第2話 真実




 玄関口を出ると、外はすっかり日が暮れていた。

 祥太は持っていたカバンをぎゅっと抱きしめ、ぶるるっと身震いをした。室内は温かかったが外は冷たい空気に包まれている。すると、玄関で待っていた少年が祥太を見て嬉しそうに駆け寄ってきた。噂の王子の登場である。


「祥太っ。待ってたんだ。早く帰ろっ」


 祥太は幼なじみの宏人ひろとを見上げた。中学三年生にもなると、二人の身長差ははっきりしてきた。まだ157センチの祥太とは違って、宏人は170センチもある。

 祥太は隣に立つ宏人をそっと盗み見た。彫の深い顔立ちをしている。くっきりとした形の良い眉毛と整った鼻筋、少しまなじりが垂れているが、それがとろけるような甘い表情になる。祥太を見つめる目は優しくいつもにこにこしている。

 宏人になんて言えばいいんだろう。

 すぐには言い出せず、胸が痛かった。


「今日は寒いね」


 宏人がそう言って、祥太が靴を履くのを待っている。


「うん……」

「先生、何だって?」


 歩きだした祥太はその言葉にぎくりとして立ち止まった。


「え?」

「呼び出されたんでしょ? 何の話だったの?」

「ああ、えっと……。勉強のし過ぎじゃないかって心配してくれたみたい」


 思わずでまかせを言うと、宏人がぱあっと顔を明るくした。


「優しいよなコニちゃん。それに比べて、僕のクラスの青木チャンなんかさ『あと一ヶ月』が口癖なんだよ」


 宏人はそう言いながら、次第に顔を曇らせた。


「何だ? あと一ヶ月って」

「推薦入試の事だよ」

「すいせん入試?」


 聞き慣れない言葉だ。


「うん。僕のクラスって、半分以上が推薦で受験できるんだよ」

「へええ。すいせん……?」


 祥太がここで推薦という意味を理解できればもの凄いことだが、残念ながらよく分かっていない。 

 急ごうか、と宏人が祥太を歩かせる。祥太は足をもつれさせながら聞いた。


「俺のクラスですいせんなんて聞いた事もねえぞ」

「だって、僕たちのクラスは選抜クラスだから……」

「せんばつ? せんばつって何?」


 祥太が首を傾げるので、宏人は驚いた。


「えっ。成績でクラスが分かれてるんだよ。僕のクラスは選抜だからね。だから僕の方が先に合格が決まってしまうんだけど、祥太なら大丈夫だよね。どうして祥太とクラスが分かれちゃったのかなあ。今度、青木チャンに聞いてみようかな」


 祥太は中学三年の終わり頃になって、自分たちが成績別に区別されていた事を知って愕然とした。

 校門を出て歩き始めると、日が落ちるのも早くすっかり前の道も見えづらくなってきた。宏人が、祥太の手をつなぐと空を見ながら呟いた。


「あと少しで卒業だね」


 しんみりとした顔の宏人だったが、すぐに笑顔で祥太を見た。


「僕、高校では祥太と一緒のクラスになりたい。一年の時以外、同じになったことがないから」

「小学校の時は同じだったじゃねえか」


 そういえば小学生の頃、毎晩一緒に風呂に入っていた事を突然、思い出した。


「そう言えば、何で小学生の時、俺たち毎晩一緒に風呂に入ってたんだ?」

「僕の家のお風呂が壊れていたからだよ」

「そうなの?」


 小学生の頃、宏人の背中は真っ白でつるつるだったのを思い出す。今はかっこいいと女子に騒がれているけど、中身は変わらない。昔のままである。


「祥太、これからもずっとそばにいてよね」


 はしゃぐ宏人を見ながら、何でこんなに大きく成長したんだろうと思った。


「祥太、聞いてる?」


 返事をしない祥太の袖を引いた。


「当たり前だろ」

「へへへ」

「何だよ、気持ち悪いな」

「高校に入ったら部活に入るのが楽しみなんだ。緑ヶ丘高校って部活動も盛んでしょ。祥太、サッカーは続けるよね」

「……ああ」


 レギュラーになりたいとか野心があるわけじゃないけど、サッカーは大好きだ。


「僕、マネージャーになるよ。祥太の事、必死で応援するからさ」

「おう、サンキュっ」

「今日の夜、遊びに行ってもいい? 宿題で分からないところがあるんだ。教えてよ」


 宏人に分からない問題が祥太に分かるはずがない。いつも思うのだが、なぜ、宏人は毎日家に来るのだろう。


「なあ、宏人、たまにはゲームをして生き抜きしようぜ」


 実を言うとゲームのせいで寝不足なのだが、担任には黙っていた。


「受験前だよ、何言ってんの?」


 宏人が呆れたように言う。


「ちぇっ」


 また、兄ちゃんに勉強教えてもらわなきゃと思うと、思わずため息が漏れた。


「そういえば、りゅうちゃんは私立の昴流すばる学園一本って言っていたよね」

「うん」

「何でだろ。あそこレベルめちゃくちゃ低いのに」

「そうなのか……?」


 宏人の言葉にぎくりとする。祥太はすべり止めで昴流すばる学園を受ける。この事は宏人にはまだ言っていなかった。


「そうだよ。竜ちゃんって頭よさそうなのに意外だなって思っていたんだ」


 祥太は返す言葉もない。


「あ! でも、あそこサッカーが強いんだっけ。全国大会に行けるレベルだった気がする」


 救いのある言葉であった。何となく高校へ行くのが楽しみになる。

 あれ? と祥太は思った。

 俺、宏人に一緒の高校へは行けないって、言わなきゃいけないのに。

 

「あ、あのさ、宏人……」

「昴流学園って、有名な監督を引き入れたって新聞に出ていた気がするよ」

「はあ? お前、新聞なんか読んでんの?」


 思わず呆れた口調になった。祥太にとって新聞はテレビ欄を見るためにある。


「うん。国語のさっちゃんがさ、新聞ぐらい読めってうるさいんだよね」

「そんな事、言ってたかな?」


 国語の女教師の顔を思い浮かべるが、彼女の赤い口紅しか思い出せない。


「毎日言ってるよ」

「ふうん……」


 結局、祥太は帰り道何も言い出せず、宏人の嬉しそうなおしゃべりを聞いて相槌を打ちながら、いつものように家の近くまで来てしまった。


「あ、もう着いちゃった。じゃあ、夕飯食べたら遊びに行くから待っていてね」

「うん」


 とうとう言い出せず、いつものように宏人と分かれた。


「はあ……。後でいっか……」


 この後がいつを指すのか、祥太自身分かっていなかった。



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