第34話 肉をいただく

 私はキッチンに立ち鹿肉に包丁を入れながら、ここに来て2週間ほど経った頃のことをふと思い出した。




 冷蔵庫がないこの家では、食材は涼しい地下の保存庫に置いてある。料理をする時はそこから食材を持ってきて使うのだ。

 私は夕食の準備に取りかかろうと地下に下り、保管庫で食材を物色して気づいた。


 (あれ? お肉がない)


 普通の街なら、じゃあ買いに行こうとなるところだが、この村に肉屋はない。

 私はこのことをナラタさんに伝えに行くと、じゃあ狩りに行くしかないね、というようなことを言った。

 どうやらこの村ではお肉は自分で森に入り得るものらしい。今まで保管庫にあったものはナラタさんが狩ったシカやウサギ、村人から貰ったイノシシだったりしたようだ。

 戸惑う私をよそに、ナラタさんはさっさと狩りの準備をして森に行こうとするので私も慌てて後を追った。




 ナラタさんは森の中に入り迷いのない足取りでズンズン進んで行った。

 獣道、というものだろうか。下草が比較的少なくうっすらと道になっている場所を歩いていく。

 森は平地ではなくちょっとした山になっていて、登ったり下ったりする。急な斜面でも迂回はしない。1時間も歩けば疲労が溜まってきた。一方でナラタさんからは疲労の色は見えない。


 (すごい……。山道を歩き慣れているとそんなに疲れないもの?)


 しかしそれから3時間ほどのち、それが理由ではないと気づいた。




 (ナラタさんの歩くスピードが全然落ちない。休憩も私に合わせてしてくれているだけで必要なさそう)


 森に入ってからの時間を懐中時計で確認するとすでに4時間。この時計はナラタさんから貰ったものだ。こんな高価なものは頂けないと慣れない言葉で伝えたのだがナラタさんも引かず、それならとありがたく頂戴した。

 ナラタさんの年齢は多分私(菊池奈緒)の祖母に近い。それなのにこんなに体力があるのは森に慣れているからだけでは説明がつかない。


 (狼の獣人だから……?)


 そう考えれば腑に落ちる。兎の獣人は骨が弱いけど身軽。狐の獣人は賢い印象を受けた。各種族に先祖から引き継いだ特徴があるみたいだから、狼の獣人は身体能力の高さがそれかもしれない。

 足取りが軽い理由はもう一つ。狩りに行くというにはナラタさんは猟銃も持っていなかった。どうするのかと思っていたら、彼女はリュックから細工のされた木の板にワイヤーがついているものを取り出し、ワイヤーの端を木にくくりつけ、木の板を少し掘った地面に隠した。


 「アナウ」


 ナラタさんは罠を指差して言った。多分、罠もしくは罠猟という意味だろう。

 罠を設置したらまた少し歩き、今度は罠の設置の仕方を私に教えてくれた。

 まだまだウィルド・ダム語の聞き取りは難しいが、それでも実際にやってみながらだから理解できた。獣道の探し方や罠を置く場所なんかも、言葉だけでなく自分で何回もやってみることで分かってくる。


 (この村で暮らしていくならこういうことも出来るようにならなくちゃ)


 意気込んだものの、その決意は動物を目の前にした途端、脆く崩れ去った。




 斜面の脇を歩いていると倒れて動かないタヌキを発見した。

 滑落したのだろうか。私は心の中で手を合わせた。

 ナラタさんも何かを呟いていて、お祈りの言葉か何かかなと思っていると、カバンからナイフを取り出しタヌキの腹をスッと割いた。


 (っ!!?)


 驚き固まる私の横で、ナラタさんは慣れた手つきでお腹から内臓を出していく。

 全て出し終えると今度は木のスコップをカバンから出し、それで穴を掘り内蔵を埋めて処理した。そして麻布でタヌキを包み紐で口を縛って豪快に肩にかけてまた歩き出した。

 事故死したタヌキもありがたく頂く。それがこの村の暮らしなのだ。




 しかし必要なことだと理解はしても感情がついていかないこともある。

 タヌキと遭遇してから30分。目の前には罠にかかったシカが逃げようと右往左往し暴れている。この罠は以前にナラタさんが設置しておいたものだろう。


 (殺す、んだよね……)


 どうしよう。やらなきゃ。できない。やるしかない。できない。怖い。かわいそう。やらなきゃ。

 この村で生きていくためには動物の肉を食べないという選択肢はない。それでは自分が飢えてしまう。

 私がシカを前に手も足も出せないでいる間に、ナラタさんは付近の地面を探して少し太い木の棒を拾い、そしてシカの頭めがけてそれを振り下ろした。

 ゴッと鈍い音がする。

 シカは昏倒した。

 私は頭が真っ白になって、心臓は早鐘を打ち呼吸が早くなる。

 ナラタさんはナイフを取り出してシカの心臓を突き刺した。

 流れ出る血。

 命を失ったシカが横たわる。

 そのシカの脚にナラタさんはロープを括りつけ、木に吊るして逆さにした。血抜きだ。

 それから足の先から腹部に向かってナイフを浅く入れ皮を剥いでいく。

 それが終わったら腹部から胸部にかけて深く割き、内臓を取り出す。

 そして最後に、足、肩、背中と部位ごとに切り分けた。

 解体が終わったらもう、それはただのお肉にしか見えなくなった。

 ナラタさんは脚などの大きい部分を背負い、私は小さい部分を袋に入れてリュックに入れ背負った。重さの比重は多分7対3くらい。年配の彼女に多く持たせてしまっている。それが申し訳なかった。




 もうだいぶ日も傾いてきて、どこかでカァカァカァと鳴くカラスのような鳥やチュピチュピと囀る鳥の声が聞こえる。

 荷物もあるし私はこれ以上森をウロウロされては倒れてしまうことを、きっとナラタさんも察している。会話一つするにも不自由がゆえ労力がいるから助かる。

 足を動かしながら、目の前にあるナラタさんに背負われた鹿肉を見て、ふと思う。

 なぜなんだろう。スーパーでパックに入ったお肉は食材にしか見えないのに、沖縄あたりで売っている豚の耳は忌避する。海外の市場なんかにある頭部そのまんまなんて全力で避けて通る。その全てはこのシカのように生きていた動物に違いないのに。

 首から下なら骨がついていたって大丈夫。多分皮があっても。なのに頭は駄目なのだ。

 生を感じるから?

 今の私には少し理由がわかる気がする。

 結局はその動物の命を頂いているという事実にちゃんと向き合っていないからではないだろうか。

 日本では消費者と畜産業があまりにも遠い。そして命のリアリティがないままにお肉を食べ、賞味期限が切れたら廃棄する。

 自分の手で殺すのと日本の多くの消費者。そのどちらが本当に残酷なのか。




 そんなことを考えていたら下山はあっという間で、私は倒れる前に家に帰ることができた。

 しかしそのままベッドにダイブはできない。

 夕食の準備にかからねば。

 私はナラタさんの隣で料理を手伝いながらタヌキの調理を見て学ぶ。

 タヌキは臭みを抜くためにしばらく塩水に漬けておくようだ。

 その間にシカの保存処理を進める。鹿肉を大きく3つの山に分けて、一つは保存庫に、もう一つは庭にある燻製器に、もう一つは荒い目の布に入れて干した。どうやらそれぞれ生のまま取っておく分と、他は燻製、干し肉になるようだ。

 シカの処理が終わったら台所に戻りタヌキ肉の調理を進める。

 その後は普通の料理の手順で進められ、そして完成した本日の夕食は鹿肉のシチュー。


 (いただきます……)


 一日中外を歩き回って冷えた体に沁み渡る美味しさだ。

 植物を食べて育ったシカを人間が食べる。人間は植物が育つ森を作る。大いなる自然の循環の中に私もいるのだ。

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