そして君はあたたかい世界で泣き殻を捨てる

#zen

第1話 云わせない


 海にほど近い街が茜色に染まる頃。


 ふと学生服の少女が、歩行者の流れから外れて落桜さくらを踏む。


こうといると、なんか癒されるんだよね」


 認めてもいないのに名前を呼び捨てた少女は、長い髪をかきあげて、こうを上目遣いに捉えた。


 さりげなく寄り添われ、絡め取られた腕には、少女の柔らかな温もりを感じる。


 女の子に猫のように甘えられて、甘酸っぱい気持ちになるべきところだが――幸にはむしろ緊張が走る。


 それに、こういった場合、相手の出方はたいてい決まっていた。


「私ら相性イイと思うんだよネ。だってさ、一日一緒に居ても全然疲れないし? 楽しぃし」


 さりげなく幸の顔色をうかがう少女の目が野性味を帯びる。


 それは間違いなく、獲物を見る目だが――その下心を隠しれない迂闊さは、幸からすれば可愛いものだった。


 努力によって自身をこの上なく輝かせて見せる彼女を、むしろ讃えたいとさえ思う。


 自分を作り込んでいるのは、幸も同じだった。だからこそ彼女の努力がわかる。


 他人をたらしこむというのは、そう簡単ではないのだから。

 

 意識下で求められることに応じる努力。


 老人としよりの相手をするように気遣う努力。


 そして、他人の心の機微きびを感じ取り、否定の言葉をなるべく口にしない努力。


 異常なほど周囲との摩擦を避けてきた幸は、平穏に生きることをプログラムされた機械のように、行動パターンをマニュアル化していた。


 幸の内側は、操縦席からモニター越しに外部を認識するだけで、表にはいっさい現れない他物なのである。


 すなわち、一緒に居て疲れないというのは彼女個人の主観でしかなく――本当は、幸がその場所にいる実感すらないことを彼女は知らないだろう。


 戸沼幸とぬま こうとはそういう人間だった。


 そんな幸を全て知ったつもりでいる少女に対して、操縦席はやや白けるもの、吐くのは暴言ではなく優しい笑顔を選択する。


 ――ボタンを押すのは簡単なものだ。


「ああ、ちょっと妹に似てるから、確かに一緒にいて気楽だったかもな」


 幸には九歳下の妹が実在する。完全な嘘ではなく、事実を混ぜてこそ真実味は増すのである。


 だが彼女に求められていたのは、そんな答えではなかった。


 幸が遠巻きにかわしたことで、少女の声に落胆がにじむ。


「……私、そんな童顔でもないと思うんだけど?」


「そうだな……なんて言えばいいかな。……無邪気に笑うところとか?」


 貪欲な笑顔は見ないふりをして、『不器用な優しさ』で返す。


 すると、幸の表現は悪くなかったらしく、少女はまんざらでもなさそうに両手で頬を覆った。


 幸は彼女の顔色をさりげなく読みながら次の手を考える。


「なんか、家でひとりっきりで留守番してる妹のことを思い出して、ちょい切なくなった」


「……幸んち、おトーさんとおカーさん、共働きだっけ?」


「ああ。俺が妹の面倒見てるみたいなものだから、高二にして親心知ったっぽい。……なんか、ごめんな。一緒にいるのに意識飛ばして……気分悪くさせたよな?」


「そんなことないッス! ……今日は楽しかったし。また一緒に遊んでよ」


 彼女の反応から、プロトコルを感覚で掴んだ幸は、さらに『家族思い』という設定を続ける。情に訴えやすい相手は対応も楽で良かった。


「この年で所帯染みててカッコ悪くないか?」


「全然。幸っていつも余裕ある風に見えるし、大人びた感じがして、イイなって思ってたんだ」


 こういう時、ありがとうと口にするよりも清々しく笑ったほうが、好感度が上がることを幸は知っている。言葉少なめで、かつ態度で示す。


 大人びて見えるというのは、幸が多くを語らないせいだろう。


 女子はどうも雰囲気というものに惑わされやすいらしく。特に幸は、言葉を扱うことに慎重なところがかえって好感度を上げていた。


 苦労人というスイッチは便利だった。軽く押すだけで周りが控えめになるもの、重すぎるイメージは逆に噂の種になりやすい分、さじ加減は絶妙だ。


(ここには、一体どんな人間がいるんだか)


 他人が見ているのは偶像ニセモノにすぎないことを、幸は理解していた。


 冷静に評価すれば中の下でしかない幸が、他人にもてはやされるのは、不思議な現象だった。


 思い込みという魔法の力は計り知れず。


 人間はたいがい厚い皮をかぶっているものだが、皮なんて季節が変わればめくれるもので――悪評を拡散されればあっという間に皮が汚れることも知っている。だからこそ幸は細心の注意を払い、自分の行動を一貫させた。


 とてつもない苦労を伴ってでも平穏に埋没していたい幸――しかしそれは、内面がひどく脆いせいでもあった。


「今日はお疲れ。俺の仕事なのに、一緒に回ってくれてありがとうな」


 退職する教員への贈り物を手にした幸は、呼びもしないのについてきた少女を心にもなく労う。


 本当は一人のほうが何倍も能率があがるもの、そんな内心なんておくびにも出さずに笑えば、彼女は本来の目的を達成しないまでも、満足気に帰っていった。


 ――――戦闘モードオフ。


 コックピットでため息が落ちる。


 帰りは自動操縦に切り替えるだけ。自宅の方角が彼女と逆なのはありがたかった。


(そういえば、あいつの名前なんだっけ……誰かがママ村って言ってたけど……)


 最後まで少女の名を呼ばなかったことに気づかれなかったのは何よりもさいわいだった。

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