柘榴話
@kohari_plum
鵠を刻して鶩に類す
『
手本の真似をしても、似ているだけの別のものになってしまうこと。
または、能力や身分に見合わないことを望んでも得られるものはないということ。
また、優れているものを手本にすれば、それなりのものにはなるということ。
絵を描く才能のない人が白鳥を描いてもあひるになるという意味から。
「鵠」は白鳥。
「鶩」はあひる。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
私の家の庭には色々な花が咲いている。
チューリップ、ヒナゲシ、シクラメン、妻が好きだと言う花をその都度選んで、種や苗をホームセンターで買って、色々と育てている。
仕事が休みの日は大体、庭に水やりをして、雑草を抜き、小さな芽は間引いて、世話をして過ごす。
庭で草花の世話をし終えると、決まって妻は僕に冷たい烏龍茶を持ってきてくれた。
対して私は、仕事、仕事、仕事……。
家族のためだ、私の代わりはいない、会社のためだ、利益のためだ。
色々な言い訳をして仕事に没頭してきた。
だから、妻の変化にも気づけなかったんだ、なんて言い訳は誰も聞いてくれないし、私だって言いたくなかった。
妻は末期癌だった。そこからの進行は早く、あっという間に妻は痩せ細り、見る影もない姿になってしまった。
だが、妻は最後まで優しい妻だった。
妻が死んだ。
私は少しだけ会社を休ませてもらった。
何もする気が起きない、無気力そのもの。
ただ日課のようにこなしていた庭にある草花の手入れは、どんなにやる気が起きなくても、どんなに面倒くさくても欠かさなかった。
妻は日頃、掃除をし、料理をし、私が庭の手入れを終えれば冷えた烏龍茶を持ってきてくれた。
記憶にある限り、妻の行動を倣ってみる。掃除をし、食事の用意をし、庭の手入れの後は自分で氷の入ったコップに烏龍茶を注いだ。
ある日、掃除をしなきゃと掃除機を引っ張り出してスイッチを入れる。
こんなに面倒な事を、よく毎日毎日やっていたな。
そんな事を考えながら、テレビ台の下に掃除機を潜り込ませる。我が家のテレビ台には収納として引き出しが3つ付いている。
その一つが半開きになっているのに気づく。何故だろうと思いながら閉めようと手を伸ばす。
特に何を考えていたでもない。中には何か入っているのかと好奇心からなのか分からないが、気付けば私は伸ばした手で引き出しを開けていた。
中には一つ真っ白い封筒が入っている。宛名はないが、感触的に何か中に入ってはいるみたいだ。
封を開けて中身を取り出すと、一枚だけ便箋が入っていた。
「あなたへ、生活は大丈夫でしょうか。
これを読む頃には落ち着いていると嬉しいです。
私がいないと掃除やお食事の用意など、不慣れで大変だとは思います。
ただ仕事の出来る、要領の良いあなたなら
きっと私が居なくても大丈夫だと思います。
この手紙は何か一言と思って書いたのだけれど
最後の手紙って難しいですね
兎に角、元気に過ごして下さい」
妻からの手紙だった。最後まで私の心配をしてくれてたんだなぁと、しんみりしてしまった。
読み終わり、便箋を封筒にしまおうとした時、便箋の裏にまだ何か書いてあるのに気付いた。
「あなたのおかげで私は幸せでしたよ」
ここまでされてやっと気付く、私がどれだけ妻に支えられていたか。
自分が死ぬとわかっていても妻は、私の心配をして、この手紙を残してくれた。
どんなに掃除をして、料理をして、妻の真似事をしても、私は妻ほど立派にはなれない。
妻の死後、初めて泣く事が出来た。
ひとしきり泣いて、私は妻の仏壇の前に正座した。
「こんな手紙まで書いてくれて、本当にお前は出来た妻だよ」
涙目で、まだ震える声のまま、手紙を妻の写真の隣に置く。生前も言った覚えは無いが、改めて言おう、出来れば生きている間に伝えたかった。
「大丈夫、なんとかやっていけそうだよ。最後まで心配かけた、『ありがとう』」
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