凛那=ナイトレイ
第1話 凛那 - 自室
通学鞄を地面に落とす音で意識が戻った。
凛那は知らぬ間に自室まで帰ってきていたらしい。
室内は整理整頓され、所々に小物が置かれている。
陽が沈んでいるので室内は暗く、踏みしめた絨毯も冷たい。疲れ切った身体をベッドに投げ出したが、ベッドすらも冷たくて何とも寒々しい気持ちが押し寄せてくる。
横になるとダッフルコートとセーラー服を脱ぐ事すら面倒に感じて、凛那は両手を投げ出したまま天井を眺めた。
「はあ……」
浅蔵とカフェで別れた後も、懇切丁寧に説明してくれた内容が頭の中に浮かんでは消えていく。一時間程度の解説だったが、帰ってくると現実感は全く無く、まるで狐につままれたような気分だ。
なんせ浅蔵は「これから君は騎士になるんだ、人類を守るためのね」なんて始まりだったので、これまで当たり前のように生活してきた凛那にとっては冗談と思ってしまうのが当然である。
しかし目の前でアレを見せられてしまっては納得せざるを得ないし、何より凛那自身もそれを『展開』出来たことが彼女を信じさせた。
天井を眺めているだけで自分に課せられた責任の重さに、押しつぶされそうになる。逃げ出したい気持ちを押し込めるように枕に顔をうずめる。
それでもこの先の不安は消えず、凛那は小さく唸った。
(私にできるだろうか。今までただの高校生だったのに)
毎日、朝起きて、少し寝坊しそうになりながらも髪を梳かして制服に着替え、今日は授業で当てられないと良いなとか、お昼は何を食べようかなとか考えて過ごして、下校の時はやっと今日も終わったとほっとしながら帰宅する。そんな退屈で穏やかな日々だった。
(……無理かも、想像できない)
話を聞いただけでこんなにも怯えているのに。
(でも『力』で誰かを守る事ができるのなら、私は出来る事をするのが正解なのかな……)
世間一般的に『力』を持った者が、『力』を相応しく使うことは正しい事だと分かっている。誰に尋ねてもそう答えると思う。
「当たり前のこと……なんだよね」
怖くても自己を犠牲にして他人を助けるのは当たり前であり、誇るべき行為なのは理解できる。
(けど、けどね。正しい事が常に自分にとっていつも良い事だとは限らない……と思うんだ)
凛那はただの学生が人知を超えた力を手にした事に怯えている。
そしてその力を扱い、誰かを守るという使命を果たさなければいけない事を。
同じ時期に同じように『力』を手に入れた浅蔵は、この力と立場を喜んでいる節があった。そこはやっぱり責任感や正義感の違いなのだろうか。
(もう分かんない……)
ここ最近は父親のお葬式で慌ただしかった事に加え、相続やこの『力』の話のせいで、凛那に考える力は残っていない。
思考しても何度も同じところをグルグル回っているようで、さっぱり前に進めない。 こんな時は紅茶でも飲んで意識を覚醒させたいところだが、今は体を起こすのさえ億劫だ。
(夕飯前に夕陽さんには悪いけど、このまま少し休憩しよう)
脱力した体を何とか持ち上げ、部屋着へ着替える為にのろのろと立ちあがった。ベージュ色のダッフルコートを脱ぎ、ハンガーに掛けようとしたとき、ふと窓の外が目についた。
レース付きのカーテンの隙間から見えるのは一面の雪景色である。この地方の冬では例年通りの積雪だ。屋敷を囲む森は白一色に彩られており、時折落雪した音が耳に届く。
「まだ降ってる」
コートをクローゼットに掛けるのもしばし忘れて、窓の外を眺める。
分厚い雲からはしんしんと雪が降り続く。
(朝出かけた時より強くなった印象があるのは、気持ちが重いからなのかな)
そう思うだけで口からは自然と溜息が洩れ、ハッとして片手で口を塞ぐ。
溜息ばかりでは亡くなった父に笑われてしまう。しかしそう思って自分を奮い立たせても、凛那の心は窓の外の様に曇天だ。
情けないと思うけど逃げ出せるものなら逃げ出したいし、代わってもらえるのなら代わってもらいたい。でも正直な心を誰かに吐露してしまえば軽蔑されるような気がして、結局誰にも話せない。
(私は運命を受け入れるしかない、もう逃げ道はないんだ)
気持ちを切り替えるようにクローゼットの中にコートを押し込み、その後、窓を開ける。
外は風もなく、雪が静かに舞い降りている。
(この全てを覆い隠す雪が、私の悩みも雪に沈めてくれればいいのに。歩んできた過去もこれから歩くべき道も、雪に埋もれてしまえば良い)
そうすれば過去からの責任も、未来の不安も感じなくて済むのだから。
「つっ――」
左肩に疼きを感じ、凛那は肩を強く押さえた。
セーラー服越しからでも分かる赤い閃光が指の隙間から漏れ、真っ白な雪を赤く染める。
赤光は暗闇を裂くには十分すぎる程の光だ。
雪は全てを覆い隠してくれそうだけど、この赤い光だけは凛那を隠してくれないようだ。
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