第29話 シカヒーロー

 居間のストーブはつけぱなしになった。

 これ、北海道の戸建て住宅あるあるで、冬の間は火を絶やさないのである。機密性が高いとはいえ、一晩火を消していたら冷え切ってしまうからだ。

 なので微小火力で焚き続ける。


 当然のように灯油はそれなりに消費するから、ホームタンクを設置している家がほとんどだ。

 あ、燃料は灯油一択ね。

 エアコンで北海道の冬を乗り切ろうなんてのは、さすがに自殺行為よ。


「いやあ。またまた異例の話だな」

「まったくね」


 大画面のテレビを見ながらしみじみと先生が言い、私もしみじみと呟いた。

 ソファに座り、膝の上にさくら、隣に私というホームポジションである。


 ニュースで流れている映像はバンだった。

 雪が積もったというのに人里に降りてきたお馬鹿エゾシカが捕獲ネットにかかって御用になったのである。

 これだけなら妙でも珍でもない。

 毎年何件かあるような事件だ。


 で、増えすぎたエゾシカをなんとかするため、殺されてお肉になってしまうというのがいつものパターンである。

 しかし今回は違った。


 バンに助けられた女性が、このシカは命の恩人だから殺さないで欲しいと申し出たのだ。

 なにが驚きって、エゾシカをちゃんと個体識別できているってことだろう。


 思い込みからくる妄想じゃないのかと疑いながらも、関係者たちはドライブレコーダーの映像などと照合した。

 結果、体型や角の形、顔の雰囲気などから総合的に判断して、あのときのエゾシカである可能性が九割九分九厘ということになったのである。


 そしたらもう殺せない。

 人間を助けたヒーローシカだもの。

 街が責任を持って飼育することになった。馬などを放している町営牧場で。


 これにもまた動物行動学のえらい教授が頭を抱えていたわ。

 ありえないありえないって。


 ともあれ、女性とバンは感動の再会を果たしたのである。

 これがニュースにならないわけがない。

 人間と野生のエゾシカが仲良く一緒に映った動画が、テレビやインターネットを通じて広く流布した。


「あのシカは突然変異なんじゃないかって話になってるらしい」

「突然変異て。ただ単に、ともに窮地をくぐり抜けたから連帯感と親近感が増しただけよ」


 先生の話に、私はにゃうんと鳴いてみせた。

 人間だって一緒に死線を越えた戦友とは特別な絆が生まれるでしょう? それと同じよ。

 バンにとってあの女性は同志みたいな存在になった。


「けど、町営牧場なら取材に行きやすいかもな。世紀のヒーローのご尊顔を拝したいものだ」

「ちがうよー ヒーローはぴろしきだよー」


 膝の上からさくらがにゃーにゃーと抗議した。

 彼女にとって、バンとは私の指示で動いただけの存在らしい。

 考えるより動く方がはるかに大変だと思うんだけどね。


「先生みたいに考える人がたくさんいそうだけどね」


 私といえば苦笑いである。

 山の中にいるエゾシカに会いに行くことは至難だけれど、町営牧場でくつろいでいるシカなら会いに行けるからね。


 柵の中には入らないこと、とかいう条件を付けて、普通に見学させるんじゃないかしら。

 産業の少ない街に、突然降って湧いた観光資源だもの。

 これを活用しない手はないでしょ。





 私の予想は当たり、街にはけっこう観光客が訪れるようになった。

 当たりって自慢するような話でもないわね。地面をハンマーで叩くようなもので、外れようがないんだもの。


 ともあれ、凶暴なヒグマに襲われていた女性を果敢に助け、追撃を受けつつも最期まで守り抜いたバンは、たしかにヒーローなのである。

 人気が出るのはむしろ当然だ。


「だからってジークって名前は大げさすぎるけどね」

「すごい名前なの?」

「すごいなんてもんじゃないわ。邪竜ファフナーを倒した勇者の名前だもの」


 秘剣グラムを携えた勇者ジークフリートね。

 出典は『ニーベルングの指輪』。まさにヒロイックファンタジーって感じで、先生も大好きっぽいわ。


「かっこいい! ボクも格好いい名前が欲しい!」


 そしてすぐに影響される子猫なのである。


「さくらって良いお名前じゃない。この国を表す花なんだから」


 ちょっとありふれてはいるものの、響きだって良い。


 私なんかぴろしきよ?

 ロシアの具入り揚げパンよ?


 元ネタがそれじゃないのは知っているけど、食べ物の名前であることに変わりはないからね。

 可愛いからいいけどさ。

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