欲しいというなら、あげましょう。婚約破棄したら返品は受け付けません。

キョウキョウ

第1話 妹への贈り物

「ねぇ、おねえさま。それ、わたしにちょーだい!」


 妹のリリアンが、私の手に抱えた人形を指差しながら言った。上品な光沢を放つ、淡いピンクのドレスに身を包んだ高級な人形だ。まるで生きているかのように精巧につくられている。陶器のように滑らかな白い肌に、ほんのりと頬を染める。黄金の巻き毛を華やかに揺らめかせ、るり色の瞳がキラキラと輝いている。


「これが欲しいの?」


 私は持っている人形を軽く揺すりながら尋ねた。大切にしていた人形だったが、妹が本当に欲しがっているのなら、渡してあげようかと思案する。


「うん!」


 リリアンの瞳が人形だけを映して輝いた。まるで、他の何もかもが目に入らないかのように。私には、それほどの執着はなかった。


「そんなに、ほしいの?」

「ほしい! ちょーだい、ちょーだい、ちょーだいッ!」


 こうなると聞く耳を持たない。自分の思い通りになるまでしつこく言い募るのが、リリアンのやり方だ。


「だって、このお人形、リリアンにぴったりでしょ? ねぇ、お願い!」


 確かに幼さの残る妹には似合うかもしれない。そこまで欲しがるのであれば、あげてもいいかな。無邪気に人形を抱きしめるリリアンの姿が目に浮かぶ。私よりも妹のほうが、この人形を心から望んでいるようだ。


 自分より強く欲しいと願う人がいるのなら、譲るべきだ。それが私の幼い頃から、自然に芽生えた考えだった。


「じゃあ、これをあげるわ」


 そう言って差し出した人形を、リリアンがパァッと顔を輝かせながら受け取った。


「やったー!」


 人形を手に入れるや否や、リリアンは部屋を駆け出していった。せっかくの贈り物だから大事に扱ってほしいけれど、すぐに飽きてしまうんじゃないかしら。まあ、私としては妹の喜ぶ顔が見られたので満足だ。


 それに、渡した後にどう扱おうと彼女の自由だと思う。だからこれでいいの。


 幼い頃から妹に欲しいとねだられるたびに、私は自分の持ち物を惜しみなく与えてきた。それは、彼女の純粋な願いを感じたから。本気で彼女が欲しいと望んでいると感じたからこそ。でも、まさか私の婚約相手まで欲しいと言い出すなんて、この頃の私は想像もしていなかったけれど。




◆◆◆




 あれから月日は流れ、私とリリアンも大人の女性へと成長した。


 ある日、婚約者である公爵家の御曹司、ルーカス様に呼び出されてヴァレンタイン家の屋敷を訪れた私に、いきなり告げられた言葉に驚きを隠せなかった。


「婚約破棄?」

「そうだ、ヴィオラ。俺は、君との婚約を破棄したい」


 事前に何の相談もなかった。あまりに唐突で、一瞬その言葉の意味を飲み込めずにいた。


 数秒の間を置いてから、ようやく状況を理解した私は口を開く。


「……えっと、なぜ、ですか?」

「お前は、優秀な妹のリリアンに比べて無能すぎるからだ」

「無能?」


 まさか妹と比較して、そんな風に言われるなんて。一体どんな基準でそう判断したのかしら。


 確かにリリアンのほうが愛らしく見えるし、自分の意見をはっきり主張する。私と違って遠慮がない。それも、一つの才能だと思う。けれど、私にだって誇れる長所はあるはず。無能呼ばわりされるいわれは、ないと思うのだけれど。


 彼の中では私の存在価値は低いようだ。でも、わざわざ自分のことを優秀だなんてアピールするのは恥ずかしい。単純に、妹と比べられるのも納得いかない。


 そんな事を考えていると、急に部屋の扉が空いた。


「あら、ルーカス様にお姉様。お話の途中? 邪魔しちゃった?」


 私たちの会話に、不意にリリアンが割って入ってきた。なぜ彼女がここにいるの? それに、何の疑問もなく部屋に入ってくるなんて。


「いや、大丈夫だ。リリアン、君も一緒に話を聞いてくれ」

「はい、わかりました」


 ルーカス様もリリアンの存在を当然のように受け入れている。この状況を見るに、大方の見当はついた。つまり、そういうことね。


「ヴィオラお姉様、私がルーカス様の新しい婚約者になるのよ。お姉様が認めてくれれば、すぐにでも両家の承諾を得られると思うのよ。だからお願い、素直に受け入れてね」


 ルーカス様の隣に座り、まるで将来の公爵夫人然として私を見下すリリアン。勝ち誇ったような表情を向けてくる。


 そんな彼女に、私は問いかける。


「リリアン。また、ですか?」

「そう。だからちょうだい、ルーカス様を」


 リリアンはルーカス様を心から欲しがっているように見える。でもその眼差しには、不純な感情も混じっているように感じた。姉である自分から婚約者を奪い取ることに、満足感を覚えているのだろう。


 もし妹が純粋な思いでルーカス様を慕っているなら、私はきっとすぐに身を引いていたでしょう。だけどこの状況では私も、ちょっと譲る気にはなれない。


 彼女には、不純な気持ちがあるみたいだし。


「認めてくれ、ヴィオラ。俺は、君と上手くやれる自信がない。でも、リリアンなら相性も良くて、良い結果を出せると思うんだ」

「ほら! ルーカス様だって、お姉様ではなく私のことを選んでくれたよ。これは、受け入れるしかないでしょ。ほら、早く!」


 ルーカス様の言葉は、私を突き放す。そんな私も、無能と評価してくるような人と上手く付き合える気がしない。一生添い遂げられるとは思えない。


 そしてルーカス様自身も、私ではなくリリアンを望んでいるようだ。ならば仕方がない。


 しばらく考えた末、私は結論を出した。そう望んでいるのならば、妹のリリアンに婚約相手の立場を譲りましょう。


「わかったわ。ルーカス様との婚約破棄を受け入れます。それから、二人の関係にも文句を言ったりするつもりはないわ」

「そう? ありがとう、お姉様」


 リリアンはいつものように、心のこもっていない言葉で返事をする。


 これ以上話すことはないだろう。もはやここに私の居場所はない。ルーカス様との婚約を解消した私に、ヴァレンタイン家に留まる理由はない。


 そう考えた私は、寄り添い合う二人を残し、部屋を後にした。

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