けなげな王子に愛を

春野 セイ

前途多難編 第1話 呼び出し


「柏木くんはこの後、職員室へ来て下さい」


 中学三年生の教室は静まり返っていた。

 今日は補習のない曜日で、早くホームルームを終わらせて、早く帰りたい生徒たちはできるだけ大人しくしている。その中で名指しされた柏木かしわぎ祥太しょうたは担任に名前を呼ばれてぽかんと口を開けた。


「へ?」


 先生、今、俺の名前呼んだ?

 何が起きたのか把握できていない。その合間にも委員長が号令をかけ、クラスメートたちは散っていく。担任はプリント類を小脇に抱えると出て行った。


「えーっ。マジでぇ?」


 担任がいなくなって大きな声を張り上げたが、すでに先生はいない。


「おう、姫、何やらかしたんだ?」

「うっせえ、姫って言うなっ」

「おお、こわー」


 クラスメートが逃げていく。


「王子は助けに来ないのぉ?」


 すると、今度は女子がからかって、きゃははと下品に笑って去っていった。


「お、お前ら早く消えろっ」


 クラスメートに怒鳴ったが全然迫力がない。というのも、祥太はそこらの女子よりもずっと愛らしいからであった。言葉遣いとは裏腹に小柄な体はぷるぷると震え、くっきりした二重のつぶらな瞳は潤んでいた。短く整えられた柔らかい髪、鼻筋も通っていて、唇は花びらで撫でたような淡いピンク色をしている。

 一年生の頃は女子生徒と間違われて告白される事件が多々あったが、誤解が解けてもなお、その人気は衰えていない。自己防衛のために言葉遣いを荒くしてみたが、あどけない表情はどうにもならない。華奢な腕を振り上げても女子でも避けられる。


「俺が何したって言うんだよ……」

「元気出しや」


 ぽんと肩を叩かれ横を見ると、親友のもり竜之介りゅうのすけが苦笑していた。


「竜之介……」

「ほら、はよ職員室いかんと奴が迎えに来るぞ」


 奴というのは、先ほどから言われている王子の事である。祥太が中学一年生の時、学園祭のクラスの出し物で白雪姫をやった。その時、祥太はお姫様役を演じ、王子役は祥太の幼なじみの少年が演じた。それ以後、彼は自分を王子と言いふらし、祥太は自分の姫だと触れ回っているのだ。

 通常ではおかしい目で見られるのだが、祥太は彼の行動は幼い頃からよく知っているので別段不思議ではなかった。


 竜之介に諭されて、祥太はすぐに教室を出た。

 せっかくの放課後なのに職員室に呼び出された理由を考える。思い当たるのは授業中、居眠りをしたからだろうか。

 だって、給食の後だったから猛烈に眠くて我慢ができなかったのだ。受験生なんだから別にいいじゃん、と祥太は口を膨らませた。ぶつくさ言っているうち職員室に着いた。


「三年二組、柏木祥太でっす。失礼しまーすっ」

「柏木くん、こっちだよ」


 イスに座っていた担任が手を振った。祥太はのろのろとそばに寄って口を尖らせた。


「何だよコニちゃん、俺、忙しいんだけど……」

「ちゃんと先生って呼びなさいね」


 担任の小西こにしまさるは、祥太に軽く注意すると、まあ、座ってと促した。祥太は口を尖らせてイスに座ると足をぶらぶらさせた。それを見た小西が苦笑する。


「君を呼んだのは……」

「すみません……」

「ん?」

「俺、夜はあんまり寝ていなくて……。それで、授業中寝ちゃって……」

「え? そうなの? 授業中に居眠りはダメだよ」

「だって、夜食がうまくて……」

「夜食? 夜、勉強しているの? 本当に? あ、でも、授業中に眠ったらダメだよ。意味がないでしょ」

「兄ちゃんが作ってくれるんだよ」


 祥太は瞳をいっぱいに開いた。小西はその潤んだ瞳を見て思わず、うっと言葉に詰まった。


「……そうか。お兄さんが作ってくれるんだ。もしかして、お兄さんに勉強を教わっているの?」

「ううん。兄ちゃん大学生だから、もう中三の問題はわかんないって」


 小西は答えられず、こほんと咳をした。そして、手に持っていたプリントを眺めてから言った。


「あのね、柏木くん、第一志望は緑ヶ丘みどりがおか高校だったよね」

「え? あ、はい」


 突然、話が変わって祥太は目をぱちぱちさせた。


「どうしてそこがいいの?」

宏人ひろとに誘われたから」

「宏人? ああ、隣のクラスの久遠くおんくんか。幼なじみなんだって?」

「うん。近所なんだ」


 彼こそが祥太の王子である。小西は、自ら王子と名乗る久遠くおん宏人ひろとの目立つ容姿を思い浮かべた。細身の長身で、女子生徒から絶大な人気を誇る少年だ。男の教師の目から見ても、彼はとても綺麗な顔をしていると認識している。

 小西は小さく息をついてプリントを机に置いた。


「柏木くん、とっても言いにくいんだけどね。君のこの成績じゃ、緑ヶ丘みどりがおか高校は無理なんだ」

「えっ? 嘘っ」


 祥太はびっくりして立ち上がった。

 急に成績の話になって心臓がドキドキいっている。


「そんなぁ、嘘でしょ。だって俺、宏人からずっと誘われていたんだ。兄ちゃんの行っていた高校へ一緒に行こうって」

「え? お兄さん緑ヶ丘みどりがおか校? 頭いいじゃない」

「どうして宏人は行けるのに、俺は行けないんだ、先生っ」


 祥太の顔が青白くなり、小西は申し訳ない気持ちになった。


「いや、そう言われても。柏木くんは勉強があまり好きじゃないでしょ。どうして久遠くんは同じ高校に行こうって誘ったのかな。ねえ、彼は柏木くんの成績を知っているの?」


 祥太がますます顔をこわばらせた。

 

「し、知らねえよ。だって、かっこ悪いもん」

「かっこ悪い?」


 祥太はがっくりとイスに座って床を見つめた。

 

「この間の中間テスト、俺は三桁だったのに……。宏人は六番だって言うから、それで……」

「久遠くんは六番……。それで、君は何て言ったの?」


 小西がおそるおそる訊ねる。


「宏人が六番で、俺、本当のこと言えなくて……。それで、思わず五番て言っちゃった」

「五番っ」


 小西は思わず仰け反って、あわわと口を押さえた。


「後ろから数えての間違いじゃ……」

「先生っ」

「あっ、ごめんっ」

「ひどいよ」


 泣きそうになると、小西は頭を抱えた。


「待って! それじゃあ、久遠くんは勘違いしたままで、君はただ誘われたから緑ヶ丘に行きたいだけなんだね」

「うん……」

「困ったな。残念だけど、柏木くんが緑ヶ丘高校に入るのはとても難しいよ。だから、久遠くんには本当の事を早く言った方がいいよ」

「え……?」

「この成績じゃ絶対に一緒の高校には行けない……かもしれないって」


 担任としてはっきり言うべきだが、小西は、祥太の顔を見ると強く言えなかった。

 

「えっ? そんなっ。絶対に無理なのっ?」

「ごめん。言いにくいけど、本当に無理……だと思う。受けるのは自由だよ。でも、たぶん難しい……」

「そんなー、ひどいよ。先生っ」


 先生は何も悪くない。祥太の成績が問題なのである。


「とにかく、久遠くんには早く本当の事を伝えるんだよ」


 小西が追い討ちをかけるように言った。祥太はしょんぼりと肩を落とし、職員室を後にした。ほっそりした肩がさらに小さく、祥太は呆然としていた。

 歩く足が重たい。先生の言葉の重みが、今頃になって祥太を襲っていた。

 友達の竜之介は、大丈夫、私立なら絶対に落ちないからと言っていたから、高校に進学はできそうだ。でも、宏人になんて言えばいいんだろう。

 カッコ悪いからって宏人に嘘ついたりして、一緒の高校へ行けるとあんなに喜んでいる宏人の顔を思い出すと胸が痛んだ。

 高校へ進学するのに勉強がそんなに大事なんて考えもしなかった。どうやって伝えよう。

 祥太は先生の話を思い出して、大きくため息をついた。

 

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