プロローグ

「あぁ、どうして今年も来てくださらないの……」

 ルイスこうしやく家の食堂で、悲しげな女性の声がひびく。声の主はだれかを待っているようで、しかしその相手は一向に姿を現す気配がなかった。

「ユーグリット様……なぜなのですか」

 ユーグリット、その名前が指す人物は私の父である。

 そして、さきほどからそうかんあふれる声を出しているのが、私の母、オフィーリア・ルイス。だんならまぶしく見えるきんぱつも、重苦しいふんのせいでいろせて見える。流れるなみだは美しく、絵になるほど整った顔立ちだ。

(……あんなに料理を用意させたんだ)

 とびらすきから見えるのは、テーブルの上に並ぶごうな食事。かざり付けられた部屋と、準備された食事には意味があった。

 今日は両親のけつこん記念日なのだ。

 二人にとって十二回目の記念日。しかし、お父様がその祝いの席におとずれることはない。理由は簡単。お父様にとっては、祝うべき日でもなんでもないからだ。

 元々は公爵れいじようだったお母様が権力をたてに、無理やり押し進めたと言われるこのこんいん。お父様は結婚したのだからあとは好きにさせてくれと言わんばかりに、お母様を放置していた。結婚したは良いものの、結局一番大切な心までは手に入れることができなかったあわれなお母様。

 かくいうむすめである私は、そんな同情心からお母様の様子をのぞきにきた──わけではない。

「ユーグリット様、貴方あなたは今年も来てくださらなかった。わかりましたわ、貴方が私を愛してくださらないということが」

 こっそりと部屋に入ると、暗く重たい声が部屋の中に響いた。

「あぁ、ユーグリット様。私を愛してくれない貴方などいりませんわ。それなら──」

(殺してしまいましょう、ですよね? その先は言わせませんよ、お母様!!)

 つむがれるはずの言葉をかき消すために、勢いよく走り出した。お母様の視界に入るようにバッと両手を広げて、自分の存在をアピールする。

「お待ちくださいお母様!!」

「…………あら、イヴちゃん」

「はい。娘のイヴェットです」

 うつろなひとみが私をとらえた。お母様の意識は、やみち寸前でまだこらえているように見えた。

(私をにんしきできるなら、私の声が届くはず!!)

 手に力を入れると、お母様の目をじっと見つめた。

「愛することをあきらめる必要は、ないのではないでしょうか?」

「……もう、無理よ」

 はっとちようするように笑うお母様。

「手紙を送ったり、会いに行ったり……一通りできることはすべてやったわ。でも、ユーグリット様は今日、来てくださらなかった」

 しかし、お母様の心には全く届かない。

(知ってますとも。重すぎる愛の押し付けをしていたのを、見てきましたからね)

 決して言葉には出さず、けれども本人に気が付かれないように、うんうんとうなずいていた。

「だからもういいの」

「いいえ! お母様がまだ一度も試していない方法があります!!」

「試していない方法……?」

 その復唱は、興味があるようなこわいろだった。

「はい、押してなら」

「知っているわ。引いてみろ、というのでしょう。それもやったの……だけどだった」

 食い気味に否定されてしまった私の意見だが、最後まで言い切っていなかった。

「いいえ。押して駄目なら、してみろ!! ですわお母様!!」

 ですわお母様!! ……お母様……様。

 私の声はお母様のなげいていた声よりはるかに大きく、部屋の中ではんきようしていた。

 ポカンとしているお母様を、私は自信満々の表情で見つめる。

「押して駄目なら押してみろって……? 結局は押すってことよね。それももうやったわよ……?」

「いえ、その押しではありません」

「イヴちゃん……何を言ってるの?」

「私の言う〝おし〟とは、推し活の〝推し〟ですお母様!」

「おしかつのおし?」

 私の意図を説明すると、お母様の頭上にはこれまでにない大量のもんかび上がっていた。しかし思考はほうされ、お母様はしようげきを受けたように両手で口を押さえた。「うちの子が変なことを言ってる……!」という表情が読み取れる。確かに十一歳の我が子がとつぜんこんなことを言い出したらおどろくことだろう。

「イ、イヴちゃん。ありがとう、私をなぐさめてくれたのね……」

「お母様、私は本気ですよ!!」

 そう力強く言えば、お母様のどんよりとした空気がかんされ、私を本気で心配するまなしへと変わっていた。

 こんな不思議かつとんでもない提案をしたのには、もちろん大きな意味がある。

 私は転生者であるがゆえに、本来ならばお母様がこの後失意のあまりしきに火をつけてしまう未来を知っている。私はそこに巻き込まれ、心中という形でしようがいを終えるのだ。

 今ここでお母様の闇落ちを止めなければ自分の命が危ない。だからお母様のお父様に対する負の感情を静められるよう、必死に説得した。

 そこまでしてでも、生き延びたいという強い理由があったのだ。

(せっかく推しが義弟おとうとになったのよ! なんとしてでも成長を見守らないと!!)

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