第8話 未知の病

 昨夜は疲れていてあまり勉強が進まなかったので、朝少し早く起きて先生がどこからか入手してきてくれた過去問を解く。


 「『治療魔法師国家法で治療魔法師の義務には応召義務が含まれる。マルかバツか』これはマル」

 「『背中が痛い原因として考えられるのはどれ』この中なら2の食道炎ね」

 「『治療魔法師は魔法を使った治療以外はできない』はマル」

 「『治療魔法は病気の特定ができていなくてもとりあえず行使してみたらよい』ってこれは明らかにバツ」


 治療魔法は病気の原因を特定してそれを治すイメージで使わないと発動しないし、最悪の場合魔法が暴発して患者を害する場合もある、とハリス先生から厳しく教えられている。

 ふと時計を見ると針は8時を回っており、慌ててカバンを掴み家を出た。




 8時半に診療を開始し今日も順調に治療をしていたが、ことが起こったのは午後一番の患者さんだった。


 「なんだか目が変なんです。たまに足のない人が見えるんです」


 60代後半のその女性、マーベルさんは『先に眼科にはかかったのですが、特に異常はないと言われて。やっぱり歳のものですかねぇ』と言って苦笑った。

 この国にも内科や外科など魔法を使わない診療科は存在している。それら『一般科』の医師は検査スキャンを使えない人がほとんどで__そもそもこの世界で魔法を使える人は3割ほどだ。だから私も魔法治療師になれない可能性があったことを後から知った__診断を仰ぎにセカンドオピニオンとして魔法診療所に来る人もいた。


 「他に症状はありますか?」

 「うーん……そういえば最近頭痛が酷くて……。それとよく物を落とすのも。ふふっ、歳を取るっていやねぇ」


 マーベルさんの言葉に、先生が一瞬だけ険しい顔をしたのを私はみた。


 「では検査させていただきますね。行使:検査スキャン……。っ……ナオ、あなたも診てみなさい」


 最近は午前の診療を私、午後を先生が担当していて、練習として先生のあとに検査スキャンを使うこともなくなっていた。

 なので私はどうしたんだろうと訝りながら魔法を使った。

 検査スキャンで浮かび上がった人体の3Dモデルは臓器で表示されており、赤く表示された脳の左下部側頭葉と空に浮かんでいた文字は『硬膜動静脈瘻』となっていた。

 その病名を知らなかった私は棚から医学書を取り出し、該当のページを検索した。しかしその病名が書かれたページはなかった。


 「病名は見えましたか?」


 私のそばに来た先生が小声で言う。


 「はい、左下部側頭葉の硬膜動静脈瘻と。でもそんな病名この本にも載ってなくて……」

 「……私も聞いたことがありません。しかも本にも載っていないとは……。ただ今まであなたの診断が外れたことはなかったし、これまでの診察ぶりを見るにあなたの検査スキャンは信頼に足るものだと私は考えています」

 「それじゃあこれは……」

 「考えられるのは、これまで発見されていなかった疾患の可能性です。私の検査スキャンでも脳の側頭葉に異常があることは分かったのですが、見えた画像のような症例は記憶になく、症状もどうにも思い当たるものがない……。しょうがない、逆行治療レトラピーを使ってみましょうか」

 「そんな感じで魔法を使っていいんですか!? 病気の原因を探ってからでないとダメだと__」

 「今回は検査スキャンで左下部側頭葉に問題があることは分かっていますから暴発の可能性は低いですし、脳外科では手術で開けてみて判断ということになるでしょう。その前に魔法で治るならそのほうがいい」


 つまり今回は治療法が確立されていない未知のものだから、出来るかどうかも分からない手術の負担をかける前に魔法を試してみようというのだ。


 「患者さんに説明しましょう」


 先生は椅子に座り直しマーベルさんと向き合った。私は邪魔にならないように少し離れたところに立つ。


 「私の見立てでは目に異常はありません」

 「じゃあやっぱり__」

 「いえ、お歳のせいではないかと思います。検査をしたところ脳に異常が見つかりました」

 「えっ……」


 彼女の顔色がサッと変わる。先生はどのように説明するのかと私は緊張しながら見守った。


 「ただ見たことのない症例で、脳外科でも手術してみないと分からないかと思います」


 先生は患者さんの様子を窺いながら、あえて淡々と説明しているように見えた。


 「脳って……先生、私悪い病気なんですか? ここで治療はしてもらえないんですか?」

 「なんとも言えません。手術となれば負担が大きいですから、その前に一度治療魔法を受けてみられますか? もちろん一旦帰って考えてもらってもいいですよ」


 それから先生は魔法の説明と受ける可能性のある副作用の説明をした。


 「えぇ……あぁ、はい……あぁどうしましょうっ……」

 「マーベルさん大丈夫ですか? お一人で帰れられますか? それともご家族をお呼びしてこちらから説明しましょうか?」


 動揺する彼女にマリーさんが優しく声をかけ、落ち着かせるために奥の処置室に連れて行った。




 暗く沈む診察室は自分が癌を告知された時のことを思い起こさせた。あの時の主治医の顔、目前に死が突きつけられた絶望と恐怖__。


 「マーベルさんが脳外に行くことも考えて、今のうちに紹介状も用意しておきましょうか。あなたの診断した硬膜動静脈瘻の疑い、というのは書けませんが」


 先生の声で私は追想から意識を戻した。


 「検査スキャンで普通は未発見の病名まで分かることはないですもんね。先生、マーベルさんは逆行治療レトラピーで治ると思いますか?」


 私は隣の部屋にいるマーベルさんに聞こえないよう小声で尋ねた。


 「分かりません。発症が1週間以内なら可能性は高いかと思いますが……」


 それが逆行治療レトラピーの特徴だった。そして1週間以内でも時間が経てば経つほど治療の成功確率が落ちる。

 私は治療魔法は万能だと思っていた。先生には確かに治せない病気もあると聞かされていたが、見習いになってからそういう患者さんに当たったことがなかったから。


 (自分と重ねてつらくなるなんて。しっかりしろ自分!)


 気合いを入れ直して、私は様子を窺うためマリーさんとマーベルさんがいる処置室へ入った。




 その後マーベルさんの希望でご家族が呼ばれ、先生の説明を一緒に聞き、彼女は治療魔法を受けてみる決断をした。

 処置は入院病床で行われ、彼女は副作用で一時意識を失ったが予後は良好で、幻視などの症状は消失した。

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