ワールドエンドのそのあとで

鹿ちか

第1話 祝日

 葉桜の頃。今日は今朝から世界中の地方という地方、都市という都市、街という街に落ち着きがない。何故なら今日は建国の日、世界統一の日、処刑の日だからだ。五十年前、ありとあらゆる条約を悉く反故にし、各国に軍を送り込み、軍事力によって制圧、世界の全てを自らの領地として吸収した国があった。その国は聖ベルディナール王国。悪魔に魂の取引をしたと噂された当時の国王ハイネスベルク四世のこの所業は神の怒りに触れ、以降年に一度のこの日、国王の直系子孫のうちのひとりを処刑するという罰を受けたのだった。

 今日、その運命の定めに散るのは、現国王グラナディオン二世の末子、リュカ。処刑日は祝日であり、軍事侵攻によって故郷を奪われた全ての国民にとっての祭事でもある。しかし、在りし時代のように、ギロチンで罪人の頭を刎ねることも、人々の詰めかけた広場で公に処すこともしない。そのひとつは人口の問題があり、もうひとつには道徳の問題があるからである。人口の問題は、例え断罪の様子を全世界に一斉生中継をする手段があったとしても、生まれ故郷を奪われた傷を一生涯に渡って抱える国民は、是が非でも自分の全てを奪った一族の人間の死をその目で見たいものなのだ。そして道徳の問題。国民は、彼らは、誰も死刑囚に対する道徳観念など持ち合わせてはいない。首なんて刎ねてしまっては罪人は苦しみなぞほとんど感じ得ないままに死んでしまう。もう殺してくれと懇願するほどの苦しみを与えなければ、国民は誰も納得しない。


 午後七時、普段と変わらぬ時刻に、リュカは家族とともに夕食の席に着いた。ひとつ、決定的に違うのは、これがリュカにとっての最期の晩餐だということだ。緊張のためだろう、給仕係たちの動きが見るからにぎこちない。それもそのはず、リュカの食事には毒薬が混ぜられているからだ。処刑は既に始まっている。

 この毒はゆっくりと体の細胞ひとつひとつを破壊する。まずは手足の末端を壊死させ、次に神経を傷付け、電流を流したようなピリピリとした痛みで全身を覆い、あるいは麻痺させる。思考能力、意識、呼吸器官は最後に残しておく。生きたまま指先から腐って行く恐怖、ぴりぴりとした痛み、金縛りに遭ったように動かない体。リュカはこの後、事切れるその瞬間まで恐怖と痛みに苛まれながら死んで行くのだ。木箱に入れられ、外側から蓋を釘で打ち付けられ、河をまるまる一晩かけて下りながら。




 雨が降りそうだ。鳶が翼を広げて空を舞う。そのずっと上の彼方では、薄くたなびく灰色の雲の群れが、風に流されて行く。空は色褪せた水色だ。空気は水気を多分に含み、緑に茂った木々からも、敷地に植った幾つかの灌木からも、そして土からも、独特な香りがする。

 エリーが前庭に出て、肉厚な葉の表面に降った朝露越しにその葉脈を眺めていると、木造りの門がぎい、と音を立てて開けられる音がした。父が帰って来たのだ。嬉々として立ち上がり、そちらを見る。父は何か大きなものを、その背に負うていた。罠に鹿でも掛かっていたのだろうか。

 エリーは父の両手が塞がっていることに気が付くと慌てて家の扉を開けてやった。父はいつもの穏やかな声で礼を言い、中へ入って行った。


 父がまっすぐに自分の部屋に入って行き、獲物をベッドに下ろしたので、エリーはびっくりしてしまった。しかし、父の後ろからよくよく覗いてみると、それは鹿などではなく、人間の男性だった。歳は二十代半ばと言ったところか。四肢は黒紫に変色している。特に状態が酷いのは左足で、皮膚はぼろ切れのように無惨な有様で、壊死して肉から剥がれ落ちたところから骨が覗いている。その骨も、あたかも何百発と銃弾に撃ち抜かれたかのように穴だらけでまるですかすか、今にも足首から先が落ちてしまいそうだ。実際、左の手のひらの肉は抉れ、指は何本か既に紛失している。エリーが訊ねるよりも早く、目の前の男を検分する父が口を開いた。

「エリー、昨日が何の日だったか、覚えているかい」

「全ての国民のための祝日よ」

「そうだ。その日、歴代の王の直系子息が処刑される。それは教えたね?」

「ええ。毒に体を蝕まれながら一晩かけて河を下るのでしょう?」

「その通り。では、その河を下った先には何があると思う? 彼らは何処へ行き着くと思う? エリー」

 囚人は一晩かけて河を下る。体に回る毒に細胞のひとつひとつを殺され、生きたまま分解されながら。朝、男を負ぶって帰って来た父。手足の崩れた男。今年の死刑囚は、次期国王の弟だ。

 エリーは恐る恐る答えた。「ここ、なの?」

「そうだ」頷きながらそう答えた父の声音は、事実からは決して逃れられないと言わんばかりに重く、厳しい。

「でもどうして? こんなこと初めてじゃない」

「今までの囚人は皆、その命運の通り死んでいたからな。死んだ囚人は自然に還す。そして軍事侵攻の犠牲となった人々と同じくこの大地の一部になる。だから連れて帰って来なかった」

「じゃあ、そのひとは」

「生きてる」

 エリーは、とても話に思考が追い付かない、とでも言うふうに頭を振った。

「そのひとは死刑囚なんでしょう? 連れて帰って、ベッドにまで寝かせて、一体どうするつもりなの? まさか治療するだなんて言わないわよね」

「するさ」

 父のあまりにあっけらかんとしたその態度に、エリーはただ呆然と立ち尽くすしかなかった。だが、そんなエリーを気にも留めず、早速と治療の準備に取り掛かり始めた父を見るともなしに見ているうちに、落ち着きを取り戻した意識が、恐ろしい未来を脳内に描いてみせる。描き出されたその未来に、エリーは今すぐ治療を止めるよう、父に縋った。

「父さん、ねえ止めて、お願い、このひとが生きてると知れたら、世界はどうなってしまうの? 父さんだってただじゃ済まないわ、だからお願い、今すぐ止めて」

「大丈夫だ、エリー。世界で父さんを知る者はいない。父さんはこの子の叔父だからね。つまりは同じ、死刑の生き残りなのさ」

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