第9話 休暇

「タイチョー……。駄目だ! 俺の意思が制御出来ないっ!」


「待て! 落ち着くんだ! ナインっ!」


「クソっ!…タイチョー、済まないっ!」


   ――バッシャーン――


 間仕切られた、となりの露天風呂からお湯が弾ける音と共に、タイチョーのむせ返る声が聞こえる。


 会話の流れからナインが飛び込んだのだろう。

 全く、子供じゃあるまいし何やってんだか……と、思うものの、私も浮かれる気持ちを抑える事に必死だった。 何しろ、湯に浸かれるのは厄災の日以来、そうそう無い事だったから。


 今この状況は、ナインがウラギリモノに直談判してくれた結果でもあった。

 パンドラの破壊後、ウラギリモノからの連絡が入った際にナインが休暇を要望。一夜明けた今日、キサラギとタイチョーと共に温泉に来ているのだった。


 昨晩は地下シェルターの屋台で一緒に飲んで食べて……と、キサラギはだいぶ酔ってた筈なのに、いつの間にか温泉の手配をしてくれていた。

 出来る女は違う。


「今回は本当に助けられた、感謝してもしきれないな」

 湯に浸かりながらキサラギが笑顔を向けてくるが、その会話は私の頭に入って来ない。

 その理由は……。

 スタイル抜群の上、大きい!胸が!

控えめに言っても、私の当社比2倍は軽く超えている!

 いつも軍服のようなカッチリした服を着ているからね? 気付くわけ無いよね?

 これが、『能ある鷹は爪を隠す』ってやつなのかしら。

 でも、キサラギさん…その爪は鋭すぎます…私の心をいとも簡単に切り裂くほど……。


「食らえ!温泉スプラッシュ!!」

「うおっ!液体も操作できるのか!…ブバッ!鼻に!入ったゴフ!」


 この数日で、ナインとタイチョーはまるで兄弟のように仲が良くなった。それを見て少しの羨ましさを覚えた。

 

「で、これからどうするんだ?」

 キサラギが湯の中で手をゆらゆら遊ばせ、小さく波立つ波紋を目で追いながら質問を投げかけてきた。


「はい、S・オオサカに向かおうと思ってます。出来れば、リニア・ラインを使わせて頂きたいのですが」

 それを聞いたキサラギの表情が曇り、嫌な予感が私の頭をかすめる。


「実は、染人のドリルがリニア・ラインの電力供給配線を切ってしまったのだ。残念ながら暫く使えそうにない」


「えっ?それじゃあ移動できない…復旧にはどれ位掛かるんでしょうか?」


「恐らく1ヶ月くらいは掛かるだろうな」

 1ヶ月も…と、不安感が顔に現れていたのだろう、キサラギがひとつの案を口にした。


「仕方がない!ここは、私の『彼氏』を貸してやろう!」

 そう言った瞬間。

「彼氏ですと!彼氏がいらっしゃるのですかっ!!」

 柵の向こうからタイチョーの大声が響く。

わかっていたが、タイチョーはキサラギの事が好きなのだ。


「馬鹿者!聞き耳を立てていたのか!」

 そう言うキサラギの表情は笑顔だった。

「申し訳ございませんっ!」

その後静かになり、「元気出せよ…」というナインの声が聞こえた。


「キサラギさん、彼氏って?」

その質問に対し、笑顔のまま人差し指を唇に当て、小声で返してくれた言葉は「自動車だ」だった。



「はあー、いい湯だったな!」

お風呂上がりにナインはタイチョーと笑顔でコーヒー牛乳を煽っていた。なんだか、私と一緒の時より楽しそうな様子に疎外感を覚えはじめたが……


「アクムも飲むか?」

 やっぱり、私のことも気に掛けてくれている。


「ええ、でも、私は抹茶オレ派よ」


「おお?流石はアクム、渋いな。 そんなの……あった!」

 ナインは自動販売機で購入した抹茶オレを、笑顔と一緒に渡してくれた。



 その後、訪れたキサラギの自宅には小さいながらも庭があり、花が植えられていた。

 質素ながらも、可愛らしいと云った印象を受ける。

 キサラギの沈着冷静でいて、少し冷酷と云った当初の印象は、きっと、仕事上の仮の姿なのだろう。

 彼女は優しく、慈愛に満ちた女性であることは、この数日でよくわかっている。


「ここが、キサラギ様のご自宅、愛の巣なのですね…」タイチョーは別人のように元気がなく、生気の無い瞳で呟いていた。


 ── キサラギさん、彼氏が車って教えてあげたほうが、いいんじゃないでしょうか?!

 このままじゃ、タイチョーが染人になっちゃいそうですよ!


 キサラギがニヤニヤしながら、「皆に私の彼氏を紹介したい、さあ、入ってくれ」と、ガレージのシャッターを開ける。


 そこには、赤く煌めき流れるようなボディをした車があった。

 しかし、こんな形の車を私は初めて見た。

それは街でよく見かける、卵形の車とは全く違っていたからだ。


「何ですか? この、カクカクツヤツヤした機械は?」

案の定、ナインも車と認識していない。


 その様子にキサラギは得意そうに口を開いた。

「これは、2019年式のアクセラレータという車で……私の彼氏だ!」


「そうでしたかぁー!!」

めでたく、タイチョーが復活を遂げた。

大音量の声と共に。


「すごく昔の車なんですね! でも、中央塔も破壊してしまったし、車は使えないんじゃ?」

 ナインが首を傾げるのもわかる。中央塔の電波が無ければ電子機器は使えず、AI制御が不可欠な車は走らせる事が出来ないからだ。


「昔の車は手動で動かすのさ。これなら、電波など関係なくどこでも行けるぞ」


「すっげー!中、見てもいいですか?」

そう言って後部座席の扉をあけてもらうと、ナインが興奮気味に乗り込んだ。


 私もナインの隣に乗り込むと、前の席の手元には輪っかのような部品や、足元にスイッチらしいものが見える。それは、ハンドル、アクセルというパーツらしい。

「よし!走らせてみるか!」

そう言うとキサラギは前の席に乗り込む。


「さあ、乗った乗った!」

嬉しそうな声に、この車が大切で好きなのだと伝わってくる。

 キサラギが「start」と表示されたボタンを押した瞬間、キュルルという音と共に、その車は生きているかのような唸り声と振動が起こった。 一瞬、故障したのかと思ったが、これが正常らしい。


「じゃあ、ドライブにいくよ!」

足元のスイッチを踏み、手元の輪っかを回す。

キサラギの『彼氏』が動き出す。

「本当に自分で操作するんですね!」

 そう言うナインの目は輝いていた。


 車を走らせながら、キサラギはタイチョーに向け操作説明を始めた。と、云うのもこの車を貸してくれるとの事だった。大切な物のハズなのに……。

 そして、真剣な表情でタイチョーに告げた。

「タイチョー、この二人について行きなさい。そして、この国を早く天魔の脅威から救いなさい。これは命令です」と。


 タイチョーは小さく頷き、「承知しました」と答えると、深呼吸をした後に言葉を続けた。

「戻りましたら、またドライブをご一緒願えますか?」


 それに対し、キサラギは嬉しそうに答えた。


「その時は、あなたが運転しなさい」と。

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