第6話 交通事故
診療所で働き始めて半年が経った。私は治癒魔法師見習いとして日々成長を感じている。新しいことを学ぶのは楽しく、できることがどんどん増えていくのは嬉しかった。
そもそも、治療魔法の『
この日は珍しく診療時間内に少しゆっくりする時間ができて、私は受付の中で教科書を開いていた。
「今日は患者さん少ないですね」
「そうね。でもそういう日に限って__」
テイラーさんの言葉を遮り、
「先生! ちょっとこいつを診てくれ!!」
診療所の扉を蹴破る勢いで、作業着姿の50代と思しき男性が若い男性を背負って入ってきた。
「すぐに中へ!」
私は受付を飛び出して、男性を診察室を通り奥の処置室まで案内する。
診察室にいた先生も治療に加わり、
「この方はどうされたのですか?」
先生が男性に尋ねた。
「俺たちは近所の建築現場のモンなんだけどよ。こいつが足場から足ィ滑らせて落っこちたんだよ。けどそんな高くねぇ場所だったしどこも怪我してねぇみてぇだったんだが、急に倒れたんだ」
私は嫌な予感がした。先生も同じだったのだろう。顔色を変えて
「脳出血です。行使:
「うぐぅぅぅ……」
すぐに治療が始まり、痛みを感じた患者が苦しみ出す。
私と付き添う同僚の男性が励ましていると、にわかに待合室から騒ぐ声が聞こえてきた。
マリーさんが対応しに処置室を出たが、すぐさま血相を変えて戻ってきた。
「近くの交差点で事故があって多数の怪我人がいるそうです!」
私はハリス先生を見た。
「ナオ、あなたが行ってください。私は手が離せません。マリーさん、あなたは歩けそうな軽傷者がいたらここまで案内して」
マリーさんはすぐに救急セットの準備を始めた。しかし私はすぐには動けなかった。なぜなら、
「私はまだ見習いです! 監督者なしの医療行為は禁止されているはずでは__」
「責任は私が取ります。行ってください!」
私は勢いに押されて診療所を飛び出した。
事故現場は私の足で走って5分ほどのところにあった。そこは見通しの良い丁字路で、車道を突っ切り歩道にまではみ出た2台の自動車が絡み合い横転している。その側では通行人や不付近の住人と思われる人々が救助や介抱をすべく集まっていた。
私もその輪の中へと飛び込んだ。
騒然とする現場に座り込む人は5人ほどで、その中でざっと見て直ちに治療が必要な人はいなさそうだと判断し、すぐに横転する車のほうで救助をしている集団へ加わった。
「私は治療魔法師です。どういう状況ですか?」
「治療師さんか! よかった。運転してた人が脚を挟まれて、今みんなで引っ張り出そうとしてるところだ」
そのうちの一人が状況を説明してくれた。
「もう一台の方に人は?」
「大丈夫、そっちは全員自力で出られた」
ということはこの車の中にいる男性が最後の要救助者らしい。
この国に救急隊はない。そもそも電話もないらしかった。どこかで大怪我をしたり具合が急変した場合は近くの診療所まで走って医者を呼びに行くか、そこの診療所に救急車があれば乗せて大きな病院まで運ぶ。そのため病院に着くまでに時間がかかり救命率が下がる原因になっている。
私は横転する車と格闘する男性らを見守りながら、せっかくの素晴らしい医療技術が活かしきれていないことを残念に思った。
「ナオ、私は軽傷の人を連れて診療所に戻るわね」
「分かりました」
背後の軽傷者はマリーさんに任せ、私は救助の方に集中することにした。
自動車は左側の運転席を下にして横転している。中の男性は動けず、救助しようとする男性らが上になった助手席と割れたフロントガラスから侵入し救助を試みる。
「入れたぞ! おっさん、今引っ張り出すからな!」
なんとか上手くフロント部分から1人の男性が運転席まで入り込み、男性の体に腕を回して引っ張り出そうとするが、スペースの問題か挟まれた脚が動かないのか運転手を出すことができない。
「駄目だ! 一旦出て、全員で車を持ち上げて立て直そう!」
彼らは車のルーフ側に集まり、せーので上部を押す。
「いけいけいけ!」
車が半分ほど引き起こされたところで、上部を支えながら下から持ち上げ引き起こした。
開くようになった運転席のドアと助手席から人が入り、ようやく運転手を引っ張り出すことができた。
私は道路に寝かされた男性にすぐさま近づき、先生に教えてもらったとおりにまずは問診を行う。
「大丈夫ですか? どこか痛みますか?」
「うぅ……脚とこのあたりが……」
そう言って男性は腹部を押さえた。
意識はあり受け答えもできることから一秒を争う状況ではなさそうなことに安堵しながら、私は彼の手に触れて診療を始めた。
「行使:
目の前に上半身は人体模型風で下半身はレントゲンのような3Dモデルが現れた。そして腹のあたりに『肝臓損傷による腹腔内出血』、右脚には『単純骨折』と文字が浮かんでいた。
(お腹の痛みの原因はこれか。治療までに時間がかかると命に関わる。事故現場が診療所の近くだったのは不幸中の幸いね)
「お腹を強く打ったみたいで中に血が溜まっているのと、右脚は骨折しています。治療してもいいですか?」
「先生……お願いします」
私はこくんと頷いて、男性の手を触り、
「行使:
魔法を使うと、男性のみぞおちの下が光り始めた。重傷ではあるので治療には苦悶の表情を浮かべているが耐えてくれている。
私は一人でも治療できたことに少し自信をつけて、次は脚の治療を行った。
「行使:
私は周りにいた男性らに訴えた。
「おっおう! 任せろ!」
ここら辺に土地勘があるという男性が行ってくれた。
男性は事故の衝撃と治療の影響で激しく消耗し意識が朦朧としていたが『ありがとう』と言ってくれた。
(無事に終わった……)
私は力が抜けてへたり込んでしまった。
「おっおい治療師さん!?」
「先生、怪我したんか!?」
治療を見守っていた人たちが慌てる。
「違います。ほっとしたら力が抜けちゃって」
「なんでぃ! 驚かせやがってー!」
私は心地よい達成感と疲労感の中で、周囲の人たちに労われ小突かれつつ一緒に笑い合った。
治療した患者さんは救急診療をしているハールズデン市立病院に運ばれていった。
しばらくして事故処理のため現場に警察官が数名やってきて私も状況の説明を求められ、見習いの身で治療行為をしたことも話したが、褒められるだけで特段注意もなければ処分もなかった。
この世界では度々法律が恣意的に運用される。その緩さに今回は助けられた。
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