夢を語れない巫女見習い。別の世界で修行中
荷車馬の泥愛好家
プロローグ
山の木々は葉を落とし、代わりに白い雪が茂っている。
白に塗りつぶされた世界の中で私のジャンパーはよく目立つことだろう、と自嘲気にまだ幼さを残す少女は考えた。
雪で道がわからないだろうから遠くへ行くなと親に言われ、それを無視してこのザマだ。寒さでかじかんでろくに指を動かせない。
もうどうでも良くなって、ニット帽を取るとバサっと雪の上に転がった。ニット帽の中に潜んでいた長い黒髪を流し、手足を大の字に広げる。
雪の冷たさが痛い。しかし心地いい。ほうっ、と息を吐くと水泡のように浮かんで溶けていく。
体の震えを感じなくなり、意識が溶け、夢心地になる。
ジャクっという音が意識を割いた。誰か助けに来たのだろうか?
少女はこの時間を壊した誰かに苛立った、お門違いも甚だしいと理解していながら。
「…どっか行って...」
痛まない首を捻り、文句を言おうと腹に力を込めた途端、視界は反転し頭が呆然とする。覗き込んできたのは…
「誰?おじいちゃん」
「龍だ」
「龍…名前が?」
「龍だ、ドラゴンとも呼ばれておる」
しわがれた年季を感じさせる声。覗き込むのは大きな白いひげを蓄えたいかつい老人。老人はそっと地面に降ろすと黒い外套を少女に被せる。
件の少女は目を白黒させて困惑していた。さっきまで凍えていた体がまるで寒くなくなったからだ。
「龍なんているの?」
「己の目を信じろ」
「夢でしょ」
「そうしてもいいがな。助かる気は?」
「無いよ」
マフラーを解き、真っ白な肌を露わにする。
黒い髪を上げてうなじに生えているのは肌と同色の鱗。それが柔肌から生えている姿は不気味さと得体の知れない気持ち悪さを醸し出す。
「鱗か」
「これ、皮膚の一部。剥がしたらもちろん血が出ちゃう。ずっとずっとコレでいじめられてきたんだよ?」
「だからどうした?そいつらに関わらなければいいでは無いか?」
「どこ行ってもおんなじ、もう飽きた」
少女の祖母は喜んだ。これは先祖の龍神様の鱗だ、お前は選ばれたんだ、と。両親は気味悪がった、少女では無くそんな祖母を。
今のご時世そんなチンケなカルトめいた口伝を真に受ける者はいない。近所からも宗教にハマっただの、首に縫い付けられて可哀想だの、謂れのない同情や中傷を受けた。
少女は面倒くさくなった。悲しいでは無く面倒くさい。悲しみを感じる時期はとうに過ぎて、押し殺すのが普通となった。それが面倒だ。
『しかし祖母の言うことは真かもしれんぞ?ここに龍がおるだろう?』
「今更、龍はいますって言ったところででかい蛇もどきの標本が増えるだけ。異端者の扱いは変わらない」
『だが、なぁ…』
「…そんなに生かしてなにしたいの?」
たらたらと会話を引き伸ばそうとする龍に少女は苛立つ。
しかし、当の龍はようやく本題に入れるとばかりにほくそ笑む。
「まったく、ようやく本題に入れる。頑固な娘だ」
「…本題って?」
「お前を神の巫女にする」
「いいよ…どーぞ。操るも生贄にするもご自由に」
両手を広げる様子でいつでもどうぞとジェスチャーする。龍はこの反応を予想していたようでクックッと笑う。
「いやな、巫女はそうポンとなれるものではないのだ。それにまだ強度が足らん」
「筋トレすればいいの?」
「いんや?ただ神の難題を受ければいい。最も生きてられるかは知らないがな。その時は別のを探す」
なんでもない調子で話す老人にとって、私は本当に取るに足らない存在なのだろう。
自分自身を嫌っている少女でも少し凹む。
「じゃあ、先に私から難題出していい?」
「ほう?龍に難題を出すと?人の子がか?」
揶揄うように圧力をかけてくる。雪が少し舞い上がり顔を打ちつける。
「ダメ?」
「いいだろう。だが、面白いことを言わねば見殺しにする」
「デメリット無いよ?」
「くくっ、そうだったな」
「うん」
もう既に楽しめたが、と嘯く老人。案外、度量が大きいのかもしれない。
「雲、晴らして」
「なんだ、そんなことか?」
「うん、夜空が見たい」
「病院だかなんだかに連れて行けとでも言われるのかと思ったぞ?」
「こんな雲じゃ気が滅入っちゃう」
「そうりゃ、陰鬱になるだろうさ」
「あとほんとに龍ならできるでしょ?」
「ああ、もちろんだとも」
老人は天を睥睨する。口ではああ言ったがもはや少女は老人がただの人間だとは思っていない。ただ、自分の祖先と同じ力を持つというナニカを見たかった。心の支えが欲しかった。
「ではいくぞ?」
積もった雪が吹き荒れる。ほどいたマフラーは簡単に吹き飛び、黒い髪はバサバサとはためき、全身を先程の比ではないほど雪が叩く。
しかし、目が離せない。体が熱く沸騰する。灼熱の血が全身を駆け巡るのを知覚する。
雪が舞い上がって老人の姿をひた隠す。それが老人の意なのかそれとも偶然か、わからないが、一瞬視界を遮った。
刹那、嵐が爆発した。暴風が木々の枝をへし折り、その巨体が幹すら圧し折る。
老人が成った龍はいわゆる東洋風のものだった。
蛇のような身体で所狭しととぐろを巻き、前と後ろについた足が折りたたまれている。流線型の頭の先端についた鼻をふんっと吹くたびに焼けるような呼気が少女の体を吹く。たてがみはヒゲのように伸びて、その中から4本、二股のツノが伸びている。
そして、体を覆うは純白の鱗。雪より白く、裏が透けて見えるのではないかと思わせるほど儚さを感じさせる。しかし一枚一枚に返のような棘が生えており乱暴さとかっこよさを醸し出す。少女の歪で悍ましい鱗とは到底似ても似つかない美しい鱗。
少女はその眩い姿につい目を細めてしまう。首の後ろの醜いこれがもしもあれだったらと、その鱗を渇望してしまう。
同時に、そう考えた事を深く恥じた。こんな考えならばあの鱗もすぐに真っ黒に染まってしまうだろう。
自己嫌悪に陥り、気分が下がった時、龍から老人の声が響いた。
『我が末裔よ!とくと見よ、これがお前の血に流れる
とぐろを解き、ぐんぐんと上昇する。その勢いは凄まじくあっという間に小枝よりも小さくなる。分厚く、長い体躯はみるみるうちに雲を破って、姿が見えなくなる。
思わず身を乗り出して、探そうと目を凝らした時…
『ゴオォォォァァァァ!!』
雷が落ちた。いや、雷でも足りない。そんな轟音が響く。
天が割れ、星々が瞬く。月を背に、龍は吠えた。
これは異端の少女が神の依代になるべく、身を粉にする。そんなお話だ。
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