第45話 おはぎ
アゴのしゃくれたパンダについて、話したいことがある。
鈴木家の庭で会えないだろうか。
宏明の枕元に放たれた矢文には、そう書いてあった。
真冬の松原。日曜日のことである。
宏明は、庭を見張っていた。
怪異の駄弁には耳を貸さないと固く誓った宏明であるが、こと、『アゴのしゃくれたパンダ』に関しては心中穏やかではいられなかった。
パンダが、父親『黒鉄』の事を知っていたからである。
それも、『居場所』などという言葉を吐かれたなら、ここ数日の自らの奇怪な出来事を思わずにはいられなかった。
しかし矢文には、時間の指定がなかったために、今日の何時に来るのか、そもそもが本当に相手は今日来るのか、わからないでいた。
宏明は、家に新聞を運んできた郵便アリ達にお駄賃を与えると、リーダーアリからこの地区を担当する新人が155匹増えたとの報告を受け、
実に155匹の名刺を受け取ることになった。
宏明は、新聞に目を通しながら庭を見張った。新聞を読むと、今日も世界は何も動いていないのではないかという感覚を覚える。
1面には本日発生した『納雲』により、午後から沖縄で納豆の雨が降るそうだ。
新聞を読み終えると、宏明は試しに庭に出てみることにした。
散歩を終えた犬が、わんわんわんと吠え、庭を駆け回っている。
庭で靖子が育て出した、名前も知らない草が、一晩にして宏明の腰の高さまで成長し、紫色の実をつけていた。
カラスの兄弟が、人間達に向けて、「もっと野菜と魚を中心とした食生活を心げけてください」という旨の横断幕を咥えて飛んでいた。
「遅いよ」
宏明は突然声をかけられた。声のする方に視線を向けてみると、
巨大な おはぎ が震えて佇んでいた。
「寒かったよ」
実に宏明の膝くらいまでの高さがあり、それに見合った幅と長さをもつ、実に立派なおはぎだ。
もちろん口などないので、どこで喋っているのかはわからない。
「今日はね、厚着をしてきたんだ。だけどおたく中々出てこないから、随分待ったよ」
どうやら、内容物が「あん」に包まる様を『厚着』と称しているようである。
……なんとなく、『寒くて外に出たくない』と言い張って布団にくるまっている一人娘に似ている。
あまりにもの寒さに、「あん」から出られなくなってしまい、おはぎは怪異になったのかもしれない。
宏明は、今朝枕元に飛んできた矢文を取り出して……
「これは君が書いたものかい」
と、おはぎに見せた。
「そうだよ。」おはぎが応える。
「これに書いてある『しゃくれたパンダ』というのは……」
「その前に、少しいいかい」
おはぎが、宏明の言葉を遮った。
「あまりに寒いんだ。君の庭でストレッチをしていいかな」
「……どうぞ」
するとおはぎは、体の一部を「にょ」と宏明の頭ほど突起させ、また元の大きさに戻った。
「コツがいるんだ。なるべく、心臓の音に合わせると、健康にいいんだよ」
などとおはぎは言う。
「しばらくの間、僕のことは『脈動するおはぎ』と呼んでくれないか」
「……もう少し、呼びやすい名前だと助かるんだがね」
「じゃあ、『脈動』でいい」
「『おはぎ』じゃないのかい」
おはぎの突起運動を見守りながら、二人は意味のない会話を交わした。
「もう少し、大きく突起していいかい」
「どうぞ。……ところで……そろそろ『しゃくれたパンダ』の話をしないか」
おはぎが、実に宏明の頭の高さまで「にょ」と突起運動を行い、実にあんこ然とした声で……
「『しゃくれたパンダ』か」
と言った。
「あれは良くない」
「良くないと言うのは?」
「悪いパンダということだ。」
小さく、『フン、フン』、と隆起と沈降を繰り返しながら、おはぎは答えた。
要領を得ない宏明は、おはぎの次の言葉を待ったが、そこから先を喋る気は、おはぎには無さそうであった。
「弱ったな。もう少し具体的に言ってくれると助かるんだがね」
「ならそう言いたまえよ。あと、おはぎにものを頼むときは、あんこに何かを混ぜてくれ」
「ああ、そうだったすまないね」
宏明は地面から土を手ですくい、脈々と蠢くあんこに「ぺたん」と貼り付けた。
おはぎは満足すると突起運動を鎮めた。
「あのパンダはいわゆる……雌雄同体と、多重人格障害と、放屁癖を『あんこ』にしたみたいな存在だ」
「雌雄同体?」
「ミミズ様と一緒だな。それだけならとても尊い生命体には違いないが……なにせ、そこに多重人格と放屁癖と『アゴしゃくれ』が加わるから始末が悪い。
『過ぎたるは及ばざるが如し。放屁つければなをおかし……ちなみにおはぎは和菓子……』を体現した生物だ」
「ちょっと後半、何を言っているのかわからなかった」
「世の中の縮図の話だ。君には関係ない」
おはぎのあんこが、土を飲み込んで黒みが増した。『どろあん』の完成だ。
「それで?」
今ひとつ要領を得ない『どろあん』との会話に、宏明は痺れを切らした。
「他には何かないのか。この世界の秘密を知っているとか、何か重要な情報を掴んでいるとか。
『あんこ』の保湿力を高める方法を知っているかでもいい」
「ないよ。そんなものは」
宏明が与えた土では足らずに、おはぎは足元の土を食んだ。
「そんな方法があるなら苦労はしない。そもそもが、『あんこ』にとって大事なのは保湿力ではない。『暖力』だ」
「じゃあ、君との会話で得るものはないわけだな。僕は」
宏明がそう言うと、二人とも黙ってしまった。
あんこも凍れる、寒い寒い朝の事であった。
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