黒ねこの有効範囲
だいたい日陰
第1話 趣味アレルギーなんだ
なるべく落ち着いた声音を意識しながら、卯野雅親は、マイクに向かってアナウンスを開始した。
「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ。本日はカレーセットがお安くなっております。じゃがいも、にんじん、たまねぎ、ぶたにくが三割引。特設コーナーにございますので、ぜひ、お買い求めくださいませ」
最後の余韻まで意識してから、マイクのスイッチをオフにする。
「雅親くん、最初は噛み噛みだったのに成長したわね。お母さん、泣いちゃいそう」
「だれがお母さんですか」
アルバイト仲間の丸山が、涙を流さんばかりに感激している。
たしかに、アルバイトを始めたばかりのころは迷惑をかけたと思う。
仕事をする、ということが初体験だったので、レジの打ち方から入荷処理から、ひととおりの失敗をしてはベテランの丸山にフォローしてもらった。
母親のような視点になるのもしかたがないというか、むしろ感謝すべきなのかもしれない。
雅親は、今年で二十一歳になる大学生だ。
しかし、一年生の冬から大学を休学しており、駅前にあるスーパーマーケット、スーパーくまおかでアルバイトに明け暮れる日々を送っていた。
髪は短く刈っていて、ほとんどボウズに近い。ファッションを意識してこの髪型にしているわけではなく、油断すると、ぼさぼさになるまで伸ばしてしまいそうだから、簡単かつ安価な方法でメンテナンスしているだけだ。
上背はある方だが、丸山や、店長の熊岡などには「せっかく背が高いんだから、もっと胸を張ればいいのに」と言われている。背中を丸めがちな自覚はあった。
スーパーくまおかは服装自由、髪型も髪色も自由だが、目立つ服装をする趣味もないので、水色の襟付きシャツとベージュ色のチノパンの上から、支給された濃い緑色のエプロンをつけている、という格好だ。
「カゴの補充いってきますね」
「はい、お願いね」
レジから手をひらひらと振って送り出してくれる丸山は、本人に聞いたことはないが、おそらく四十歳後半ぐらいだろう。
温和な雰囲気、かつ社交的な性格で、近所の主婦から会社帰りのサラリーマンまで、幅広いお客さんたちと仲が良い。
「あら。そのカーディガン、いいですね」や「カバンを新しくされたんですね」など、細かい変化に気がついて、声をかけては親密になっていくので、丸山と顔見知りになった固定客層ができている。
このスーパーの売上の一部は、丸山によって維持されているといって間違いない。
「俺には無理だな」
つぶやきながら商品棚の間に置かれているカゴを補充していく。
あのような社交性は、一生かけても身につきそうにない。
「いや、社交性の問題じゃないか。おっと」
売り場のカゴの補充を終えて戻ろうとしたところで、棚の向こうから現れた少女とぶつかりそうになった。
「失礼いたしました」
頭を下げる雅親に、少女は「いえ」とだけ答えてレジの方向へ歩いていく。
雅親は、なんとなく、その姿を目で追ってしまった。
歩きに合わせてサラサラとなびく長い黒髪。小柄な体格ながらも、はっきりとした目つきによって、か弱さを感じさせない雰囲気を持っている。
中学生ぐらいの年齢だろう。幼さの残る顔立ちだが、どこか大人びた風情があった。白い無地の長袖Tシャツにジーンズというシンプルな服装が、より少女の特徴である長い黒髪を強調していた。
「あの子、また来てますね」
レジに戻って丸山に話しかける。
ここ半月ほどだろうか。お昼どきになると、たまに見かける少女だった。
「今日もコロッケ買っていったわ。学校はお休みしてるのかしらね」
平日の昼間に、どう見ても義務教育年齢の子供が買い物に来ているのだから、なにかあるのかと思ってしまう。
「声かけてみたら?」
「男に話しかけられるのは怖いでしょ」
苦笑気味に言うと、丸山は頬に手を当てながら「雅親くんなら大丈夫だと思うけど」と答えた。
「いやいや。つづきやってきます」
レジを離れて作業を再開する。
買い物カゴは袋詰めをおこなうサッカー台に流れ着くので、溜まったそれを抱えて入り口のカゴ置き場に戻していく。
たまに、駐輪場までカゴを持っていってしまうお客さんがいるから、ざっと外をチェックして終了だ。
自動ドアをとおり、放置されたカゴがないか確認する。
すると、壁にもたれかかってコロッケをかじっている、さきほどの少女の姿があった。
なにかを思い悩んでいるような、もしくは痛みに耐え続けているような、伏し目がちな表情。
いまにも限界を超えて壊れてしまいそうな、その表情を見た瞬間、雅親は「あの」と無意識に口を開いていた。
「だいじょうぶ?」
少女の顔がこちらを向く。
その目は驚いたように見開かれ、そして、ボロボロと涙がこぼれはじめた。
「ああああの!」
自分が泣かせたような気になって、わたわたと焦ってしまう。
「悩んでるんだったら、たぶんそういう電話をするところもあるし! なんなら俺、調べるからさ!」
少女はシャツの袖で涙をぬぐうと、照れたように笑ってみせた。
「あはは。びっくりさせてごめん。なんでもないから」
「そう? だいじょうぶ?」
「うん。マサチカくん、いい人だね」
とつぜん自分の名前を呼ばれてギクリとする。
それを察したのか、少女は店内の方を指さした。
「名前。さっき、話してるの聞こえてたから」
丸山との雑談の声が大きかったか。
気にするお客さんもいるだろうし、もっと気をつけた方がいいだろう。
「そっか。じゃあ、俺、行くから。なにかあったら言ってね」
なんだかんだと話しかけてしまった。
とりあえず、丸山に報告するかと思っていると、背後から声がかかった。
「ねえ、マサチカくん」
振り返る。
少女はすこしだけ微笑みながら、真っ直ぐな視線を雅親に向けたまま、こう口にした。
「わたしと一緒に、動画配信者やらない?」
定期的に同じ夢を見る。
大学の敷地内で、好きになった人に告白している場面だ。
雅親は手を震わせながら、絞り出すように思いを告げる。
すると相手は笑顔を浮かべてこう返すのだ。
「ごめんなさい。わたし、趣味のない人は無理なの」
目を覚ますと、古い安アパートの天井が見えた。
都心から電車で三十分ほど離れた住宅街。大学に通うために借りた部屋だが、いまでは近所のアルバイト先との間を往復するだけの生活になっている。
きりきりと胃が痛むような気分と一緒に、昨日の少女の誘いを断ったことを思い出した。
「ごめん。俺、無理だから」
それだけ言って、逃げるようにして店内に駆け込んだのだ。
動画配信者ってなに?
なんでとつぜん?
なぜ俺なの?
いまとなっては、いろいろと疑問も浮かんでくるが、あのときは反射的に拒絶してしまった。
もうすこし言い方があったかもしれない。
自分が傷つけられた言葉を自分が口にした、という後悔もある。
「だけどさ」
雅親は布団の上で上半身を起こすと、自分の部屋を見まわした。
畳敷きの六畳の部屋には、床に直置きされたテレビと、大学の課題のために買ったノートパソコン。折りたたみ式のテーブルは、布団を敷くために部屋のすみに寄せており、それ以外は最低限の生活雑貨があるだけだ。
本棚もゲーム機も、テレビ番組を録画するためのレコーダーすらない。
娯楽と呼べるようなものは、まったく見当たらなかった。
「本当に、無理なんだよ」
時計を見ると午前十一時を過ぎている。
今日は遅番の日だ。
昼食を摂ってからバイト先に行こうと、布団から抜け出した。
四月の心地よい風を感じながら、アルバイト先のスーパーくまおかまで歩いていく。
雅親のアパートからくまおかまでは、徒歩で十分ほどだ。
奥にある事務所へ行く前に、レジに入っている丸山に挨拶する。
「おはようございます、丸山さん」
「おはよう。お客さんが待ってるわよ」
「お客さん?」
丸山が指で雅親の後ろを示す。
振り向くと、背後に昨日の少女が立っていた。
「な、なんで?」
「なにが無理なの?」
強いまなざしを雅親に向けたまま、少女が、ずいっと踏み込んでくる。
その分を雅親が後じさった。ちょっと怖い。
「やりたくないとか、興味ないとかじゃないんでしょ?」
「なんの話?」
状況を呑み込めていない丸山が、どちらにともなく問いかける。
「マサチカくんに、一緒に動画配信やらないかって誘ったんです」
「あら、楽しそう。やったらいいじゃない?」
「だだだって、丸山さんも知ってるでしょ?」
「なにを?」と少女がさらに踏み込んでくる。
「お、おれは」
サッカー台のある壁際まで追い詰められた雅親は、罪を白状するかのように口を開いた。
「趣味アレルギーなんだ!」
少女が首をかしげる。
「なにそれ?」
「ええと」
説明する。
雅親の父親は、とにかく娯楽というものに否定的だった。
漫画やゲームは買ってもらえず、アニメすら見せてもらえない家庭。たまに遊びにきた友達が、そういったものを持ってくると、あとで「くだらない」「時間の無駄だ」と雅親を蔑むような言葉をぶつけた。
そのような経験が積み重なった結果、漫画を手に取ったり、ゲーム機のコントローラーを持ったりするだけで、アレルギー反応に襲われるようになってしまった。
成長すると共に、さらにその症状は発展していき、いまでは世間的に趣味と認識されるもの、例えば魚釣りや登山などであっても、「これは趣味だ!」と思えるものすべてを受け付けなくなっている。
当然、時間を持て余すので勉強ばかりしていたが、成績上位の高校に入ろうが、東京の大学に入ろうが、深い付き合いのできる友人はひとりもできなかった。
「極めつけに、好きな子にふられたのがショックで大学に行けなくなっちゃったのよね」
「さらっと個人情報を漏らさないでください」
「ふうん」
少女は、すこし考えてから口を開いた。
「でも、仕事はできてる」
「仕事は趣味じゃないだろ」
「楽しくないってこと?」
どうだろうか。
嫌な客もいるが、店長や丸山と一緒に働くのは、それなりに楽しい気もする。
「楽しい、と思う」
「じゃあ、問題ないよ。動画配信はビジネスだから」
「どういうことだ?」
少女は不敵な笑みを浮かべた。
「動画配信者になろう。それで一発当てて、億万長者になってやろう。そこまでいかなくとも副業として成り立たせたい。そう思う人達はたくさんいるよね」
「そうなのか」
趣味アレルギーを患っているため、当然、動画サイトの状況、ましてや配信者の事情などに詳しいわけがない。
「だけど、収益化ラインにとどくチャンネルなんて、全体の15%しかいない。残りの85%の人たちは、収益化すらできずにもがき続けてるんだ。その違いがわかる?」
雅親と、なぜかレジカウンターの中で丸山も首を横に振っている。
「分析力と企画力。他の配信者がやってるようなことを、そのままやっても廉価版にしかならない。よそのチャンネルとどう差別化するか。配信頻度や投稿時間。そもそも面白いコンテンツってなに? そういった思考を突き詰めた先に、ようやく成功の道が開けるんだ。どう? すごくビジネスだし、すごく楽しそうでしょ?」
ビジネスなのはわかったが、楽しそうなのかはよくわからない。
ただ、これだけは聞いておきたいことがあった。
「なんで俺?」
「マサチカくん、いい声だし、いい人そうだし」
うんうん、と丸山がうなずいている。
「それに中学生ひとりじゃ、いろいろとやりにくくて。助けてくれると嬉しいんだけど、どうかな?」
あらためて少女に問われる。
「無……」
反射で「無理」と答えそうになって、思いとどまった。
定期的に見る夢。
好きだった女の子にフラれる、あの夢。
「趣味のない人は無理なの」という言葉を聞くたびに、自分の存在を全否定されているような気分で目が覚める。
もしかしたら、動画配信というものを手伝うことで、あの苦しみから抜け出せるかもしれない。
「やる」
少女の目が輝いた。
「ありがとう! よろしくね!」
差し出された細い手。
雅親は、その手をおそるおそる握り返した。
「俺、なにも知らないけど、よろしく」
「あ。まだ名前言ってなかったね。わたし、羽黒ねこ」
「俺は卯之雅親」
「それで?」
ふたりの様子を見守っていた丸山が口を開いた。
「どういう動画を作ろうとしてるの?」
「え? 普通にゲーム実況ですけど」
ねこの言葉に、丸山が困ったような表情になる。
「他の動画との差別化がどうのと言ってた気がするけど」
「だ、だって、うちにある機材じゃゲーム実況ぐらいしか作れないし」
よくわからないが、丸山がなにやらクリティカルなことを言ったらしい。
「マサチカくんは、旅行動画とかアウトドア動画とか作れるような機材とアイデアもってるの?」
なにか八つ当たり気味なことを聞かれている気がする。
「もってない」
「じゃあ、決まり。打ち合わせしたいから連絡先教えて」
「急いだほうがいいわよ、雅親くん」
「なにがです?」
丸山に聞き返す。
「もう出勤時間すぎてるから」
ねこに説得されている間に、アルバイトに遅刻していた。
ノートパソコンを操作して、アカウントを作成していく。
メールアドレスは大手検索サイトで作ったフリーのものを使用。チャンネル名はあとで変えられるから、適当に入れておこう。住所や電話番号はいらないようだ。おそらく、収益化したら必要になるのだろうが、いまはまだ先の話だ。
ねこは頭からブランケットをかぶった格好で、次々に情報を入力していった。
羽黒家が借りている、築四十年のマンションの一室。
建物が古いから、というわけでもないだろうが、四月の夜の台所はまだ肌寒い。
さほど広くない空間に、長方形のテーブルと椅子が四つ。背の高い食器棚やオーブンレンジなどが押し込まれている。
冷蔵庫がたまにあげる、ブゥン、という音を聞きながら、ねこは作業を進めていった。
自分の部屋で作業すればよさそうなものだが、夕飯づくりから食べるところまで台所にいたのだし、それだけ室温も上がっているのだから、わざわざ、もっと寒い場所に移動する気にはなれなかった。
アカウントを作成し、問題なくログインができるか確認していると、ガチャガチャと鍵をあける音がする。
玄関のドアが開き、母親の声が聞こえた。
「ただいま」
「おかえり、さとさん。カレーできてるよ。あっためようか?」
母親の羽黒里美は、茶色に染めた髪の毛を頭の後ろでまとめており、襟付きシャツにジーンズという服装だった。撥水生地の大きめなバッグを肩にかけている。
「自分でやるからいいわ。先にシャワー浴びちゃう」
里美は荷物を適当な場所に置き、流しの前に立ってコップに水をそそいだ。
その背中に話しかける。
「さとさん」
「ん?」
「わたし、学校いかないことにした。なんか、忙しくなっちゃって」
「ふうん」
「心配?」
里美はコップにそそいだ水を飲み干してから口を開いた。
「いいんじゃないの? あんたの人生だし。また今度、ゆっくり話しましょ」
「うん」
「学校はいいけど、危ないことはやってないわよね? 変な人と連絡とりあったり」
ピコン、とねこのスマホに着信が入った。
雅親からの「帰った」というメッセージだ。
まあ、雅親は変な人ではないだろう。アルバイト先の人からの信頼も厚そうだし。
「もちろん」
「そ。じゃあ、シャワー浴びてくる」
「ごゆっくりー」
浴室に向かう里美から視線をはずして、スマホを操作する。
作ったばかりのアカウント情報と一緒に、「そっちでもログインできるか試してみて」と、雅親へメッセージを送信した。
ノートパソコンは持っていると言っていたし、大学の授業で使っていたらしいので、操作方法は問題ないだろう。
しばらくして、また着信音が鳴る。雅親からの返信だ。
「できた」
「おっけー。どんなチャンネルにするかだけど、好きな配信者さんとかいる?」
送信してから気がついた。
「ごめん。趣味アレルギーだったね。いるわけないよね」
フォローのメッセージを送信。ちょっと考える。
とはいえ、ゲーム実況がどういうものかを知らないままだと、今後の活動に影響が出る気がする。ざっと把握ぐらいはしておいてもらいたいところだ。
ていうか、いまさらながら趣味アレルギーってなんだ。
「動画配信はビジネスだから」とか言って強引に誘ってしまったが、ゲーム実況なんてできるのだろうか。もしかしたら、とても申し訳ないことをお願いしているのではないだろうか。
着信音。
スマホの画面を確認する。
「人気のあるゲーム実況者を調べるところからはじめるよ」
思わず、笑みがこぼれた。
なにが必要かを、ちゃんと考えてくれている。
「ありがとう。明日は遅番?」
「明日は早朝番だから、昼過ぎにはあがれる」
「バイト終わったら、さくら公園に集合ね。打ち合わせしよ」
「了解」
初日の活動としては、こんなところだろうか。
ねこはノートパソコンを閉じると、伸びをしてからコーヒーを淹れるために立ち上がった。
「早朝番ってなんだろ?」
機会があったら聞いてみよう。
さくら公園は、駅前広場と直結するように作られていた。
広い敷地内は散歩するにもちょうどよく、子供用の遊具や小さな池もあって、近隣住民の憩いの場となっている。
スーパーくまおかも駅の近くにあるので、アルバイトが終わった後に打ち合わせをするには、いい立地だ。
雅親とねこは、池を見渡せるベンチに座っていた。
春の陽気がポカポカと心地いい。
「なんか、クマできてない?」
ねこの指摘に、雅親は「ああ」とだけ答える。
大学に通学するために購入したショルダーバッグをあさり、中から資料の束を取り出して、ねこに渡した。
「人気のあるゲーム実況者のリストを作ってきた。チャンネル登録者数と、投稿動画の本数なんかもまとめてるぞ」
おかげで寝不足のままでのアルバイトとなってしまったが、主要なゲーム実況者については把握することができた。
「ありがたいけど、寝ないでやれとは言ってないからね」
ねこが雅親をひと睨みしてから、渡された資料をペラペラとめくっていく。
「どのチャンネルが面白かった?」
「面白いなんてない。ただ、作業としてやっただけだ」
「あ、そうか。ビジネスだった」
ねこは、どうにも趣味アレルギーというものがピンときていないようだ。
それはそうだろう。見た目ではわからないし、他人が理解できるようなものではない。
「んと。じゃあ、参考にすべきチャンネルはあった?」
質問の投げ方を変えてくる。
「わからない。でも、逆の意味で参考にすべきチャンネルはあったかな」
「どういうこと?」
バッグから、もうひとつの資料を取り出す。
「一年以上活動してるのに、あまり伸びてないチャンネルもチェックしてきた」
「なるほど。それと反対のことをやればいいんだ」
「あくまで俺の印象だけど」
伸びていないチャンネルの特徴について、気づいたものをあげていく。
ゲーム実況のチャンネルだが、旅動画など、別ジャンルの動画が混ざっている。
短い単発のゲーム動画を複数あげているが、内容に統一性がなさそう。
「まとめると、なにやりたいのかわからない、が特徴かな」
そう言うと、ねこは「うんうん」とうなずいた。
「伸びるためには、その反対の、なにをやりたいかが明確、が必須要素ってことだね」
「再確認だけど、俺たちはゲーム実況をやるんだよな?」
「そう。ただし、パソコンゲーム限定」
「なんで?」
「家庭用ゲーム機は、パソコンに映像を送る機材が別に必要になるからね。持ってないんだ」
「そっか」
意外と難しいものだなと、はじめて触れる世界にむしろ感心してしまう。
「マイクはひとつあるから、それを使えばよし。動画のキャプチャーソフトと編集ソフトもパソコンに入ってるよ」
「他に必要なものはあるか?」
「ツール系はこれで全部かな。その気になれば、いつでも作りはじめられるはず」
「問題は、なにを作るか、だな」
「やるべきことを書き出していこうか」
ねこが、スマホのメモ機能を立ち上げる。
「チャンネルの特徴を決める。チャンネル名を決める。プレイするゲームを決める。撮影して、編集して、やっと投稿」
「結構、道のりが遠いな」
うんざりしたように言うと、ねこが「だね」と小さく笑ってみせた。
「でも、ここが重要だよ。適当に決めちゃうと、ずっと先まで影響するから」
「まずはチャンネルの特徴か」
「ふたりでやるんだから、どういう関係か説明いるよね。兄妹とか?」
「普通な気がする」
「お嬢様と執事」
「人気、出そうか?」
「どうかな。どう思う?」
正直、雅親に面白そうかどうかの判断を求められても困るのだが、それを言いだすと、ねこに丸投げになってしまうので、がんばって一緒に考えてみる。
「女の子の方が立場が上っていうのはいいかもな。男が偉いよりは健全な気がする」
「じゃあ、先輩と後輩」
「ねこが先輩なのは無理ないか?」
「ぬう」
大人びた性格だとは思うが、声にはどうしても子供っぽさが残っている。
「博士と助手とか?」
「博士……ねこ博士か」
「ねこ博士と助手。ねこちゃん博士と助手くん。なんかよくない?」
「うん」
なんとなく、オリジナリティを感じる気がする。
チャンネル名は、ねこ博士チャンネルだろうか。
「いや、ねこちゃん博士ちゃんねるかな」
「あははっ。ちゃん多すぎ。でも覚えやすくていいかも」
「よし。これでいこう」
ねこはスマホに、雅親は資料の余白にボールペンで「ねこちゃん博士ちゃんねる」と書きこむ。
「ゲームはなんにする?」
「それは俺に聞かれても困る。ねこが決めてくれ」
「了解。じつは決めてあるんだよね」
ねこは、脇に置いてあったリュックサックからノートパソコンを取り出した。
「マサチカくんに、次のミッションです」
ずい、とパソコンを雅親の方に差し出す。
「なんだ?」
「プレイ予定のゲームをインストールしてあるから、次までに操作方法を覚えてきて」
ねこからパソコンを受け取る。嫌な汗が流れだすのがわかった。
「ゲームを……するのか。そりゃするか」
「なんとなくでいいからさ。あ。あと、もうひとつ」
まだなにかあるのかと、ねこに注目する。
「ちゃんと寝ること」
しかるような口調で、そう言われた。
『Revival of the Dark Ages』
世界が吸血鬼に支配された暗黒時代。
少女ハンナは、子供の頃から高級食材として何不自由なく育てられ、美しいドレスに身を包みながら、いつかくるその日を待っていた。
だが、あるとき、彼女は気づいてしまう。
わたしは吸血鬼の血を吸い、その能力を奪うことができる吸血鬼喰いなのだと。
雅親は、流しに顔を突っ込んでえずいていた。
「ぉ、え……うぷ」
胃が痙攣する。
脂汗が頬をつたい、ポタポタとシンクの中に落ちていく。
おなじみのアレルギー反応だ。
実際に吐くわけではないとはいえ、ゲームの起動画面を見るだけで、これだけの拒絶反応を起こしてしまう。
昨日のゲーム実況動画のチェックもなかなかつらかったが、実際のプレイとなるとさらに強烈だ。
父親から浴び続けた「くだらない」「時間の無駄だ」という蔑みの言葉は雅親の心に呪いとして沁み込んでいて、ふとした拍子に牙をむく。
水を飲み、なんとか内臓を落ち着けると、どさりと畳の上に倒れこんだ。
「ごめん、ねこ。やっぱ、無理だ」
腕で目を覆いながら、はあ、と息を吐く。
この体たらくでゲーム実況なんてできるわけがない。
もしかしたら、荒療治で症状が改善するかもしれない。そんなことを考えた自分がバカだったのだ。
頭の中に、鉛でも入っているような重さを感じる。そういえば今日は、あまり寝ていないのだった。
すう、と意識が眠りの世界に落ちていく。
「趣味のない人は無理なの」
その声が、耳のそばでが聞こえたような気がして、はじかれたように身体を起こした。
脂汗を流しながら部屋の中を見まわす。
夢だとわかった。
「くそっ!」
雅親は、怒りに任せて畳を叩いた。
「どいつもこいつも!」
安らぐことすらできない。
世界のすべてが自分を否定してくるような気がしてくる。ずっと、死ぬまで、この呪いを背負って生きていかなければならないのだろうか。
「どうしろってんだよ」
両手で顔を覆う。
その姿勢のまま、どのくらいの時間が経っただろうか。
カチカチと時計の音に耳を澄ませていると、ふと、暗闇の中に、こちらに差し出される細い手を見た気がした。
「これは……ビジネスだ」
なにがゲームだ。あんなものは商品に過ぎない。スーパーでいえばキャベツやピーマンと同じだ。
どの位置に置くか。ディスプレイはどうするか。だれに買ってもらいたいのか。
顔を覆っている手をはなす。
「これは、ビジネスだ」
雅親は膝の動きだけで折りたたみテーブルの前まで移動し、さきほど蓋を閉じたばかりのノートパソコンを開きなおした。
起動したままのゲーム画面が現れる。
えずきそうになる反応を、「分析しろ!」と自分に言い聞かせることで抑え込んだ。
昨日、調べたチャンネルの中にも、同じゲームをプレイしていた人たちがいたはずだ。
いちどゲームを終了して、動画投稿サイトを開く。
ゲーム名で検索し、ヒットしたチャンネルをチェックしていく。
ひとりでプレイしている人。親子、男同士、女同士、男女ペア。
「博士、みたいなキャラ付けしてるチャンネルはないな」
バーチャル系の配信者という人たちは、さまざまなキャラ付けをしているようだが、一般的なゲーム実況では、検索したかぎりでは見つからなかった。
では、博士と助手という組み合わせを、どうやって活かしていけばいいだろうか。
「俺は助手。助手なんだから博士を手伝う。手助けする?」
アイコンをダブルクリックして、ゲームを起動しなおす。
立ち上がってきたゲームのスタート画面から、「開始」ボタンをクリックする。
「俺は助手。どういう場面で、なにを言うか」
ゲームの流れをメモ帳に書き出していく。
頭をフル回転させながら、夜はふけていった。
スマホの音で目が覚めた。
目覚ましを止めようと思い、手だけ伸ばして音が鳴っているあたりを探る。
「あれ? 今日バイトだっけ?」
たしか休みだった気がする。
「おーい。マサチカくん?」
どこからか雅親を呼ぶ声が聞こえて、寝ぼけた頭がはっきりとしてきた。
どうやらさっきの音は、目覚ましではなくて電話だったようだ。慌てて上半身を起こし、枕元に落ちていたスマホを手に取った。
「ごめん。寝ぼけてた」
「おはよう。ちゃんと寝た?」
「寝た寝た」
布団に入った頃には、外が明るかったような気もするが、それは言わないでおこう。
「操作方法は覚えた?」
「覚えた」
「じゃあ、さっそく撮影してみようよ」
撮影ってどうやるんだっけと、事前にねこから受けた説明を思い出す。
パソコンでゲームをプレイしている映像を、キャプチャーソフトを使って撮影する。同時にマイクを通してふたりの声を録音する、だったか。
雑音の多い公園で撮影というわけにはいかないだろう。
「どこで撮影するんだ?」
「マサチカくんの部屋に行っていい? もしくはウチくる?」
「どっちもダメだろ」
人として、中学生の女の子を自室に招くわけにはいかない。
とうぜん、女の子の家に行くわけにもいかない。
「だよね。いまから出てこれるかな?」
「大丈夫だけど、どこで撮影するんだ?」
「いい場所があるんだよね」
大きなモニターと防音設備を兼ね備えた場所。
「なるほど。カラオケか」
「そう。最近はこういう使い方もされてるみたい」
「へえ」
もちろん、雅親はカラオケ店などという場所に来たことはない。
クラスメイトたちが放課後に行こうと話しているのを、離れた場所で聞いていただけだ。
「機材のセットしちゃうね」
「たのむ」
ねこが準備しているところを観察して、やりかたを覚える。
パソコンとモニターをケーブルでつないで、モニターに画像が表示されることを確認。
マイクを接続し、分岐ケーブルをかませたイヤホンを二本、あとはコントローラーをふたつ接続して完成だ。
シンプルとは言いにくいが、難しいというほどの難しさでもない。
が、気になることがひとつある。
「このコントローラーはなんだ?」
「え? 使うでしょ?」
「キーボードとマウスで操作を覚えたんだけど」
「あ、そうか。ごめん」
ねこの説明によると、ひとりがキーボード、ひとりがコントローラーというプレイはできないらしい。
「ふたつのパソコン使って、オンライン協力プレイならできるんだけどね。どうする? 今日はやめとく?」
「いや、やろう」
キーボードかコントローラーかは大した問題じゃない。問題は、ゲームのコントローラーというものがアレルギーを呼び起こしそうだという恐怖だ。
だが、ねこの前でのたうち回るわけにはいかない。
雅親は顔の前で両手を重ねると、静かに目を閉じてマインドセットを開始した。
「これはビジネスこれはビジネスこれはビジネス」
「いや、怖いんだけど」
引いているねこに、雅親は真面目な顔で答えた。
「問題ない。撮影をはじめよう。一気に最後まで撮るのか?」
「ううん。最初だし、カラオケの時間的にも今日は半分ぐらいにしとこう」
「わかった。エメラルド城のあたりだな」
「なにが?」
「ちょうど半分ぐらいだろ?」
雅親が言ったことを理解するのに時間がかかったのか、ねこは一瞬、ぽかんとした表情を浮かべた。
「ちょっと待った。なんで知ってるの?」
「クリアしたから」
「はあ!?」
顔が険しくなる。
「操作方法を覚えてとは言ったけどクリアしてとは言ってないからね! ていうか、やっぱり寝てないんじゃん!」
「うん、まあ」
だんだん悪いことをしたような気分になってくる。
「動画配信なんて継続性が大事なんだから! 無理したら何本か作っただけで力尽きちゃうよ!」
「すいません」
素直に謝っておく。
昨夜は自分でも暴走していたとは思う。
だがそれも仕方のないことだ。趣味アレルギーをマインドセットによって押さえつけることに成功した、すばらしい夜だったのだから。
この感動を、ねこに説明しても正しく理解されないだろうから黙っておく。
「以後、気をつけます」
「わかればよろしい。冒頭どうしよっか? はじめまして、とか言うのダサいよね」
「定型の挨拶と、チャンネルの簡単な説明は、かならず入れたほうがいいよな」
「あ、これは絶対に大事。ゲームを作った人たちへのリスペクトを忘れないようにしよう。面白くないとかは死んでも言わない。どうせならゲームを多くの人に買ってもらえるように、楽しさを伝えたいよね」
簡単な打ち合わせをおこない、ふたり並んで深くソファに腰掛けると、ついに撮影がスタートした。
「おはよう、こんにちは、こんばんは! ねこちゃん博士だよ!」
「助手です。このチャンネルでは、博士と一緒にゲーム世界の真実を探求していきます」
「助手くん! さっそく、この世界の説明をしてくれたまえ!」
「はい。吸血鬼喰いのハンナさんを操作して、吸血鬼の王様を倒すゲームですね。アクションゲームというやつらしいです」
「ジャンル説明は、ふわっとしてるんだね」
「あまりゲームを知らないもので」
「わたしはハンナさんを操作するよ。助手くんはクリスティーネさんをよろしく」
「ハンナさんを好きになっちゃった吸血鬼のお姫様ですね。武器は暴力です」
ゲームがスタートし、進むにつれて、だんだんと盛り上がってきた。
「助手くん! 無理! 弾切れ!」
「そこの馬車を壊せば補充できます。ここを乗り切れば補給所があるので、がんばってください」
「お、おう!」
「あと、パッシブスキル『迎撃』をセットし忘れてます。敵の遠投武器を三割は撃ち落としてくれるから余裕ができますよ。重複装備も可」
「くわしすぎる!」
ハンナとクリスティーネは順調に進撃していき、ついにエメラルド城を陥落させることに成功した。
「な、なかなか、しんどかったよ」
「おつかれさまでした、博士」
「じゃあ、今回はここまで! つづきは次回ね!」
「よろしければ、高評価、チャンネル登録、SNSでの周知などお願いします」
「まったねー」
ねこはコントローラーを置き、キャプチャーソフトとマイクをオフにした。
ソファの上で伸びをする。
「くぅ。いい感じだったんじゃない?」
見ると、雅親もソファの上に寝そべって身体を休めていた。
「いやあ、緊張した」
「うそだあ。マサチカくん、すごく自然に助手くんだったじゃん」
「そっか……それはよかった」
「あとは編集すれば投稿できるね。編集はわたしが」
いつの間にか、雅親が寝息を立てている。
ねこは壁に設置された受話器を取ると、フロントに「二時間、延長でお願いします」と伝えた。
「楽しくなりそうだね、マサチカくん」
ふわあ、とあくびが出る。
「わたしも、ずっと編集について、調べてたから……」
心地よい達成感を抱きながら、ねこも夢の世界へと落ちていった。
黒ねこの有効範囲 だいたい日陰 @daitaihikage
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