第10話 元より全力のつもり

 白い息を大きく吐き出している小々倉さんをみると、ちゃんと風避けになれているのか心配になる。

 動けば体は温まると言っていたけれど、まだしばらくは歩くだけになる。この公園には広場、アスレチックコース、子供科学館など色々な施設があるけれど、行こうと思っているのは室内スポーツを楽しめる体育館だ。中央の大きな芝生広場の外周にある遊歩道をちょうど半周しないと辿り着けないため、今の小々倉さんには辛い距離かもしれない。

 

「小々倉さん、大丈夫?やっぱりコート貸そうか?」

「いえ大丈夫ですって。……広場を突っ切れれば楽だったんですけど、何かイベントやってて無理なのはタイミング悪いですね」

「そうだね。結構大人の人も多いみたいだけれど、何のイベントだろ?」


 二人で賑わい目立つ広場を眺めながら大人しく外周を歩く。たまに歓声が上がるけれど、何をしているのかは遠目ではよく分からない。

 しばらく歩くとイベントの受付のテントが近づいてきて、その内容が書かれた看板を見つける。

 『お嬢様鞄投げコンテスト』という怪しげなイベント名に私達は顔を見合わせ、詳細を小々倉さんが読み上げる。


「『お嬢様鞄投げ』とは、体の前で両手持ちするいわゆるお嬢様持ちで鞄を持って、それを投げることです。男女別にそれぞれ飛距離部門、優雅部門、総合部門で競い合います。豪華景品もございますので、我こそは真のお嬢様だ、というそこのあなたの飛び入り参加をお待ちしています!……なんだこれ」

「なんかすごそうだね?」


 説明されてもよく分からないので、首が傾く。

 投げるならボールにすればいいのにどうして鞄なのだろう?そしてどうして持ち方をお嬢様持ちとやらに限定するのだろう?……こうやって気にさせてイベントに興味を持たせるのが狙いだったら大したものかもしれない。

 小々倉さんも看板を見たまま動かないので同じような疑問を考えているのかな?なんて思ったけれど、どうやら違うらしい。淡く輝いて見える瞳で、景品の欄を見つめていた。


「景品に欲しい物でもあるの?」

「あ、いや、世界平和のことを考えてただけです」

「この状況で高尚だね」


 景品とは繋がりが無さそうだ。総合部門の優勝では公園の全施設の年間フリーパス、飛距離部門と優雅部門の女性の優勝では大きな熊のぬいぐるみが貰えると書いてあり、そう思う。

 世界平和は分からないけれど、小々倉さんの視線はぬいぐるみの写真に向いているような気がした。


「ぬいぐるみ、欲しいなら参加してみようか」

「え、でも体育館に行くんじゃ」

「その前の準備運動にしよう」

「はあ、まあそういうことならいいですけど」


 必ずしも体育館に行く必要はない。あそこでバドミントンが出来るらしくて体を動かすのにはちょうど良いと思っていたけれど、小々倉さんが元気に動いているところを見られれば私は何でもいい。

 それに広場は日当たりが良いし、木陰の遊歩道を歩くよりも暖かい。条件的には悪くないものが揃っている。


「我こそは真のお嬢様、って書かれると大分ハードル上がると思いません?」


 受付に向かう途中、小々倉さんが少し躊躇うような足取りで言う。


「そういえば、我って言うお嬢様、変だね。普通"わたくし"とか言いそう」

「そういう話じゃないんですけど。あたしも先輩くらい気品があれば堂々と出来たのになって」

「格好的に私よりも小々倉さんの方が立派にお嬢様してると思うけれど」


 彼女が着ている紺のワンピースは、背伸びはしているけれど似合っていると思う。まるでこのイベントに参加するために着て来たかのようだ。

 そんな話をしながら受付を済ませ、順番待ちの列に並ぶ。列には普通に男の人も大勢並んでいて、「流石にこの中だとあたしでもお嬢様度は平均以上ですね」と小々倉さんは自信を付けていた。本当にドレスとかを着たお嬢様ばかりが並んでいるのを想像していたなら面白い。

 列の先頭の方では実際に鞄を投げている人の姿が見える。体の前で鞄を両手持ちした楚々とした状態からそれに勢いを付けて放り投げる姿はそれなりに愉快で見ていて楽しい。

 たまにゆっくり投げている人がいるのは、優雅部門狙いだろう。投げるときの所作や鞄の軌道の美しさが評価されると受付の人が言っていた。力にはあまり自信がないから、狙うなら私はそっちだ。


「小々倉さんはどっちの部門狙いにする?」

「そりゃあ、飛距離部門一択ですよ。先輩が居るのに優雅さで勝負するとか無謀過ぎます」


 当然だという風に笑う小々倉さんに、私は頷いて返す。

 まるで私が優雅部門の優勝候補みたいな言われようは気になるけれど、小々倉さんには勢いよく投げて欲しいから、それで良いと思う。


 列の終わりが近づいて来た辺りで小々倉さんが腕を回したり伸ばしたりし始める。それを眺めている内に、私達の番がやってくる。

 前の人が投げた鞄を拾って手渡してくれる。あまり大きくない長方形の手提げ鞄は、何が入ってるかは知らないけれど投げ易そうな重さを腕に伝えてくる。


「小々倉さん、私が先でいい?」

「はい。やっちゃってください先輩。よく分からない競技だけど、先輩なら絶対上手くできます!」


 私よりも私のことに自信がありそうなエールを受け取る。

 コートは邪魔だけれど、脱ぐよりはお嬢様感があるからそのままにする。

 誰も居ない緑の芝生の広がりに横向きに構える。少し離れたところに座っている審査員の眼鏡がキラリと光ったように見えた。


「これはきっとただのお遊びイベントじゃないね」


 あれは吹奏楽のコンクールで見る審査員の目と同じ鋭い輝きだ。気を引き締めないと、呑まれかねない。

 「お遊び以外の何があるんですか」小々倉さんの声を始点にして鼓動のリズムを整える。それが跳ねるタイミングで小さく息を吸う度に集中力が研ぎ澄まされていく。背筋と指先をピンと伸ばして、髪の先端まで行き渡るように意識を全身に送り込む。

 美しく見える動きのコツは、幼い時から身に染み込ませたものがある。体の端から端まで、どこを見ても綺麗だと思える一瞬を見せつければいい。

 ステップは羽を授けるように軽く。無駄な力は全て私の内に押さえ込んで、大空へ向けて鞄を羽ばたかせる。

 おぉー、と今までにない歓声が上がった。

 それから大した飛距離もなく、無回転の手提げ鞄が芝生の上に落下した。

 綺麗に飛んだように思うけれど、評価はどうだろう。気になった私は審査員ではなく小々倉さんの反応をまずは伺った。

 何だかポカンとしている小々倉さんと目が合う。反応が無いまま10秒くらい見つめ合って、「小々倉さん?」と声をかけるとやっと時間が動き出したようにその瞳が揺れた。


「いや、あ、優勝おめでとうございます」

「うん?気が早いね」

「あたしの中では優勝してますから。すごく、きれいでした」


 お世辞とも思えない、心から溢れたような声色だった。それが髪の先をくすぐってから私の耳に染み込む。

 審査員がどう思ったかは知らないけれど、小々倉さんの中で優勝できたなら結構満足な気がする。


「そっか、ありがとう」


 軽く小々倉さんにお礼を伝えて、イベントの進行を妨げないように投げた鞄を拾いに行く。10メートルも飛んでいない鞄を持って戻り、小々倉さんに手渡す。


「次、頑張ってね。応援してるから」

「ありがとうございます。もうあんまり気張らなくて良くなりましたけどね」

「?どういうこと?」


 並んでいる時はかなり張り切っていたのに、出番を前にしてその表情は穏やかに緩んだものに変わっていた。どういう心変わりだろうか。

 私は全力の小々倉さんが見たいのに。抗議の視線を送っても、「秘密です」と満足げな笑顔を向けられた。たまにあるよく分からない時の小々倉さんだ。

 でも、今はよく分からないで片付けてはいけない。

 どうにかして小々倉さんのやる気を取り戻せないだろうか。何か好きなもので釣れば良いのかもしれないけれど、すぐには小々倉さんの心を動かせそうな餌を思い付けそうにない。小々倉さんは今にも鞄を投げそうになっている。


「待って」

「え?」


 袖を引っ張って何とか引き留める。釣れるか分からないけれど、言えることを駄目元で言ってみるしかない。


「優勝したら、小々倉さんのお願いを一つ聞いてあげる」


 小々倉さんが望むものを小々倉さんに決めて貰えば、好きなものを思い付けなくても問題ない。ただ、他に好きな人がいる小々倉さんが私に何かして貰えることに価値を見出だしてくれるかが問題だ。


「えっと、あの先輩、別に」

「やっぱりその程度じゃやる気にならないかな?」

「いやそういうわけでは断じて無くて、そもそも」

「私に出来ることなら何でもするけれど」

「な、何でも」


 強めに出ると、小々倉の肩が揺れた。何でもの中に一体どんな想像をしたのだろう。お小遣いはかなり貰ってるから高価な物をねだられても良識の範疇でなら対応できるけれど、背伸びした格好をしちゃう子だから侮れない面もある。

 まあ、何でもと言ってしまったからには腹を括ろう。今は小々倉さんの本気を見れることを願うだけでいい。


「……分かりました。優勝出来るように全力でいきます。まだ完全に力が戻ってるわけじゃないので厳しいかもしれませんけど」

「そっか。じゃあ優勝できなくても全力なのが私に伝わればいいよ」

「甘やかさないでください。先輩の何でもはそんな簡単にぶら下げていい人参じゃないです」


 小々倉さんの瞳に炎が宿って見える。

 思いの外高く買われたものだと思う。まさか値下げが断られるなんて。

 開けた広場に向き直った小々倉さんは、さっきよりも気合いが違って見える。

 鞄の持ち手部分にぎゅっと力を込めて。

 軌道を思い描くように、斜めに空を見上げる。

 それから、私が見たかった躍動感のままに、小々倉さんが全身を振るい上げた。


「っせぇぇぇい!!!」


 見ている私も思わずお腹に力が入る気合いたっぷりの声。

 そんな小々倉さんのエネルギーを受け取った鞄がロケットのように宙を駆け抜ける。

 願いを叶える流れ星を自分で生み出すなんて、すごいと思う。小々倉さんの元気な姿を見たいという私の願いもついでに叶えてくれたし、更にすごい。

 感心しながら、私は小々倉さんのお願いを聞く心構えをした。


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