第3話 身の振り方
診療所に運び込まれて1カ月の間は寝たきり生活で、とにかく退屈だった。
なにせスマホもなければテレビもない。悲しいかな本を差し入れてくれる家族もいない。
私はハリス先生が読み終わった新聞を読んでこの世界のついて勉強した。言葉と同じく文字が読めたのは助かった。
新聞には、皇帝がどこぞの街を視察したという記事や、魔法による傷害事件(思い切って先生に聞いたら誰でも魔法が使えるわけではなく、人を攻撃できる魔法を使えるのは軍人だけらしい)、車の事故などが載っており、この世界のついて知る手がかりになった。
そして今は体中にあった打撲痕は消え、松葉杖を使えば歩けるまでに回復した。
そんな生活の中で驚いたのが『魔法石』と呼ばれる赤い石だ。
歩けるようになって、ハリス先生の付き添いのもと診療所の2階にあるシャワー室に行き使い方を聞いた時これの存在を知った。
壁に設置された魔法石を起動するとお湯が出る仕組みになっていた。私はその場で先生に『これはお湯を出す装置ですか?』と聞いたら、先生は『魔法石は列車や車の動力などにも使われている。
魔法石自体はただの石だが、帝国の専門職員である『補充役人(チャージャー)』が魔力を込めることで使えるようになる』と教えてくれた。
なんとも不思議なこの世界で、私はまだまだ病室とシャワー室しか知らない。早くもっと動けるようになってこの世界を知らなければと少し焦る。
◇
「ありがとうございます。今日も美味しそう!」
昼の12時になり、看護師のマリーさんが病院食を運んできてくれた。マリーさんは見た感じ20代前半くらいの若さ溢れる元気な人だ。私(奈緒)より若いが今の自分よりかは年上だろう。
「そういえば、このご飯ってどこで作ってるんですか?」
ここの2階には病室とシャワー室、シーツ類などが置かれている物置部屋しかないので気になっていたのだ。
「ここの隣に先生の自宅があってそこで。でね、今は私が作ってるのよ。前までは先生のお弟子さんがいて先生や入院患者さんの食事を作ってたんだけど辞めちゃって。それで今は臨時で私が」
(先生の弟子というなら治療魔法師のはず。なぜ医者が調理師の仕事まで……?)
マリーさんは2人分の昼食と水をベッドテーブルに乗せてベッド脇の簡素な木製椅子に腰かけた。
入院してからというもの、マリーさんは私が寂しくないようにと気を遣ってか一緒に昼食を取ってくれる。
今日の昼食はサラダにシチュー、デザートはオレンジだ。ちなみにメインディッシュはシチューが多い。
作るのが楽だからなのか、料理が苦手でレパートリーがないのかは聞かないでおこう。
彼女は不満げな顔でシチューを口に運びながら、
「でねでね、そろそろ彼氏にプロポーズして貰いたいなーなんて思ってるんだけど、彼はどう思ってるんだろう」
「結婚……。付き合ってる人いたんですね。そういえばマリーさんって何歳なんですか?」
「もう今年で22! 友達はどんどん結婚していっちゃって焦るったら」
この世界にはまだ晩婚化の波は押し寄せていないらしい。私にはまだ結婚を焦るには早い年齢に思える。
「ナオちゃん可愛いから彼氏とかいたんじゃないかなぁ」
「多分いなかったんじゃないかと。それどころか家族もいなかったか、いても希薄な関係だったんじゃないかしら」
「どうして?」
「私がこの診療所に運び込まれてすぐに、私に捜索願いが出ていないか、先生が警察に行って確かめてきてくれたんです」
「出てなかった……?」
「えぇ、きっと私には家族も心配してくれるような知人もいなかったんですよ」
可哀想に。今世の私は天涯孤独の身だったのだろうか。
マリーさんも私をぎゅっと抱きしめて同情を寄せてくれた。
「大丈夫! 今は先生も私もあなたの家族みたいなものよ!」
先生も彼女も私が記憶喪失だと思い、生活の世話から記憶が戻るきっかけになるようにと色々な話をしてくれるなど何かと気にかけてくれている。
そのおかげで心細さはここに来た当初よりは薄れ、この状況受け入れつつあった。
◇
「ナオちゃんがこの診療所に来てからどれだけになったっけ?」
「2カ月くらいです」
「じゃあその脚もそろそろ治せるかもしれないね」
「はい、そろそろ治療してもらえそうです。えぇっと、今日の治療費は5000ヴィルになります」
「おぉ、そりゃよかった! 5000ヴィルね。はいよ」
「ちょうどですね。お大事にしてください」
私は診療所の受付から中年の男性患者を見送った。
この1カ月くらいはリハビリを兼ねてこうして診療所でお会計業務や診察室で手伝いをしていた。
入院着でうろつくわけにもいかないだろうとマリーさんは言って、もう着ないからと譲ってくれたお古のワンピースを仕事着にしている。
お金をケースにしまっているとハリス先生が受付に顔を見せた。
「ナオ、午前の診療は終わりましたから、病室であなたの診察をしましょうか」
ハリス先生は午前と午後の診療の間に、今は週1回私の診察をしてくれている。
私と先生は連れ立って受付の中にある階段を上がり2階の病室に戻った。
先生は魔法で患部の状態を確認する。
「その治療魔法のスキャンって先生にはどう見えるんですか?」
「問題がある部位の画像が目の前に浮かび上がって見えます。私たちはそれを見て診断します」
「レントゲンみたいに見えるんですか?」
「もっと詳細です。手術で体を開けて見るような」
この国にCTやMRIはなさそうだが、魔法はそれを超えているんじゃないだろうか。
「魔法でなんでも治せるんですか?」
「まさか。そんな万能ではありませんよ。怪我や体におきた炎症などは治療できますが、風邪やガンなどの病気に分類されるものはできません」
先生は話しながら私の脚に手をかざして魔法を使う。
「そろそろもう一度治療魔法をかけて、この脚を完全に治してしまいましょうか。ここまで治っていれば大した副作用も出ないでしょう。前にも話したかと思いますが、あなたに施した頭蓋骨と内臓への治療のような強い魔法は副作用で最悪の場合は死亡する可能性もありました。骨折の治療でも体の状態が悪ければ血液成分に変化があったり、吐き気や嘔吐、頭痛が治らなかったりすることがありますから」
「もう完全に治るんですね……」
「おや、松葉杖を手放せるというのにあまり嬉しそうではないですね?」
「普通に歩けるようになるのは嬉しいんですが……。ここを出なくちゃいけないと思うと不安で……」
生まれ変わって早2カ月。この体の元の持ち主の意識が戻ることもなければ、記憶を引き出せることもなかった。つまりこの世界の知識は依然として診療所の中で得られるものに限られている。しかしずっとここにいられないのも分かりきっている。今後の身の振り方を考えなければならなかった。
「あなたは未だに名前しか思い出せていない。不安も分かります。安心なさい。住むところや仕事探しは私も協力します」
そう。ここで生きていくための問題は山積しているけど、仕事に関しては以前から少し考えていたことがあった。
「あの、先生……。私も先生みたいに医師になりたいです」
私は治療魔法なるこの世界の医療に強く惹かれていた。
そもそも魔法治療院の診療範囲は運動器、体内や体表面の怪我が主だという。だから前世の私のようなガン患者に魔法は使えないらしいが、今世の私のように元の世界では助からなかったであろう人も助けられる。それに手に職があればどうにか生きていけるだろうという打算もあった。
だが問題は、
「ナオ、あなたに魔力がなければどうしたってなれませんよ」
「それは以前聞きました。なければ他の道を考えます」
ただなんとなく、そこはクリアできる気がしている。
生まれ変わりなんて特殊なことが起こったのだ。魔法くらい使えなきゃ嘘だ。
「それでは確かめてみましょうか。手を出して」
「? はい」
「今から魔法を行使せずにあなたの体に魔力を流します。その魔力が反発して私に返ってきたらあなたに魔力があると言うことです。始めます」
「はい」
先生は私の手のひらに手を重ねた。それからすぐぬ先生の手が淡く光出した。
「……なるほど。あなたには魔力があるようです。最低限の条件はクリアしましたね」
「じゃあ治療魔法師になれる……?」
「そんな簡単なものじゃありません。治療魔法師になるには国家試験に合格しなければなりません。そのために多くの者は学校へ行きます」
大学の医学部のようなところだろうか。魔法を使うのだから、医学部に行って医者になるよりは簡単だろうと思っていたのだが甘かった。
それでも私はダメ元で奨学金制度はないのかと聞こうとしたが、その前に先生が話を続けた。
「他にごく少数ですが誰かに師事して実技の腕を磨き、座学は独学でする道もあります。独学では勉強の進め方も試験の対策も難しく、合格への道は険しいでしょう。それでもやると言うのなら私が面倒を見ましょう」
閉ざされたかに思えた道がパッと拓けた。それが困難な道だとしても挑戦できるのならしてみたい。
「やります! よろしくお願いします」
「私は厳しいですからそのつもりで。以前雇っていた医師もそれで辞めてしまった。そのせいで入院患者が取れなくて病室にはあなたしかいなかったんですよ」
(どうりで誰も入院してこないわけだ)
「では早くここの戦力になれるよう頑張ります」
「えぇ、励んでください」
先生は私が今後のことを決めるまで治療を待っていてくれたのかもしれない。治療費や入院費だって川で私を助けてくれたという人から貰ったものだけじゃ足りなかったはず。先生には本当に感謝してもしきれない。
(いつかちょっとでも恩が返せるといいんだけど)
予定通り1週間後に脚を治療してもらった私は、診療所の患者さんの紹介で住むところも決まり、翌日から働くことになった。
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