第18話 今日も来るって?

 ただいま、社内会議の真最中だ。

 俺の他にここにいるのは、上司の村正さんと麗奈、それに法務部の課長さんと、法務担当の沙里亜さんだ。


「……こんなところですね、スケジュールは。今年も東京と大阪をつなぐんですね?」


「ええ、そうなります。会場の方は、もうこっちで抑えてあります。役員や担当の何人かは、当日は大阪に行って頂くことにもなるかと」


 今話しているのは、6月に開かれる定時株主総会の件だ。

 課長さん同士を中心に、大まかな予定やだんどりを確認している。

 手元には、もっと細かいことが書かれた資料がある。

 沙里亜さんが、去年の資料をもとに、今年用に手直しをしてくれたものだ。


「来週には総務の方から他の部門に、議案がないかどうか検討するように連絡をしますので」


「はい、お願いします。こちらは経理とも相談して、招集通知に付ける書面の準備に入りますから。お互い密連携でやりましょう」


 毎年一回ある、大仕事の始まりだ。

 全体は総務の方で仕切るんだけど、やることが法律で細かく決まっているので、法務の助けが必要なんだ。

 社内や社外に連絡やお願いをすることも多くて、気も使うし体力も使う。

 沙里亜さんと一緒に最初にやった時には、終わった日は精魂尽きてへろへろだった。


 それを今年は、総務では俺と麗奈が、法務では沙里亜さんが、主に担当するんだ。

 もちろん、総会当日が近づいてくると、全メンバーによる総力戦になるんだけど。


「よろしくね、二人とも」


 会議が終って、上司二人が去って行った後の廊下で、沙里亜さんが声をかけてくれた。


「よろしくです、梅澤さん」


「あの、よろしくお願いします。お二人の脚を引っ張らないように頑張りますので」


 麗奈が平身低頭で、言葉を返す。


「そんなに緊張しなくても大丈夫よ。長船君も私も、経験者なんだから」


「は、はい!」


 確かにそうなのだけれど、こんな風に色々と任されるのは初めてなんだけど。

 でもまあ、やるしかないんだよな。

 「なにかあったら骨は拾ってやるよ」と、村正課長からさらりと言われている。


「ところで、月乃下さんのお家って、長船君の部屋の隣なんですってね?」


「え……!?」


 麗奈と一緒に、俺もピクンと反応する。

 一応そのことは、沙里亜さんには口止めをしておいた。

 今は周りに誰もいないからギリギリセーフだけど、冷や汗をかきそうだ。

 余計な噂ってすぐに広がるし、変に捻じ曲げられてしまうんだ。

 自分たちが全然知らないところで。


 そう、高校の卒業式の日、俺はこっそりと学校に行った。

 その時にちらちら向けられた変な視線、何かをこそこそとしゃべりながら投げられる歪んだ笑顔、今でも思い出すと穴の中に入りたくなってくる。

 一度好奇の的になってしまうと、それって中々消えてくれないんだ。


「あの、えっと……」


「長船君から聞いたのよ。大丈夫、誰にも言わないから。でもそういうの、羨ましいなあ」


「そ、そうですか?」


「ええ。だって仲のいい人がそばにいると、心強いじゃない」


「そ、そうですねそれは、確かに!」


 俺の家から沙里亜さんの家までは車で15分ほどだから、そんなに離れてはいない。

 けど、お隣同士ってのと比べたら、遥かに遠い。


「あの、私からも訊いていいですか?」


「ええ、もちろん」


「梅澤さんは、長船さんの家があそこだっていうの、ご存知だったんですか?」


「…………」


 う……なんだろ? なんだか俺、ここにいづらい感じになってきたような……


「そうね、知っていたわ。前に長船君から、場所を聞いていたから」


「そうですか……」


 場所を教えたっていうより、何回か部屋に上がってもらったこともあるんだけど、それは今ここでは言わないで欲しい。

 背中に冷たい物を感じながら、怪しい人影がないかどうか、きょろきょろと周りに目を配る。


「身近に先輩がいると、色々相談もできていいわね」


「そうですね……そうさせてもらおうかと思ってます」


 なんか、笑顔のわりには、間の空気が冷たくないか?

 とにかく二人とも、こんなとこで、その話題は止めようよ。


「な、なあ二人とも、もうじき飯の時間だし、そろそろ戻らない? 遅くなると、食堂が激コミになるしさ」


「それはそうね。その点は改善して欲しいわ、総務さん?」


「……はい、善処致します……」


 確かに、社内のそういう福利厚生の話は、人事総務の領分だ。

 なんだかハイスペック美女の間で挟まれた感じでビビッてしまったけれど。

 どうにか二人を引き離すのに成功した。


「ところで兼成君、玉子が余ってるので、今夜はオムライスにしょうかと思うの」


「うん、玉子がね……って、えっ!? 今夜も来るのか?」


「うん。一緒にスープでも作るわ。私の部屋の冷蔵庫にも余ってる野菜があるし。その代わり、教えて欲しいことがあるの」


「え、なんのことだよ? 仕事のことか? だったら会社で……」


「『クズ100』ってなにって話」


 なんだよ、お前も話を聞いてたのか?

 興味をもってもらえるのは嬉しいけど、でもそれは……ここではしゃべりにくいな。

 ……あれ? なんか怖いぞ?

 いつもの麗奈にはない強い圧力を感じて、首を横に振ることはできなかった。


 その日の夕方、麗奈は俺よりも早く退社した。

 

「ちょっとだけお買い物して帰るから。家に着いたら連絡して」


 そんなことを、耳元でこっそりと囁いてから。


 こっちはいつものようにオフィスを出て、寄り道をしないで部屋に帰り着いて、RINEメッセージで『帰った』と麗奈に送った。

 するとすぐに、来客を教えてくれるインターホンの音が高らかにこだました。


「やっほ~、来たよ!」


「はいはい、お疲れ様」


 ドアを開けると、白い短パンから覗く滑らかな素足を躍らせて、部屋の中へと駆け入ってきた。


「じゃあ作ろうかな。えっと、ソースにケチャップに塩、砂糖、胡椒にコンソメ……だいたい揃ってきたかなあ」


 なんだか知らない間に、うちのキッチンに調味料が充実している。

 しかも今日は、青くて丸いふわふわのクッションも持参されていて。


「かねっちは、先にお風呂入ってていいよ?」


「……おい、頼むから、その呼び方は止めてくれ」


「えっへへ~、ど~しよっかなあ!?」


 勘弁してくれ、俺が俺でなくなりそうだ。

 俺の中のどこがが溶けてしまいそうで。


 風呂上りでさっぱりしたところに、黄色いオムライスがお目見えした。

 その上にはハートの形をしたケチャップが乗っかっている。

 それに、香り立つコンソメスープに野菜サラダ、なんて健康的な食事なんだろう。


「じゃあ、乾杯!」


「ああ、乾杯。ありがとうな、今日も」


 なんだかんだあっても、今日もやっぱり美味い。

 ふわふわの玉子に包まれたチキンライスはお腹も心も満たしてくれるし、スープの温かさが体の中にしみ込んでいく。

 余った野菜とかで作ったサラダなんだろうけど、新鮮で目も楽しませてくれる。

 口に入れると、瑞瑞しく弾け飛ぶようだ。


 無理やり押しかけられた感じがしないでもないけれど、一人じゃない晩飯も悪く無いな。

 目の前で楽しそうにぐびぐびと缶を煽る麗奈を目にして、そんなことを思う。


「お代わり、飲むか?」


「うん、ありがとう!」


 満足感でいっぱいの晩飯を終えて、二人で何本ものビールや発泡酒の缶を空けながら、その日は遅くまで、『クズ100』を鑑賞した。

 つい色々とウンチクを垂れてしまったのは、一度火がついたオタクとしては、仕方がなかったんだ。



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