第9話 もっと泣いていいんだよ



 意味が分からなかった。どうして泣いてるんだろう。

 裕一が心配しておろおろしていたが、アルバイトに出かける時間になったので、茂樹に追い払われるように出かけた。


 茂樹は、自分は仕事が休みだから落ち着くまで一緒にいるよ、と言ってくれた。

 裕一が慌しく出て行くのを見送って祥太はため息をついた。


「……ごめんなさい」


 しおらしく謝る祥太に、茂樹は面食らった顔をした。


「どうして謝るの?」

「泣いたりして恥ずかしい……」


 茂樹のカクテルが喉を通っていくと同時に、込み上げてきた何かを一気に引きずり出した。自分はその何かをなかった事にしたかった。


 宏人に押し倒されてキスをされた事。

 暴れた時に傷ついた心と体の痛み。


 あれ以来、目を合わせてくれない宏人の事を思うと、たまらなくなった。

 どうして無視をするのか。

 許してもらおうとする祥太が憎いのだろうか。


 そう言った不安を隠して凍らせたのに、その氷塊を茂樹の作ったドリンクで溶かされてしまった。

 照れ隠しにへへっと力なく笑う。


「もっと泣いていいよ」

「泣きたくないです。男はそんなに泣くもんじゃないから」

「男だって泣くよ。それに、祥太くんは素直でいいと思うよ」

「茂樹さんも泣いたりする?」

「泣くよ」

「どんな時?」

「玉ねぎが目に染みた時とか」

「そうじゃなくてっ」

「ふふ。ごめんね」


 茂樹はおかしそうに笑うと、


「そうだねえ」


 と考えながら答えた。


「カクテルを飲んだお客さんに嫌な顔をされた時とか、あんまりまずいのができちゃうと、泣きそうになるな」


 まずいもの? 祥太は目を丸くした。


「あんなに美味しいのに?」

「ありがとう」


 茂樹は、祥太の頭を優しく撫でた。そっと撫でる手のひらが気持ちいい。

 目を閉じていた祥太は小さい声で呟いた。


「俺、宏人に嫌われたかもしれない……」

「うん?」


 思わず弱音が出た。それから、堰を切ったように自分の隠していた弱い部分が溢れ出した。


「何度も話しかけたんだ。でもそのたびに無視されて、本当は声をかけるのもすごく怖くて、無視されるのが怖くて……。でも、宏人が離れてしまったら、もっと怖かったんだ……」

「うん」


 再び溢れ出した涙を茂樹が指で拭ってくれる。


「もう……どうしていいのか、分からない」


 祥太は顔を覆った。涙が零れる。


「どうしたら宏人は許してくれるの?」

「辛かったね」


 茂樹の言葉がすとんと胸を突いた。


「よく今日までがんばったね。偉いね、祥太くんは」

「偉くないよ……」


 祥太は首を振った。


「偉いよ。よくがんばったんだよ。だから、もう無理する必要はないんだよ」

「え……?」

「祥太くんは少し無理をしちゃっただけなんだ。君も彼もまだ心の整理がついていないのかもしれない」

「心の整理?」

「うん。ねえ、祥太くん一度深呼吸してみて」

「え? あ、はい」


 祥太は言われた通り深く息を吸って、大きく吐いた。

 そうすると、少しだけ落ち着いた。へへっと笑う。


「すぐに答えなんて出ないから、焦らないで。今日は頭の中を空っぽにして、君の好きなことをやってみて」

「俺、いつもサッカーに夢中で、でも、本当はサッカーもきつかったんだ」


 新しい学校、サッカー、宏人への思い、すべてがぐちゃぐちゃのまま一気に走ってきた。

 祥太が黙り込んだのを見て、茂樹が優しく言った。


「もう、深く考えるのはやめよう、ね。じゃあ。僕はそろそろ帰るよ」

「もう帰るの?」

「うん。君に会えてよかった。元気をもらった」

「茂樹さん、元気がなかったの?」


 困惑しながら手を握り締めると、その手を握り返してくれた。


「僕の作ったソフトドリンクを飲んで、あんなに涙を流したのは祥太くんが初めてだったよ」

「えっ。ごっ、ごめんなさいっ」

「違うよ。嬉しかったんだ」

「嬉しかった?」


 きょとんとすると彼は頷いた。


「うん。祥太くんの泣き顔、見られてよかった。来た甲斐があったよ」


 意味は分からなかったが、からかわれている事は分かった。


「今日は……ありがとうございました」

「じゃあね。ゆっくり休むんだよ」


 祥太は一緒に家を出て玄関先で見送った。

 茂樹の後ろ姿はほっそりしていて優しい雰囲気にあふれている。茂樹は少し進んで立ち止まると振り返って手を振った。

 手を振り返しながら、裕一とは違う兄ができたような気がして祥太は胸が熱くなった。

 部屋に戻りそのままベッドに横になった。


 時計を見ると、本当なら、宏人の家に向かってチャイムを鳴らしている頃だった。宏人に会いに行くのに、代わりにお母さんが出てくる。そして、

 

 ごめんね、祥太くん。あの子に何度も言うんだけど、今は会いたくないってそればかりなの。


 と、お母さんの言葉はいつも同じで。

 もしかしたら、自分のやっていることは、お母さんにも迷惑をかけていたのかもしれない。

 

 天井を眺めながら、いつの間にか祥太は眠ってしまっていた。

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