第22話 幻のかつめし

平和が戻ったかに見えた加古川の町だったが、凛の胸にはまだ一つ、心に引っかかる疑問があった。それは「かつめし」の起源と、その「幻の力」についてだった。かつて影の精霊や調和の精霊が語った力の源、それがかつめしと結びついている理由がどうしても解けないままだった。


ある晩、凛は町の古い食堂「風見亭」を訪ねた。加古川で最初にかつめしを広めたとされるこの店の店主は、かつめしの歴史について知っている人物だった。店内は人の気配もなく静まり返っていたが、奥から店主がゆっくりと現れ、凛に向かって語りかけた。


「凛さん、また来てくれたのですね。かつめしの力について、まだ知りたいと思っているのでしょう?」


凛は静かに頷き、店主の言葉に耳を傾けた。「そうです。なぜかつめしには人々の心を揺るがす力があるのか、どうして影や調和の力と繋がっているのかを知りたいのです」


店主はふかぶかとため息をつき、しばらく黙ってから、語り始めた。


「かつめしは、この町に古くから伝わる料理ですが、実はその起源はもっと古いものだとされている。かつてこの地には、ある秘薬を使った儀式が存在し、その秘薬を食事に取り入れたことで、人々は精神の安らぎや覚醒を得たと伝えられているのです」


「それが、かつめしの原型…?」


店主はうなずいた。「ええ、かつめしのソースにはその秘薬の名残があると言われています。しかし、その本当の力は使われず、ただの料理として広まっていっただけでした。影や調和の精霊が関わってきたのも、かつめしが持つ“幻”の力に惹かれたからだと考えられるのです」


「幻の力…それが、今も町を脅かしているのでしょうか?」


店主は苦い顔をして答えた。「そうかもしれません。かつて教団が狙っていたように、この“幻の力”が誰かの手に渡れば、再び町は危険に晒されるでしょう。そして、影の精霊が解き放たれた今、その力を狙う者が出てこないとは限らないのです」


その言葉に凛は深い警戒心を抱き、店を出た後、祠や神社を巡って「幻の力」にまつわる痕跡を探し始めた。しかし、何も見つからず数日が経ったある夜、再び不思議な現象が町で起きた。町の各地で、突然かつめしを食べた人々が、奇妙な夢を見るようになったのだ。


夢の中では、彼らは見知らぬ場所に立っており、目の前にはぼんやりとした影が現れ、「すべての真実を知りたいか」と問いかけてくる。その声に従って先へ進むと、突然目が覚め、現実に戻される。そして奇妙なことに、彼らは皆、何かに取り憑かれたような感覚を覚え、謎の不安に苛まれていた。


凛はこの現象を見逃すことができず、原因を探るために一人、夜の町へ出た。やがて町外れの広場にたどり着くと、そこにはかつめしを食べた人々がぼんやりとした顔で立ち尽くしていた。彼らの周囲にはうっすらと霧が立ち込め、どこからか聞こえるかすかな囁き声が響いていた。


そのとき、霧の中から再び影のような存在が現れ、凛の前に立ちはだかった。それはかつての影の精霊ではなかったが、同じく不気味な雰囲気を纏っていた。


「私は“幻の力”そのものだ。長い間、かつめしに封じられていたが、ついに解き放たれた」


凛は驚きと共に、その言葉に戦慄を覚えた。「あなたがかつめしの幻の力…なぜ今、町の人々を苦しめているのですか?」


影は静かに答えた。「私の力は、人々の心を覗き込み、彼らの奥底に眠る真実を引き出す。それが彼らの恐れであれ、望みであれ、すべてを引き出すのだ。だが、私の力が強まることで、彼らは心の奥にあるものに苦しむことになる」


「ならば、あなたの力を再び封じるべきです。町の人々が苦しむことを、私は見過ごせません!」


影は笑みを浮かべ、凛に向かって近づいた。「私を封じたところで、心の闇は消えない。それを封じ込めることが本当に人々のためになると思うか?」


凛は一瞬迷いを感じた。影の言葉には一理あった。人々の心の中には恐れや苦しみがあり、それは決して消えることはない。だが、彼女は決意を固めた。


「心の闇が完全に消えないとしても、あなたの力で苦しむ人がいるなら、それを放っておくわけにはいかない。私はこの町の守護者として、人々の平穏を守る!」


彼女は調和の力を呼び起こし、影の力に対抗する光を放った。光は影の霧を払い、周囲の空気が温かくなるのを感じた。しかし影の力は強く、霧が再び押し寄せてくる。


「君の決意は強いが、それだけで私を封じることはできない。私は幻そのものであり、人々の心がある限り、存在し続けるのだ」


凛はさらに集中し、心の奥底に眠る巫女の力を引き出した。影の力を無理に封じ込めるのではなく、調和の力で影を包み込み、人々の心に安らぎをもたらすことができるのではないかと考えた。


「あなたを封じるのではなく、私があなたを鎮めてみせます。人々の心に影を残さないように!」


凛の調和の力が再び光となって影を包み込むと、影は次第に穏やかになり、もがくことなく、静かにその姿を変え始めた。


「人間よ、お前が選んだのは、心の闇を消し去るのではなく、共存する道か…」


凛は影に向かって答えた。「そうです。あなたは人々の心の一部であり、影もまた、必要な存在です。だからこそ、苦しみを与えずに共存する方法を選びました」


影は穏やかな表情になり、やがてその姿は霧散し、町の空気と一体となって消えていった。


人々は静かに目を覚まし、不安から解放されたかのように温かな表情を浮かべていた。凛は人々に寄り添い、彼らの心が穏やかであることを確認し、ほっと胸をなでおろした。


その夜、凛は町の灯りが揺らめく中で静かに誓った。幻や影の力は人々の心に潜むものだが、それを共に受け入れ、支えることで真の平和が生まれるのだと。


加古川の町には静かな夜が訪れ、凛の心には新たな守護の形が刻まれていた。それは、「人々の心のすべてを受け入れる」ことで、町を守るという決意だった。

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