第2話 モンステルの森
昼間でも、光が届かない程、鬱蒼と茂る高木。
何処かジメっとした、空気が身体に纏わりつく。
足元に落ちているのは、枯葉なのか?
小鳥のさえずりも、小動物の吐息さえも、聞こえない。
遠くにある清流の音が、微かに聞こえて来るだけ。
豊かな森林である筈のその場所に、獣と呼ばれる生き物達の姿は、一切ない。
そこを支配しているのは、何なのか?
実体の無い■■は、自然の恵みを享受する事も無く、おぞましい姿で悪臭を漂わせ徘徊する。
存在したばかりの弱い■■は、強い■■に取り込まれ、運良く魔力を強めた■■は擬態を覚える。
悪臭を消し、自然と同化しながら唯ひたすらに、獲物が近づいて来るのを待っている。
この世界に生きる人々の中で■■を見て、生き伸びた者達は皆、口を揃えてこう呼んだ。
弱いも強いも一括りに、ただ一言【魔物】…だと。
だが魔物は、時の流れと共に、人々の記憶から薄れてゆく。
平和な世界に住む者達は、森から出た事にすら気づかない。
人に擬態した魔物に笑顔を向け、何の疑いも無く付いて行く。
その先に、何が待っているのかも、分からずに…
ここは北国独特のなまりや風習が残る、オルテンシア伯爵領・モンステルの森。
魔物の生息域を、爽快に走る二人の少女がいた。
温厚なオルテンシア伯爵の娘とは思えない、母親譲りの勝ち気で口の悪い、カルティア・オルテンシアと。
従姉妹の、冷静で口数の少ない、クレアナ・エルピーダ男爵令嬢である。
二人は貴族令嬢とは思えない身のこなしで、身体に纏わり付く小枝や枯葉等気にせず、何の躊躇いもなく森の奥へと入って行く。
何かを感知したのか、カルティアは足を止めた。
「淀んでる…」
「何処?」
クレアナも足を止め、キョロキョロと周りを見回しながら辺りを探るが、擬態した魔物を感知する能力は乏しい。
「複数隠れてるから、魔術使うわ」
「分かった」
クレアナは、腰に下げてた剣を抜き、構える。
魔術とは、己と自然を一体化させ、様々な事象を引き起こす現象の事だ。
火・水・風・土を四属性、闇・光を二属性、何処にも属さない物は無属性と呼ぶ。
これらは一人に一属性で、両親のどちらかの属性を受け継ぎ、隔世遺伝はしない。
極々稀に両親の属性を両方受け継いだ、多属性持ちが産まれる事もある。
闇と光の二属性は突然変異で現れ、子に遺伝しない事も分かっている。
突然変異が二代、三代と現れた記録は無い。
その為両親がどちらも二属性だった場合、産まれて来る子は必ず無属性になる。
己の属性に合った術式や詠唱文を覚え、訓練した者だけが魔術を使えるようになるのだ。
複雑な術式と、数多ある詠唱文を覚えるのは、容易ではない。
魔術師になりたいのなら避けては通れない道だが、そうではないのなら、態々魔術を覚える必要が無いのである。
この世界の人々は皆、魔力を体内に宿して産まれて来るが、魔術を使えない者の方が多いのだ。
しかしオルテンシア伯爵領の人々は、特殊な地域で生き抜くために、魔術を習得する事が必須になっていた。
カルティアとクレアナも例外ではない。
二人はそれぞれの苦手科目を克服する為、この森を訓練場としていた。
何故なら、モンステルの森は広大で、オルテンシア伯爵領の騎士団だけでは人手が足りなかったからだ。
カルティアは魔術、クレアナは剣術の腕を磨き、克魔物も討伐出来一石二鳥だと思いこの場に来ている。
「噛んじゃ駄目・噛んじゃ駄目・噛んじゃ駄目」
「心配無い、ティアなら出来る」
「ありがと」
クレアに励まされて、落ち着いた。
「森羅万象、この世界に、干渉する者たちに告ぐ。我が魔力を対価に、その偉大なる力を、貸し与えよ!『開け、土の門』」
両掌から土属性を証明する黄色の淡い光が浮き上がり、みるみる膨らんで身体全体を纏う。
足元から複数の術式が波紋の様に広がり、内側からゆっくり回転したのを皮切りに、それぞれ変則的な回転を始める。
発動された全ての術式が動くと、外側から術者を守る様に光壁が上がった。
「完璧だわ」
私は勝ち誇る。フフン(ドヤ顔)
土属性は耐久性が高く、封印魔術が得意なんだけど、索敵も得意なのだ。
術式を発動させる事で、魔術詠唱だけの時より、更に精度が向上するよ。
「自然の理に背き、嘲りし物。真理を暴き、その姿を顕せ!『土蛍』」
術式の中から無数の小さな青白い光が浮き上がり、三方向に分かれて擬態化してる魔物へと飛んでくのを見届ける。
「私だって、やれば出来る子だ」フフン(満足顔)
直ぐに『土蛍』を追って、クレアが走ってった。
私は耳を澄まして、森と同化するよ。
柔らかな鞭がしなり、風を切る。
長く生い茂った雑草が、無造作に叩き潰されたり、切られる音がした…
これは、魔物がクレアを襲ってるんだわ。
辺り一面に森の香が漂い始め、パキパキっと小枝を踏みつける。
大木を切り刻む音が鳴り響き、森中に木霊する。
今度は、クレアが魔物を討伐した音ね。
うちの領民は皆、幼い頃から五感を鍛えられる、私達もそう。
ここからは見えないけど、音でクレアが擬態化した魔物と戦ってる様子を、感じ取ってるところ。
『土蛍』は攻撃力こそ無いが、術者が探してる物を追跡する。
見つけたら対象物が無くなるか、魔術を解除するまで纏わりついて離れないのだ。
「もうちょっと索敵範囲を広げられたら、上級レベルに行けそうなんだけど。まだまだ一人前には、程遠いなぁ」
ボケ~っとしてたら、クレアが戻って来た。
「でっかい魔晶石出たよ~」
嬉しそうだ、私も嬉しい。
クレアの手には、成人男性の握り拳よりでっかい魔晶石が二つあった。
こんなでっかいのは、初級魔物からは採れない。
「え、二体も中級居たの?」
「居たの、最近多くない?」
クレアも不思議に思ってるようだ。
「多いと思う」
差し出された魔晶石を、一つ受け取りながら答えた。
ここ数年で、何かが変わって来てる気がする。
魔晶石は魔物からしか採れない。
初級・中級・上級とランク付けされてて、討伐した魔物の魔力量により、魔晶石の大きさも変わる。
でっかいのは滅多に出なかったし、お値段もビックリする位跳ね上がるから、嬉しいんだけど…
光に翳しながら、クオリティを確かめた。
「この魔晶石、な~んか引っかかる」
「そお?」
クレアも光に翳してるけど、特に何も感じてないみたい。
「まぁいっか~鑑定士に任せればいいんだし、次探そう」
「そだね」
一度発動された術式は、術者が解除するか、意識が無くならない限り消えたりはしないのだ。
私達は新たな気配を求めて、森の奥へと入ってった。
魔物の討伐に、夢中になってたら、結構時間が経ってたみたい。
「お腹空いた~収穫あったし、帰ろっか?」
「うん、帰ろう。お茶の時間」
オルテンシア伯爵邸
廊下を進んだ突き当りに、古びた重厚な扉があって、開けると四階まで吹き抜けてる温室がある。
真っ先に視界へ飛び込んで来るのは、中央に置かれた円卓だ。
南東側が全面ガラス張りになってて、外の景色と一体化して見えるから、実際よりも広々とした空間に見えてる。
壁側にはご先祖様が趣味で集めてた、珍しい南国の植物が密林の様に植えられてるから、此処に居ると屋根がある事を忘れてしまいそう。
既に父様達は席に着いてたので、私達も空いてる椅子に腰を下ろす。
「やっぱし我が家で飲むお茶が一番美味しい」
「生き返る」
「魔物討伐お疲れ様、後で報告書に目を通しておくよ」
「そうだ、父様。王立学園への推薦状を書いてくれる親戚は、見つかった?」
父様が口の中に放り込もうとしてたクッキーは、行き場を無くした。
「探してはいるんだけどね。如何せん私達は面倒臭がりが多いから、態々遠い王都まで勉強しに行こうとか、考えないんだよね…」
困ったねと、眉を八の字にして、持っていたクッキーを口に放り込む。
「でしょうね。私だって面倒臭いもん」
半ば不貞腐れて、得体のしれないお菓子に手を出した。
面倒臭いなら行かなければ良いと思うけど、私達は免許が欲しいのだ。
医術師にしろ薬術師にしろ、上級試験を受ける為の必須条件が【王立学園の卒業生】なんだもの。
誰がそんなふざけた決まり事を作ったんだよって、文句の一つでも言ってやりたい。
そりゃ途方もない学費を払えば問題無いんだろうけど、そんなお金ある筈が無い!
貴族が皆、お金持ちだと思わないで欲しいよ。
だから私達は、学費免除の特待生制度を、何が何でも利用したいの。
その条件がスカウトを待つか学園の卒業生である親戚から、この子優秀だよ~って、紹介状を書いて貰うかの二択しかないなんて無情過ぎる。
スカウトって何?
領地から出た事もない私達の存在を気にしてくれる人なんて、いる訳がなかろうて。
縋る思いで親戚を頼ったけど、井の中の蛙大海を知らず、無駄な抵抗だったらしい。
オルテンシアって皆、面倒臭がりで興味の無い事からは、逃げたもん勝ってスタイルなのよ。
でもそれじゃ、読み書き計算が出来ない人ばっかになっちゃうじゃない?
それだけが理由じゃないとは思うけど…
ご先祖様は遠い王都迄行かずとも、領地内で学習出来る学校を造ったの。
お陰様で領民がみ~んな、仲良く領地から出ない、引き籠りになっちゃった。
そんな私達も飛び級して、10歳の時に学校を卒業したから、今は家の手伝いをしてるのだ。
父様の方は諦めて、私は母様をチラリと見る。
「探してくれた?」
「あ~…」
顎に人差し指を当てて、天井のシミを探してるわ。
ダメだ、この仕草をしてるって事は、全く持って何も考えてない証拠だもの。
溜息が出そうになった時、背後から声がした。
「探し物か?」
そう言いながら、空いてる席に座ったのは…
母様の父親で・北の辺境伯で・ソードマスターで・国一番の剣士で・私の呪術の師匠でもある。
「爺様!」
渡りに船、とばかりに聞いてみた。
「王立学園への推薦状を、書いてくれる親戚を探してたんだけど、誰かいないかな?」
「王都へ行きたいのか?推薦状が欲しいなら、わしが書いてやるぞ」
爺様が卒業生じゃない事は知ってる。
オルテンシア程じゃないけど、領地外の事には全く興味が無いらしい…
これは、北国に住む人々の習性なのかと思うレベルだ。
爺様に学園の卒業生じゃなきゃダメだと言う事を告げたら、そうなのか?と言って、顎を自身の手で弄んでる、何か考え事をしてる時のしぐさだ。
そして母様を見た。
「ルディア、リッデルには頼んでないのか?」
「え?」
母様は暫し、爺様と見つめ合ってた。
「まさかとは思うが…兄の事を忘れてはいないだろうな?」
母様は沈黙の後、左の掌を右手の拳でひとつポンっと叩いた。
「ああ。今の騎士団長は兄様だったか」
「騎士団長では無い、近衛騎士団長だ!馬鹿めっ」
爺様はいつになったら区別が付くんだって、呆れ果てた顔で溜息を付いてた。
母様は、そんな事等まったく気にしてないみたい。
私達に向かって「見つかって良かったな」と、言って笑った。
その後はトントン拍子に事が進んで、無事新学期から王立学園に通えるようになったよ。
「新学期に間に合って良かったね」
「うん。研究楽しみ」
「ね!学園は飛び級出来ないから憂鬱になってたけど、研究し放題って聞いたら私も楽しみになって来たわ」
「試験勉強も頑張らなくちゃ」
「そだね、クレアなら絶対上級になれるよ、私が保証する」
「ティアだってなれる」
「ありがと」
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