あなたの事は忘れるね/先輩の事は忘れない

@karasina-sizuku

第1話 甘さ控えめ通り越して血

 今日は用事がある、そう言っていつも一緒に吹奏楽部の部室へ向かっている友達と教室で別れた。その足で向かうのは、学校の外。校舎から少し離れた場所にあるソフトテニス部のコートだ。

 会って話をしないといけない人が居る。一年生の『小々倉大葉ささくらたいよう』さん。先月、私が駅で電子カードを無くして、たまたま現金の持ち合わせもなくて困っていたところを助けてくれた、優しい女の子だ。

 無駄に大きな勾配をしている坂を早足で上り、上り終わったところでその後姿を見つける。一人らしく、都合が良かった。


「小々倉さん」

「え?あ、千ノ音せんのね先輩」


 声を掛けると、彼女は軽やかなターンで後ろを振り向いて、坂の上から私を見下ろした。


「私の事、覚えててくれたんだ」

「いや、そりゃまあ。でも、こんなところまで会いに来て何の用ですか?お金ならもう返してもらいましたけど」


 370円。あの日貸してもらったありがたいお金は翌日すぐに返していた。私たちを繋ぐものは、それで終わっていた。保とうとすれば保てたあの縁を、お互いに繋ぎ止めておこうと思わなかった結果だろう。

 だから、ちょうど良かった。私の目的の達成には、彼女であれば問題ない。


「あのね、あなたにはどうしても聞いてほしいお願いがあって」

「はあ?千ノ音先輩が?」

「あなたには、私の初恋相手になって欲しいの」


 冷たい秋風に木々が揺れ、木の葉が舞い散る中、私のスカートと小々倉さんの短めの黒髪が靡く。そのざわめきに隠されたようにお互いの声が紡がれない時間が数秒続く。

 半開きで乾いた小々倉さんの小さな唇が、それからやっと動いた。


「……それは、本気ですか?」

「うん。考えた結果、私にとってあなたが一番で」


 私の告白は、彼女の眉を顰めさせていた。この気持ちがどう届いたのか、判断は難しいけれど、言ってしまった以上結果は覆らない。私にとって彼女がそう言う人間だと、それ以上に補足することもなかった。


「念のため確認しますけど、それって今朝のニュースの」

「そう。"恋島症こいしましょう"の」


 それは、最近世間を騒がせている、未知の病。その症状は、『初恋相手のことを完全に忘れてしまう』という突飛なものだった。

 発見者にしてその研究を最先端で行っていた『恋島教授』の名前から取られた結果ギャグみたいにな名前になっているけれど、その恋島教授ですら既に原因究明に匙を投げている現代科学の敗北の象徴のような脅威の病だ。

 元々は日本人を対象に無差別としか思えないパターンで発症し、現在では日本人の内99%がこの症状に罹っていると言われている。つまり、今の日本人はほぼ確実に初恋相手を忘れてしまうのだ。

 失われた記憶が戻った例は無く、それどころか同一人物に対する記憶は一度忘れた後に新たに得た記憶でも二ヶ月毎に忘れてしまう。そんな理不尽さを有していながら、治療方法は何一つ見つかっていない。その悪影響が日本各地で悲劇を生み続けている。

 そんな中、事態を重く見た日本政府は今朝、嘘みたいな対抗策を発表したのだ。その内容とは。



 『初恋がまだの国民は、忘れてしまっても支障の無い他者に対して初恋を済ませてしまうことを強く推奨する』



 と。つまり、初恋相手になってと申し出るということは、バレンタインに甘いチョコレートを差し出す行為とは程遠く。


「あれを真に受けて、真っ先にあたしのところに来たんだ……」


 肩の横をヒュッと鋭い刃物が通った気がした。それは小々倉さんの暗くなった瞳から放たれたもののようだ。思っていたよりも反応が芳しくない。


「ごめんね、小々倉さんが凄く良い子なのは知ってるんだけど」

「でも、忘れてもいいと思われてるんですよね。分かります。学年も部活も違うあたしなんて、貸し借りが無ければ真っ赤な他人ですもんね」


 こうも拗ねられるとは。拗ねられるで済んでいるならまだマシだけれど、嫌われたとしてもおかしくない。嫌われそうだと好きになるどころでは無くなりそうで、初恋って難しい。


「それでいて、好きになれそうな相手って、限られてるんだよね……。本当にごめんね、あなたを不快にさせる気は無かったのだけれど。何とか他を探すから、全部忘れて」


 これ以上不穏になる前に無かったことにするべきと判断した。坂を下って校舎に戻ろうと身を翻す。

 すると、私の横を何かが勢いよく通り過ぎる。今度は気配とかそういうのではなくて、黒いラケットケースが坂の下へ滑り落ちていくのが見えた。その行く末に気を取られ立ち止まると、後ろから早い足音が近付いてきた。押される背中、体勢が一瞬にして崩され浮遊感を得た後、がしんがしんと視界が回る。肘とか腕とか膝とか全身が熱くなる、というか痛い。


「っつぁああぁぁぁ!!!」


 私のものではない苦痛に満ちた声が耳元で響く。それで状況を認識する。坂の上から小々倉さんに飛び付かれて、そのまま転げ落ちたのだ、と。

 意外とアスファルトって柔らかいな、と回らない頭で考え、自分が下敷きにしているのが地面ではなく小々倉さんの身体だと気付く。

 首筋に液体が這うのを感じ、それにしては頭の痛みはない。守るような小さな手が後頭部を覆い、そこから流れ出ているものらしい。

 身体を起こすと、結構痛い。そして、制服はボロボロで、あちこち血が滲んで。そして私よりももっとボロボロな身体が私の下で横たわっていた。躾のなってない犬におもちゃにされた人形くらい痛ましい姿だ。


「い、生きてる?」

「生きてます。あたし頑丈なので」

「なんで」


 口が効ける状態だと分かると、ポロッと零れる。まるで、生きてる事が疑問なように聞いてしまったけれど、そうじゃなくて、なんでこんな事をしたのかという単純な疑問だった。

 私に対する怒りがあったのなら坂道で突き飛ばすのは理解できる。でも、人を巻き込んで自分も転がり守るように私を抱き締めて、私の何倍もボロボロになっている彼女は意味が分からない。


「あたしにしておいてください」


 返ってきた言葉は疑問に沿ったものではなかった。視線が虚ろで、意識が朦朧としているのかもしれない。


「何を」

「初恋の相手。でも、一つ条件があります」


 血がアスファルトの隙間を流れていく。そのほとんどが小々倉さんの一部だったもので、こんなことをしている場合じゃないと思う。でも、彼女が何を条件として示すのか、今はそれを最優先に脳が動いている。


 そして、血に濡れた唇から千切れそうな声で紡がれたその条件は、少し不可解で、呑むのは簡単なものだった。私がそれを、分かった、と受け入れると、彼女は目を閉じて動かなくなってしまった。

 

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2024年12月2日 19:00

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