第20話 先生の告白
私は病院のバイトをクビになったその足でハリス先生のもとに向かい、『記憶をなくす前の自分を知る人物がいた』と報告した。
「なので私はこの街を出てどこか遠くに行こうと思います」
「会って話をすればそれが刺激になって記憶が戻る、ということもあると聞きますが……」
診療が終わった診察室で先生と向かい合って話し合う。
「いえ、その人は私を見て人殺しだと叫び出しました。よほどのことがあったんだと思います。やっぱり私は死んだままにしておいた方がよかったんだと思います」
「記憶が戻ることは諦めてもいいんですね?」
「はい」
あの夢で見たような記憶ならば思い出さない方がむしろ私の精神的健康にはいいだろう。
生まれ変わって1年半。一つ一つ分からないことは潰してきた。そうやって周囲に助けられながら生きてこられた。
大丈夫だ。
「先生にはこれから恩返ししようと思っていたんですが……それだけが心残りです」
「それは気にしなくていいことです」
「あの、先生、どうして私を見習いにしてくれたんですか?」
今までなんとなく聞きづらく、でも気になっていたことだった。私は最後に思い切って聞いてみた。
「入院していたあの時のあなたがあんまりにも心細そうだったから、というのはあります。……でもそれだけじゃない……」
先生は言おうか言わざるか迷っているようだった。そして逡巡のすえ口を開いた。
「罪滅ぼしでもありました。私が
ミシェルに言われて、あれから治療魔法の歴史も少し勉強し、先生は確かに教科書に載っていた。
「私は……研究を盗んだのです」
「盗んだ……?」
そんな……先生がそんなことするはずない。
「10年前のことです。その当時治療魔法は
新薬開発と違い魔法開発は個人プレー。大学に所属した研究者が資金をもらい各々で開発を進めていたという。
「魔法開発を始めるにあたり、私は親しかった大学の先輩で魔法開発を長くしていたゴードン先輩を訪ね、これまでどのようなアプローチで魔法開発を進めていたのか教えてもらったのです」
今までの研究内容を教えてもらえるなんてよっぽど仲がよかったんだろうか?
「先輩は……他の研究者もそうらしいと聞きましたが、
言われてみればそうかもしれない。病気や怪我を治すのに時を戻そうなんて発想になる先生が奇想天外すぎたのだ。
「でも私は『そうなる前』に体の状態を戻せたらいいのではないかと考え、魔法理論を構築しました」
魔法は全てなんらかの原理によって発動している。例えば
「その魔法理論を構築するのが一番難しいんですよね?」
「そうです。破綻のない理論を考え、次に起動詞を探します」
「起動詞を探す……?」
「えぇ、理論が合っていても、正しい起動詞を見つけなければ魔法は発動しません。そして起動詞はとにかく手当たり次第唱えてみるしかありません」
それは果てしなさすぎるんじゃなかろうか。
「そんな遠い目をしなくても大丈夫です。起動詞は古ジルタニア語が元になっていて、魔法の理論と合致する古ジルタニア語を探せばいいんです」
「古ジルタニア語……。そうだったんですね」
研究職に就くためにはそんなところも勉強しなければいけないのか。
「そうして私は理論構築、起動詞の決定、動物実験と臨床実験を経て、8年で新魔法が完成しました。自分で言うことでもないですが、これはとても早かった」
先生はその偉業を誇るでもなく、むしろ申し訳なさそうに言った。
「先生すごいです。
「そうでしょうね。でもそのせいで死んでしまった人もいる。それがゴードン先輩です」
「えっ……?」
「先輩は魔法開発に15年以上もの歳月をかけていました。なのに後から初めた私にたった8年で抜かれてしまった。耐えられない挫折だったんでしょう。命を絶ってしまった……」
そんなことで? と私は思ってしまった。確かに人生を賭けた研究を新参者に掻っ攫われたのはつらいだろうけど。
でも他人には理解されないが当人は相当に苦しかったんだろう。生きる意味や目標を失ってしまったのかも。
「私が彼をそうしてしまった。もう魔法開発を続ける気にはなれませんでした。そのまま帝都にいれば次の魔法開発を求められると思い、帝都から遠く離れたこの街に来て診療所を開業しました」
それが偉大な魔法開発者がこんな小さな街にいた理由だった。
「診療所が軌道に乗ると、今度は先輩のように後進を育てたいと思うようになりました。結局前の弟子は途中で諦めてしまいましたが、あなたが叶えてくれた……。ありがとうございます」
「感謝するのは私のほうです! 命を救ってもらい、生きていく術を教えてもらいました」
毎日病室にいる私を気づかって訪れ、話をしてくれたこと。トイレやシャワー、キッチンからバスの乗り方まで教えてくれたこと。聞かせてくれた故郷ロームの話。勉強の進捗を確認したり、予想問題を作ってくれたこと。何かあっても助けてくれる、安心感を与えてくれた。
私はここに来てからの1年半を思い出し、泣きそうになった。
「ここを出てどこに行くつもりなんですか?」
「私のことを知っている人が絶対いないだろう場所を考えて、隣国のウィルド・ダムに行こうと思います」
「あそこは獣人の国ですよ。人間は差別されるかもしれないんですよ?」
「分かってます。とりあえず行ってみて馴染めそうになかったら別の場所に行きます」
幸い給料は最低限しか使わず貯金してきた。少しの間なら放浪の旅をする資金はある。
「そうですか。定住先が決まったら手紙でも寄越してください。そういえばもう
「旅券!?」
「それがないと出国も入国もできませんよ」
完全に失念してた! 異世界だからって気を抜いてた!
私が取っていないと言うと先生は苦笑してから旅券の取り方を教えてくれた。
それから1週間後、私は旅券を手に大陸横断鉄道の駅へやってきた。
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