」


 書庫内に異臭が漂う。水のような透明な色をしているというのに、それは炎そのものらしく、エリシナを容赦なくあぶった。


 だが、それは決して幸が望んだことではなく――。

 

「くそ、なんなんだ!」


 顔を覆って泣き叫ぶ女性を前に、耐えられなくなった幸は、慌てて立ち上がり――そこらじゅうにある本でエリシナの体をはたいた。


 だが火の勢いは止まらず、幸は咄嗟にエリシナを腕の中に包み込む。


 炎に包まれても平気だったじぶんであれば、なんとかなるかもしれない――そんなことを思った幸は、エリシナを火ごときつく抱きしめていた。


 そして幸が強く抱きしめると、炎は見る間に鎮火され――腕の中には意識を失ったエリシナだけが残った。



  

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